私はフェミニストではないしフェミニズムに特段の興味は持っていません。ただ、「人間」の視点から見たら「男女差」をことさらに言い立てることに抵抗は感じます(だからかつてのウーマン・リブの時代には、男女差を不必要に強調しているように思えて、リブの活動家の主張(と行動)には共感できませんでした)。そうだなあ、たとえば病気には男女差がありますが(男は子宮癌にはなれませんし女は陰茎癌にはなれません)、「女だから病気は我慢しろ」は駄目駄目な主張ですが、病気の苦しみに関して男女差を強調しても仕方ないでしょ?
【ただいま読書中】『メデューサの笑い』エレーヌ・シクスー 著、 松本伊瑳子・国領苑子・藤倉恵子 編訳、 紀伊國屋書店、1993年、3200円(税別)
目次:「メデューサの笑い」「去勢か斬首か」「新しく生まれた女」「エクリチュールへの到達」
この4本の論文と「エレーヌ・シクスーに対するいくつかの質問」が含まれています。
初っ端から「女性は自分のマスターベーションについてもっと語るべきだ」と言われて、どきりとします。つかみはOKですね。基本的に「女性が女性に呼びかけている文章」の体裁なので、私のような男が“割って入って”いいのかな、なんてことも思います。ただ、著者は明らかに潜在的な読者として男性も想定していますね。少なくとも露骨な「敵視」はしていません。
孫子に「王が妻妾たち180人を兵士として訓練せよ、と孫子に命令した。孫子は訓練を始めたが、妻妾たちはふざけて孫子の命令に従わなかった。そこで孫子は軍法に照らして、指揮官役の女性二人を斬首した。以後皆は孫子の命令通りきびきびと動くようになった」というエピソードがありますが、これを著者は「去勢で男を脅かす社会は、斬首で女を脅かす」と読み解きます。「赤ずきん」は明らかに性的な隠喩を含んだ物語ですが、これも著者によると「赤ずきんちゃんは小さなクリトリスである」となります。さらに赤ずきんちゃんがお使いに向かうお祖母ちゃんもまた性的な隠喩の一つなのです。いやいや、小さなクリトリスが森の中で寄り道をする……わお。
非常に平易な言葉で書かれた本ですが、内容は難解です。難解さの原因の一部は、私が「男根中心主義」で育っているからでしょう。ただ、少しずつ世界は変わっていくのではないか、とも思えます。そういった期待を未来に持てなければ、未来は過去と同じで良いことになり、そういった(すでに存在している過去と全く変わらない)未来の存在価値はありませんしね。