子供が生まれたときに名前の画数を数えることに夢中になる人は、戒名でも当然画数を数えるんですよね?
【ただいま読書中】『家族葬のつくり方 ──52の心に残るお見送り』平本百合子 著、 長崎出版、2012年、1600円(税別)
高齢社会では、お葬式に「呼ぶ側」も「呼ばれる側」も高齢者が主力となります。するとこれまでの通例の大々的な葬儀は少しずつ困難になります。著者は「スタッフは全員女性の家族葬専門の葬儀社」の設立者です。単に「安くて手軽なお葬式」ではなくて、「死者と家族のための手作りのお葬式」をオーダーメイドで組み立てているのだそうです。ですから、本書に登場する“ケース”は、すべて異なっています。死者の思い・遺族の思い・家族構成・式次第などすべてばらばら。それは当然ですね。家族の数だけ家族があるのですから。「パック」だの「セット」だので家族の思いをまとめることは難しいはずなのですから。
家族が亡くなったとき、まず決めるのは「どこに遺体を安置するか」。著者の会社では、遺族はまずそれだけを決めればよいそうです。次にやるべき事は「死亡診断書のコピー」。うっかりコピーを取らずに原本を提出したら、あとでいろいろ面倒だそうです。こういったきわめて具体的なアドバイスがあるのは、やはり「現場」で仕事をしている人ならではですね。
本書に書かれているのは、それぞれに印象的ですが、「無理難題」に柔らかく挑戦する姿勢に好感が持てます。たとえば「家族葬を強く希望する会社経営者」の場合。本人は家族水入らずのお見送りをしてもらうことを希望し、家族もそれをかなえてやりたい。しかし都心で手広く事業をやっている社会的地位から、会社関係や顧問先にお知らせをしないわけにはいかない、と悩む喪主。さて、どうやったら本人(もう死んでますが)・家族・会葬者すべてが満足感を得ることができるお葬式ができるでしょうか。著者が提案したのは……
「無宗教の葬儀を望む本人」vs「勝手な葬儀をしたら成仏できないぞ、の地方の親戚」の場合には、間にはさまった喪主の娘さんが悩んでしまいます。あるいは「身内だけの見送りを望む本人」vs「論外! きちんと式らしい指揮をするべきだ、の親戚」では、間にはさまった喪主の奥さんが悩みます。こういった場合の著者の姿勢の根本は「故人を大切にする」に尽きるようですが、それにしてもこれだけ細やかな心遣いをしてもらえたら、少々の不満など吹っ飛んでしまうだろうな、とも思えます。
しかしこの会社のシステムはなかなかユニークです。本人が生前に「家族葬ノート」を作って自分の希望を整理しておくし、通夜振る舞いの料理の試食会にも「本人」が参加して味見をしています。そして「この味だったら、大丈夫。孫には『お祖母ちゃんが死んだら美味しいものが食べられるからね』と言ってやります」と言う人も。いや、ここは笑うところ?