【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

天守閣

2012-11-03 18:19:16 | Weblog

 空襲で焼け、戦後再建された日本各地の天守閣はたぶんほとんどが鉄筋コンクリート製のはずですが、本来は木造であるべきです(だから空襲で焼かれた)。ところで、戦国時代に日本で大砲が発達していたら、はたして「天守閣」はどうなっていたんでしょう。どう考えてもあの建造物は大砲に対してはただのでかい的で、しかも衝撃にも火災にも脆弱ですよね。

【ただいま読書中】『軍事技術者のイタリア・ルネサンス ──築城・大砲・理想都市』白幡俊輔 著、 思文閣出版、2012年、5600円(税別)

 イタリア・ルネサンスを「軍事技術」の面から見た本はあまりないそうです。また著者は、軍事技術は単に合理性や効率性のみを追求するだけのものではなくて、人間の思弁や先入観や社会通念などの「感情」が反映されている、と軍事技術の「非合理生」に注目しています。「軍事も“人の子”」ということでしょう。
 火器、特に大砲の進歩は、築城術の改良を促します。それは結果として戦争の長期化をもたらしました。攻める側は軍隊を大規模化する必要ができ、攻守ともに莫大な資金が必要になります。それは社会の財政や政治システムに変革をもたらした、つまり火器によってルネサンスが「近代への分水嶺」になった、という考え方があるそうです。ただ本書では「火器の発達によって中世の城砦が廃れ、近代的な要塞が考案された」という考えは「単純な神話」と切って捨てています。
 15世紀半ばに火縄銃が発明され、1470年代のミラノにはすでに常設の火縄銃隊が置かれていました。それまでの軍の中核は「騎士(重騎兵)」で、歩兵は補助戦力でした。「騎兵の突撃」に耐える軍隊は基本的に存在しなかったのです。ところが、大量の火器によって騎士が簡単に殺されるようになります(1482年8月22日ヴェッレトリの戦いでは、二条の塹壕と多数の火器で守られた野戦陣地を攻撃した1500騎の騎兵と800の歩兵の多数が殺されています)。こういった野戦陣地あるいは火器に耐える築城に対する包囲戦で、工兵部隊の地位が向上します。火器を用いる歩兵も。総体的に騎兵の地位は低下しますが、それはすなわち、社会の上層部(騎兵になることができる貴族や大金持ち)に対する社会の視線の変質ももたらしました。
 15世紀には包囲戦の率が増し、築城では「重点防御」や「側面防御」が重視されるようになります。大砲に抵抗するために防壁は低く分厚くなります。しかし防壁が低いと敵兵が取りつくと乗りこえやすい。そこで手前に濠を掘って“高さ”を稼ぎます。そして、壁に敵が取り付いたら、それを別の壁面の銃眼から射撃、という発想から様々な設計の砦が建築されました。そこで見られる「人体のアナロジー(手足より頭が大事)」や、「誰を敵と見なすか(敵の軍か、反乱市民か)」といった発想はなかなか興味深いものです。やがてその「防衛思想」は、都市の防衛、それから国家の防衛へと拡張されていきます。このとき火器や築城といった「軍事技術」が「政治」「社会」に大きな影響力を及ぼすようになりました。著者はこういった観点から「単純な神話」を切って捨てることができたわけです。
 ルネサンスからのこの流れが日本で結実した一つが函館の五稜郭です。あの形にも深い意味があったんですね。