タウンとビレッジ、タウンとシティの決定的な差って、何でしょう?
西部劇に「ゴーストタウン」は登場するけれど、ゴーストビレッジとかゴーストシティは出てこないこと、かな?
【ただいま読書中】『レパントの海戦』塩野七生 著、 新潮社、1987年、1500円
30年の平和の後、オスマントルコ帝国はヴェネツィアにキプロス島の“返還”を要求します。ヴェネツィアは当然拒否。しかし、一国でトルコを相手にすることは無理です。そこでローマ法王に働きかけ一種の“十字軍”を結成します。スペインとジェノヴァを巻き込んでの連合艦隊の結成です。しかし、宗旨は同じでも、経済的にはお互いに“敵”ですから、司令官を誰にするか、などですったもんだ。
1570年、トルコの大軍(300隻、10万人)がキプロスに上陸します。首都ニコシアのヴェネツィア軍はわずか3000人余り。連合艦隊は内輪もめ(主導権争い)を続け、戦場に到着する前にニコシアは落城します。残るはキプロス最強の砦と言われたファマゴスタの港だけ。
スペインはイタリア支配を強めていました。それに対抗する有力勢力がヴェネツィアです。また、ヴェネツィアには他の宗教を信じる民族への寛容の精神がありました(経済の役に立つのなら、信教の自由も認める、という態度です)が、それはローマ法王や非寛容な反動宗教改革のスペインには気に入りません。しかし、ヴェネツィアは単独ではトルコと戦えないし、スペインもアフリカ進出のためにはヴェネツィアの海軍力が必要です(本当はトルコもヴェネツィアと対立するよりお互い利用しあった方がはるかにメリットが大きかったのですが)。
すったもんだはありましたが、やっと「政治」の決着がつき、1571年5月に神聖同盟は正式に発足します。
艦隊の主力は、帆船とガレー船(多数の奴隷が漕ぐ船。ただしヴェネツィアは奴隷ではなくて自由民が漕ぐ方式)で、大砲もたくさんは積んでいません。基本的にはぶつけて乗り込んで白兵戦です。ただ、ヴェネツィアにはガレアッツァという大型の「砲船」がありました。大砲が数十門も備えられた浮かぶ要塞です。
作戦会議でもまたすったもんだがありましたが、9月に連合艦隊はついにシチリアのメッシーナから出陣します。ガレー軍船204隻、ガレアッツァ6隻、小型快速船50隻、大型輸送帆船30隻の大艦隊です。その半分以上はヴェネツィアの船でしたが、戦闘員はスペインが圧倒的に多数を占めていました。ちなみに、船乗りは13000人、漕ぎ手43500人、戦闘員28000人です。3隻ですが、トルコ船と戦い慣れたマルタ騎士団の船も参加しています。
やっとこさ出陣した艦隊に届いたのは、ファマゴスタの落城(全滅)の知らせでした。これでやっとすったもんだは終了。一致団結の気運が漲り、艦隊は東に進みます。トルコ艦隊もそれを迎え撃つため、レパントの港から出港しました。
1571年10月7日レパント西方海上で両艦隊は向かい合います。どちらもガレー船は200隻以上。ガレー船同士の海戦としては、最大の、そして史上最後の戦闘です。右翼・本隊・左翼と戦列を組むだけで大変です。そして、戦いの合図とともに開戦。
ここで描写される戦いの有様は、ほとんど地上での軍団同士の戦いと変わりません。突撃をしての殺し合いが基本です。近代的な機動をしたのは少数の船だけでした。結果は、キリスト教側の大勝利ですが(トルコ側の船はほとんどが沈められるか捕獲されました)、戦死者の数はそれほどの差が無く、キリスト教側にも大きな出血が強いられることにはなっていました。そしてその翌年、トルコは艦隊を再生させたのに対して、キリスト教側は四分五裂のありさまです。戦争に勝つことはできても、政治に勝つのはなかなか大変だった、ということでした。