「ナチスの科学者」は原爆製造で「これは人類に対する罪だから」とこっそりサボタージュをして原爆が完成しないようにした、という説があるそうです。まあ、結果論からの推論でしょうけれど。ただ、「民主主義の国の科学者」がきわめて熱心に原爆を完成させたことと対比させると、「人類全体に対する科学者の良心」は体制とは無関係に存在するのかもしれない、という疑いを持つことは可能ですね。
【ただいま読書中】『戦艦三笠の反乱 ──帝国海軍裏面史』山本茂 著、 新人物往来社、1977年、1500円
明治政府は軍備の大拡張を行いました。海軍は、軍艦を外国に発注しますが、欧米の商慣習のコミッション(リベート)を取り入れていました。これは高級将校の腐敗を招き、のちのシーメンス事件の遠因となりました。
日清戦争では、清国海軍は巨艦を揃えていましたが、日本海軍は新式の速射砲を多数揃え艦の速力や操縦性や兵の練度は真を遙かに上回っていました。先日読んだ「アルマダ」対「英国海軍」の戦いを私は思い出します。伊藤首相は「兵器の独立(兵器の国産化)」を考え、大金を海軍に支出します。呉海軍造兵廠の初代長官となった山内中将は、独断専行で大量の兵器・機械・材料を購入、同様に大量のコミッションを取って大豪邸を建てています(現在も呉の史跡の一つだそうです)。……でも、もとは血税ですよね?
1901年、戦艦「三笠」(のちの連合艦隊旗艦。東郷元帥やZ旗で有名ですね)が完成したのを受け取りに水兵が日本からイギリスに派遣されました。ところが到着した水兵はあまりに劣悪な環境と待遇の悪化に怒り「同盟」を結成して下甲板に閉じ籠り「ストライキ」をしてしまいます。結局5日間の説得と話し合いでストライキは終結、帰国後水兵は抗命罪で軍法会議にかけられ全員禁固刑を食らいました。
著者が調べると、水兵たちは禁固刑服役後軍務に復帰、日本海海戦にも参加して勝利に貢献しています。彼らは一体何を考え何に逆らっていたのでしょう?
1914年に「シーメンス事件」が起きます。これはドイツでの恐喝未遂事件の裁判で、日本海軍の軍人が実名でコミッションを取っていることが暴露され、それが日本で政治問題となった事件です。山本内閣は事件をうやむやにするために全力を尽くしますが、とうとう総辞職に追い込まれます。このときの報道合戦で、「三笠のストライキ」問題も蒸し返されましたが、同時に「軍艦日進の爆沈未遂事件」もまた蒸し返されました。というか、「不良火薬の化学分解による自然発火」と海軍が隠蔽していたのが「爆沈を図った個人の犯罪行為」と報道されてしまったのです。これは「清廉潔白」「滅私奉公」たるべき軍人、という「タテマエ」に大きな傷をつける報道でした。
著者は相当「左」のスパイスがかかっている人のようで、決めつけがあまりに強く、数行読んで拒絶反応を示す人もいるかもしれません。こういった「面白い歴史」はあまり個人の思い入れは少ない方がもっと面白くなる、は私の持論ですが、まあこれはあくまで私の持論なので他人に押しつけようとは思いません。ただ、当時の世相で「プロレタリアート」が工場などにけっこうたくさん存在していて、そういった人たちが召集されて軍隊に入ったらそこでは抵抗運動などほとんどできなかった、というのは面白い指摘だと思います。というか、軍の方もどんな人間が入ってくるかをわかっていて、それを戦場できちんと機能させるためにあれだけ非人間的なシステムを働かせていたのかもしれません。本当は「抑圧と強制」よりも「自発的に心から湧き上がる愛国の念」の方が軍を強くするのではないか、と私には思えるのですが。