「一票の格差」が「2倍まで」は「平等」だと主張する国会議員は、その人に限って給料を他の人の「半分+1円」にしても良いのではないか、と思いました。だって「2倍未満は平等」なんでしょ?
【ただいま読書中】『東京消滅 ──介護破綻と地方移住』増田寛也 編著、 中央公論新社(中公新書2355)、2015年、760円(税別)
少子高齢化の波は、日本ではまず「地方」を襲いました。東京がその波から免れているように見えるのは、単に地方から若者を集め続けているからに過ぎません。しかしそれにも限界があります。団塊の世代が全員後期高齢者になる2025年ころには、高齢化率の「東京での上昇」と「地方での停滞」が目立つようになり、2050年には全国均一に「高齢社会」となることが予想されます。
首都圏での人口移動は、「地方/東京」の縮小版となっています。都心部に若者が流入し、高齢者は埼玉・千葉・神奈川・東京都の市町村部に流出しているのです。
東京は実は医療過疎地です。その問題が表面化しなかったのは、病気が少ない若い年代が相対的に多かったから。しかしこれから高齢化が進めば、問題は顕在化します。介護に関してはすでに問題が顕在化しています。現在はまだ都心部の介護施設不足をその周辺地域が補っています。しかし将来は……
介護保険そのものも、現在のままではすぐに破綻することは目に見えています。人・もの・金が足りません。だったら、海外から人を入れる・ハイテクで省力化するなどの努力をすると同時に、東京から地方へ高齢者が移住することが解決策だ、と本書では提言されています。
これは「東京」には都合の良い“解決策”ですが、それを受ける「地方」の方はどうなるんでしょう。それでなくても高齢化で若い人が手不足なのに、そこにさらに地方の生活に慣れていない高齢者が大量に押し寄せてくるわけです。これが「高齢者」と「それを介護する人材」とがセットで東京からやって来る、というのだったらまだ「介護」は可能かもしれませんが。
本書では「東京が破綻したら、日本中が困る。だから日本中で東京を支えるべきだ」という主張が展開されます。だけど「地方」が疲弊しているとき、東京は助けようとはしませんでしたよね。それなのに、自分が困ったら「お前らは自分を助けるべきだ」ですか。ふうむ。これまでに「個人や小さな企業の破産は“自己責任”として放置されるが、巨大企業が放漫経営で危機に陥ったら『これを潰したら社会が大きな損害を受ける』と税金が投入される」という話が、日本でもアメリカでもありました。それとなんだか似た雰囲気の話で、私は釈然としないものを感じています。まず「放漫経営」を改善する努力は?と思うもので。