多神教だと男神も女神も存在していますが、一神教の「神」って、なんだかとっても男性的ではありません? 女神の一神教というのは、ないのでしょうか。
【ただいま読書中】『日本人の死生観 ──蛇信仰の視座から』吉野裕子 著、 講談社(講談社現代新書675)、1982年、420円
四肢がないのに地上も水中も移動でき、男根に似た形で、脱皮をする「蛇」は不思議な動物で、古来各地で信仰の対象となっていました。エジプトではコブラが信仰の対象となっていました。インドでもコブラがナーガに神霊化しています(「脱皮」が「永生」「復活」「浄化」のシンボルとされました)。メキシコには蛇神ケツアルコアトル(マヤ語でククルカン)。中国では人面蛇身の夫婦の蛇神、伏犠と女媧。中国では蛇は妖怪でもありましたが、蛇の出現は吉兆でもありました。
さて、日本です。縄文中期土器の特色は「蛇の造型」です。土偶の女性の頭部にはマムシそのものが巻きつけられています。マムシの場合には、蛇一般の特性にプラスして「毒」がありますから、さらに畏怖の念を持って見つめられていたことでしょう。弥生時代には土器から「蛇」は姿を消しますが、米を食べる鼠を退治する蛇にはやはり特殊な思いを人は持っていたはずです。
本書で著者は「日本の神は蛇である」という仮説を元に、日本人の死生観を問い直そうとします。
日本各地には二種類の産着を用いる風習がありました。生後数日(三日~七日)はボロ布などで手足を包み込んで棒のようにし、その後きれいな産着を着せて手足をのびのびとさせる用にする、という風習です。これを著者は「人は蛇として生まれ、脱皮をして人になる」と解釈しています。
次に「殯(もがり)」。これを著者は古語の「身(む)」+「離(か)れ」と見ます。死後、骨から「身」が腐って離れていく(骨神が浄化される)期間である、と。古代中国で殯が3年間であったことや、沖縄での洗骨の風習のことなどを私は想起しますが、たしかにそれは同時に「遺体が脱皮する過程」と見ることが可能なのかもしれません。
著者は日本での死の儀式に様々な「蛇」を読み取ります。ちょっと読み過ぎではないか、と思う部分もありますが(注連縄が絡み合って交尾する蛇の姿、というのはわかる気がしますが、箒もまた蛇神のシンボルというのはなんだか無理があるように思えます)、それでもかつて「蛇」が日本人にとってとても重要な精神的なパーツであったことは間違いないとは思えます。古代の日本人って、どんな世界観で生きていたんだろう、と思いますが、少なくとも私はそこでは生きることはできないだろうな、とも思います。蛇信仰があまり魅力的とは思えませんので。