昨年の忘年会あたりから「平成最後の○○」がやたらと使われていて、もう食傷気味ですが、これから「令和」の始まりに向かって「平成最後の」を使う“最後の追い込み"が始まるのでしょうね。
ところで、今年の新入生は「平成最後の新入生」です。ということは、小学校や(6年制の学部の)大学の入学生は、今から6年後に卒業するときに「平成最後の新入生がついに卒業することになりました」と言ってもらえるのかな? それとも「平成最後」は死語になっている?
【ただいま読書中】『アップル帝国の正体』後藤直義・森川潤 著、 文芸春秋、2013年、1300円(税別)
液晶の「亀山モデル」でぶいぶい言わせていたシャープは、08年リーマンショックで痛手を受け大赤字に苦しむことになり、とうとう亀山工場をアップルの“下請け"とすることにします。しかしアップル社は「シャープを救う」気などありませんでした。あくまで優先するのは自社の利益です。それは、日本の大企業が下請けを扱っていたのと同じ、あるいは、もっと厳しい態度でした。契約には守秘義務条項があり、「アップルの下請けをしている」ことでさえ「秘密事項」だったのです。その事情が変わったのはジョブスの死後で、2012年にアップルは契約している企業名を公表しました。そこには、日本の大手家電や超優良電子部品メーカーの名前がずらりと並んでいました。
「アップルとの関係」はある意味“劇薬"です。大量発注による大きな利益が見込めますが、アップルの要求を満たすためには巨額の投資も必要です。しかも、受注は保証されておらず、突然注文が止まることもあります(実際にそれで倒産した日本企業の例が紹介されます)。そのアップルと密接な関係を組むことで大きく成長したのが、台湾の鴻海精密工業グループです。日本の「常識」では考えられない圧倒的な生産ラインの力で、アップルだけではなくて様々な大企業から大量受注を獲得しています。台湾企業なのに中国にも工場を展開する政治的なリスクを取る覚悟もすごいものです。シャープの買収に鴻海が名乗りを上げたとき、多くの日本人は感情的な拒否反応を示しましたが、著者は「もっと企業の実態を知り、世界の経済がどのような“文脈"で動いているのか理解したら良いのに」と言いたそうです。
アップルの姿勢は、徹底しています。契約をした企業では、徹底的な調査で実態をほとんど“丸裸"にしてしまいます。原価もきっちり計算できるくらいのデータを持っていくから、価格交渉は本当にギリギリの線を攻められます。さらにアップルの社員が工場に貼りついて毎日の生産を監視。その働きぶりは、昔の日本の「モーレツ社員」だそうです。
製造だけではなくて、流通もアップルに“跪いて"います。大手家電量販店も“アップル・ルール"に黙って従うのです。店の立地、商品展示方法、宣伝の文章などなど、すべてアップルが指示します。もちろん自由主義の社会ですから逆らうことは可能です。逆らうと、商品を卸してもらえなくなるだけ。
アップルは音楽市場も変えました。まずはiPodというハードウエアをヒットさせます。3日前の『誰が音楽をタダにした?』では、違法ダウンロードでCD売上が減少していたアメリカ市場でジョブスが「合法的で手軽な店を」を主張してiTunesMusicStoreを立ち上げ成功していましたが、日本ではレコード会社が拒絶反応を示します。拠り所は、アメリカよりCDが売れていることと「着うた」のサービス。ところがCDの売上はじりじりと落ち、さらにiPhoneのヒットで「着うた」が売れなくなり、とうとう最後の牙城だったソニーもiTunesでの配信を始めることになりました。気になるのは、2000年からの10年でアメリカではプロのミュージシャンが25%減少していること。音楽では食っていけなくなっているようです。これが、違法ダウンロードのせいかそれともアップルのせいか、著者は結論を出しませんが、この章のタイトルは「iPodは日本の音楽を殺したのか?」なんですよねえ。日本のミュージシャンの数や経済状況は、どう変化しているのでしょう?
アップルが次々いろんなものを壊してきたのと同様、将来アップル自身も何かに壊される(あるいはその下請けに落ちていく)ことはまず確実です。では“それ"は何なのか? それがわかれば苦労はないんですけどね。
本書を読んでいてちょっと気になったのが「日本では」とか「米国では」という記述が目立つこと。アップルはおそらく「米国で一番」とかではなくてもっと“大きな"ものを目標にしていた(している)はず。それに対抗しようとしたら、「日本では」なんて言っていては間に合わないのではないかな? 音楽配信が決断できずにずるずる衰えていったソニーのように。