【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

食レポ

2019-04-20 08:03:36 | Weblog

 口に入れた瞬間即座に「美味しーい」とか、あるいは明らかに事前に準備していたとおぼしき(本人はしゃれた言い回しのつもりの)台詞をべらべら垂れ流すレポーターがいますが、「今この瞬間」の「これ」が「どんな味」かが全然リアルに伝わってこないのは食レポと呼んではいけないのでは、と私は腹立たしく感じることさえあります。
 「食物の味」って、見た目、におい、温度、舌触り、歯ごたえ、味、のどごし、飲み込んだ後に残った味と香り、などの複合物ですから、口に入れて0.1秒で言ったり、何を口に入れても同じことを言ったり、は食べたものに対する冒瀆だ、と感じるのです。

【ただいま読書中】『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』三方行成 著、 早川書房、2018年、1600円(税別)

 本書のタイトルを見た瞬間「何なんだ、これは?」と私は絶句します。「トランスヒューマン」は人類の未来像、「ガンマ線バースト」は天体現象、そして「童話」。ラリイ・ニーヴンの長篇『インテグラル・ツリー』では「中性子星の周囲の降着円盤の中で進化した人類の物語」が描かれていましたが、それの童話版かな、と思いつつ私はページを開きます。

 目次:「地球灰かぶり姫」「竹取戦記」「スノーホワイト/ホワイトアウト」「〈サルべージャ〉vs甲殻機動隊」「モンティ・ホールころりん」「アリとキリギリス」

 最初の一作で私は早くもダウンしてしまいます。私が知っている童話がSF的に変容させられ、しかもそれがガンマ線バーストと組み合わされているのです。強引です。強引すぎる展開ですが、面白い。よくもまあこんな物語を思いついたものです。
 ただ、残念ながら「スノーホワイト/ホワイトアウト」あたりの途中で中だるみの雰囲気となり、最後に何とか盛り上げようとして、残念ながら中途半端に本書は終わってしまいました。なんでこんなに中途半端なのかな、とあとがきを見たら、これはハヤカワSFコンテストの優秀賞受賞作だったんですね。最優秀賞ではなかったわけは、本書を読んだらなんとなくわかります。童話をSF的に解釈する、はそれほど珍しい試みではありませんが、本書は「トランスヒューマン」と「ガンマ線バースト」を絡めたところが新鮮でした。これで「短編同士の連携」がもっと有機的複合的だったら、異様な迫力が出たはずなんですけどね、惜しかった。



寄付

2019-04-19 06:30:13 | Weblog

 ノートルダム大聖堂が燃え、世界中から再建のための寄付が集まっているそうです。ところでそれに対して「もっと寄付を必要としているところがある。どうしてそちらに寄付をしないのだ」などと問題視をする向きもあるのだそうです。
 私は不思議です。「寄付」って、寄付をする人がどこにいくら寄付をするか、を自分で決めて行動するもの、ではありませんか? 「寄付をしない人」が他人に向かってどこにいくら寄付をしろ、と決定してあげるもの、ではないはず(北朝鮮のような全体主義国家だったら“そういうもの"かもしれませんが)。で、ノートルダム以外に寄付をするべきだ、と考える人は“ご自分"がそちらにじゃんじゃん寄付したらそれで良いはず。
 他人に向かって“別の方"に寄付しろ、と要求する人は、その他人以上に“別の方"に寄付をしているのかな?

【ただいま読書中】『麦酒とテポドン ──経済から読み解く北朝鮮』文聖姫(ムン ソンヒ) 著、 平凡社(平凡社新書900)、2018年、840円(税別)

 著者は「朝鮮新報(朝鮮総連の機関紙)」の記者として「拉致問題はあり得ない」と書いてきていました。それがひっくり返ったのが2002年日朝首脳会談で金正日総書記が小泉純一郎首相に拉致を認めて謝罪したときでした。結局著者は記者を辞め、東大大学院に入学して北朝鮮の研究をすることにします。これなら平壌での特派員生活の経験も生かせるだろう、と。修士2年、博士7年の結果、論文「北朝鮮における経済改革・開放政策と市場化」で学位取得。それをベースとして一般向けに平易に書いたのが本書だそうです。著者は大学生時代の1984年から2012年まで、計15回訪朝しているそうですが(その内長期滞在は4回)、その実体験からは、日本で一般的な「北朝鮮のイメージ」とは違うものが見えています。
 ソ連の崩壊で、それまでソ連や東欧から「友好価格」で買えていた原油・コークス・ゴムなどを、北朝鮮は「市場」から(それまでのルーブルではなくて)ドルで調達しなければならなくなりました。外貨はすぐなくなり、エネルギー不足→生産の不足、94年には建国の父金日成が死去、95年96年には未曾有の大水害。穀物生産は、最小必要量の半分に低下します。政府の計画経済と固定価格システムは崩壊、人々は闇市に頼るようになります。北朝鮮政府はその「現実」を追認するように、「固定価格の大幅な値上げ」と「市場の公認」を行いました。しかしインフレはどんどん進行、09年には100対1のデノミが実施されます。政府はこれで物価が下がり生産が増え市場の機能が弱まる、と期待していたようですが、私は逆に、なんでそんな期待をしたのだろう?と不思議に思います。額面を変えても生産力は変わらないでしょう? 実際にこのデノミは大失敗。物価上昇は加速し、給料は据え置きの人々は食べていけなくなり怒りをため込みます。
 2011年に著者は、物乞いをするストリートチルドレンやホームレスを駅で見かけます。それでも人々は「90年代の本当に苦しかった時代を回顧(あるいは懐古)する余裕」を持っていました。
 北朝鮮は社会主義国ですから、「私企業」は存在しません。存在しないはずなのですが、著者は「明らかな個人事業主」をたくさん目撃しています。彼らははじめは警察がやってくるとバッタのようにわっと逃げていましたが、やがてダニのように商売の場所にしぶとくしがみついて逃げなくなっていきます。
 企業経営でも、「社会主義企業責任管理制」という名前で、経営権の重要な部分が民間に移譲されつつあります。
 つまり、統制経済は「改革」の真っ最中のわけです。政府は公には認めませんが。
 「対外奉仕取引」という聞き慣れない言葉があります。これは北朝鮮から外国に労働者を派遣しての外貨獲得です。一番最初は1977年のリビアですが、2016年米国務省の報告では23箇国に派遣されているそうです。人数は5万〜12万までいろんな説がありますが、北朝鮮政府は公式には何の発表もしていません。「利益」は国と労働者で分けられますが(その割合も非公表)、年間1億5000万ドル〜23億ドルと推定値にずいぶん幅があります。ただ、経済的実利はありますが、派遣された労働者を通じて「外国の情報」が北朝鮮に入ってくるリスクもあります。
 「戦闘」もよく行われます。これは労働者の総動員体制を示す言葉ですが「草刈り戦闘」「秋の取り入れ戦闘」「冬季漁獲戦闘」などと使われます。何とも勇ましい国です。
 2008年まで女性のパンツ・ルックは禁止されていました。だからパンツ姿で歩いていた著者は街角で風紀を監視しているおばさんに呼び止められました。ところが10年に北朝鮮に入ると、解禁されたらしく、街角はパンツ・ルックの女性で溢れていました。ただし、体に密着したものやジーンズは禁止だそうです。誰がどうしてそのように決めているんでしょうねえ。ちなみに、10年には夜間営業の遊園地ができていて著者は驚いたそうですが、そこはイタリア製の絶叫マシンがそろっていて、女性のスカートが禁止されていたそうです。
 「ビールは韓国より北朝鮮の方が美味い」……これは2012年にイギリスの「エコノミスト(電子版)」が伝えた記事で、韓国のビール業界は大ショックだったそうです。実際著者は北朝鮮の大同江(テドンガン)ビールが大好きで、訪朝したらせっせと飲むそうです。2011年にはアメリカに42万本の大同江麦酒が輸出されることになっていましたが、経済制裁のため中止となりました。
 私が小学生の時に「戦前の朝鮮は、工業の北・農業の南、だった」と習いました。その名残か、1960年代までは経済的には北朝鮮の方が韓国よりも豊かでした。しかし70年代に逆転。その原因は、北朝鮮の軍拡路線、と著者は指摘します。過大な軍事費が経済の足を引っ張りました。同時期に韓国は、ベトナム戦争特需や日韓関係正常化による円借款などで高度成長期を迎えました。もしも北朝鮮が経済的に豊かになることを望むなら、歴史と諸外国のやり方から学ぶ(現在のやり方を捨てる)しかないでしょう。軍拡路線が捨てられるか、それが鍵のようです。それは、北朝鮮だけではなくて、いろんな国によいことをもたらすはずなんですけどねえ。



逆コース

2019-04-18 07:04:30 | Weblog

 本日の『さもなくば喪服を』は、久しぶりに読みたくなった本ですが、私が持っている文庫本は書庫の奥深くに埋没状態なので、図書館から借りてきました。おや、単行本です。奥付を見ると「文庫本を単行本にした」とあります。“普通のコース(単行本が売れたら文庫化)"の逆ですね。ともあれ、文庫本よりは字が大きめで読みやすいので、私は単純に喜んで読み始めました。

【ただいま読書中】『さもなくば喪服を ──闘牛士エル・コルドベスの肖像』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール 著、 志摩隆 訳、 早川書房、2005年、2600円(税別)

 大航海時代のスペイン南端アンダルシアの中心部に位置するロンダでは、貴族たちが競技場で、野生の牛を馬に乗って追い回して殺す危険で血なまぐさい遊びに興じていました。これは、貴族たちの戦闘能力を鍛え、それを見守る庶民には娯楽を提供するものでした。ところが18世紀初め、ある貴族が牛に逆襲されて落馬、あわやという時、馬場の整備係として雇われていた大工見習いフランシスコ・ロメロが飛び出して平たいアンダルシア帽をおとりとして牛を誘い何度もその突進をやり過ごすことで貴族を救いました。その行為が評判となり、ロメロは徒歩で牛と戦う専門家となり、アンダルシア帽は緋色のサージの布「ムレータ」になりました。「騎士の技術」「スペイン帰属の遊び」が、「徒歩の貧乏人が金持ちのためにやってみせる遊び」になったのです。さらにロメロは大金持ちとなり、この「遊び」は貧乏人に新たな地平を切り開くものとなりました。地平の向こうにあるのは「富と名声」あるいは「絶望と苦痛」でした。
 そこで話は過去に遡ります。スペインの君主制が共和制になり、貧しい人々は未来に希望を持てるようになった時代。しかし社会は混乱し、「極左」と「極右」しか選択肢がなくなったスペインは、内戦へ。残虐行為が行われ、それに対する報復として残虐行為が行われ、またそれに対する報復が…… 戦いは膠着状態となり、フランコはドイツとイタリアに助力を求めます。共和制側は、フランスとイギリスに助けを求めますが断られ、ソ連とヨーロッパ各地の共産党に助力を求めます。内戦が国際紛争に拡大したのです。その中には、近く起きるであろう世界大戦のために“予行演習"をしておこくという軍の専門家も混じっていました。血みどろの内戦がやっと終わり、その後の粛清も終わった後、スペインは強制された安定、長い長い不安の時期を過ごすことになります。
 牧場では、「人を殺すため」の牛が育てられていました(その可能性が薄い牛は、あっさり屠畜場送りです)。体重は半トン以上、研ぎ澄まされた角、俊敏な運動能力、その選ばれた牛が闘牛場に登場すると、観客は熱狂します。牛は、目の前にひらめくケープ目指して突進し、通過すると即座に方向転換をしてまた突進をします。その間に闘牛士は牛の癖を学びます。そして、牛もまた自分が何をするべきかどうすればそれができるかを学んでいくのです(30分戦えば、牛は人にどうすれば勝てるかを完全に会得するそうです)。マドリードの闘牛場で2万3千人のファンの前で闘うエル・コルドベスは、インプルシボという名の牛と何度かきわどいすれ違いをやって見せた後、この牛の左眼が見えないことに気づきます。これはつまり、定型的な手順を踏んでいたら、牛が急に頭を振って自分の体が角にかかる可能性が高いことを意味します。
 儀式のように(というか儀式そのものでもある)闘牛の場面が粛々と進みます。それと並行して、内戦からその後の時代に育ったエル・コルドベスの厳しい人生が描かれます。
 しかし、牛を殺すのにあれだけ厳しい規則と手順を踏むスペイン人が、敵の人間を殺すときにはものすごくあっさりと実行するのに、私は驚きを感じます。
 孤立主義を貫けなくなったスペインは、外貨の導入や入国査証の廃止、という「革命」を行い、それによってスペイン社会はがりがりと変化していきます。闘牛もまた変わっていき、その流れに乗ったかのようにマノロという青年が鮮烈にデビューをしました。他の時代だったら、彼は単に無名の闘牛士志願の青年の一人でしかなかったでしょう。しかし、才能と努力と体格と勇気と人との出会いと時代と幸運が上手く噛み合ったとき、何かが起きたのです。
 文盲で地球が丸いことさえ知らず、地元の警察には札付きの不良と認識されていた少年(青年)が、大成功をした物語、とまとめたら、本書の20%くらいしか伝えていないことになるでしょう。本書はもっと“大きな"本です。未読の方は、ぜひ。



不法就労

2019-04-17 07:21:34 | Weblog

 特殊詐欺の電話の拠点をタイに置いていたグループがタイ警察に摘発されていましたが、その容疑が「不法就労」だそうです。私はこのことばを「労働ビザを持たずに不法に滞在して労働していること」と理解していたのですが、するとタイ警察は「特殊詐欺」も「労働」と見なしている、ということに?

【ただいま読書中】『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』ゲイリー・シュタインガート 著、 近藤隆文 訳、 NHK出版、2013年、2300円(税別)

 トランプ大統領が圧倒的な人気となって長期政権を築いた後(の残骸)のような「アメリカ」。「超党派党」が絶対となり、アメリカ陸軍と名乗る武装した兵士が国内を傍若無人に闊歩し、人々はアパラットという個人的な情報アイテム(iPhoneみたいなものかな?)に依存した生活をし、数値化された信用度や性的魅力を誇示することで生き抜こうとしています。通貨はなんと「元」です。しかし、人が集まると「生物学的指標(年齢、健康度、性的魅力など)」や「社会的指標(経済力など)」が公開され瞬時にその場でランキングが形成される、という社会は、私にはとっても生きにくいものに見えます。
 「本」という時代遅れのアイテムを愛し性的魅力は最低ランクのレニー(39歳、ロシア系ユダヤ人)は、イタリアで出会った若くて魅力的な韓国人のユーニス・パークへの思いを噛みしめながらアメリカに帰国します。彼の夢は「無制限生命延長(つまりは不死)」を達成するためのスポンサーを得ることでしたが、それに見事に失敗しています。
 『1984年』では、「ビッグ・ブラザー」という名前を与えられて、ある意味「支配者」がわかりやすくなっていました(それが本当の支配者かどうかは、また別の問題です)。しかし本書では、人々は何に怯えたらよいのかよくわからずに怯えています。「身に覚えはないけれど、非国民と糾弾されたらどうしよう」と怯え続けている、と言ったら、戦前の日本人には直感的に理解してもらえるかもしれません。
 アメリカは落ちぶれています(だから「復興局」が絶大な力を持っているのでしょう)。他の国(たとえば中国)からの援助が必要ですが、アメリカ人にはそれはプライドが許さない問題です。政治と経済と両面のディストピアの中、人々はお互いの公開情報を見つめながら、少しでも自分が得をするように生きています。しかし、レニーとユーニスは、お互いのことを、愛しているようなそれとはまたちょっと違う感情を持っているような……
 ユーニスの「ティーン(メール、ライン、チャット、のようなもの)」が絶妙です。本音バリバリ、下ネタ満載、お母さんはなぜか直訳調の英語を使います。ユーニスは「自分の家庭には大きな問題がある」と考えていますが、さて、それは何だろう?
 陰鬱なグローバル社会での「ロミオとジュリエット」のような純愛物語の雰囲気ですが、純愛と言ってもそれは精神的な態度のことで、肉体的には二人は出会ってすぐにクンニリングス、その後すぐに同棲、彼女は彼の上司に会うとすぐに惚れてしまう、なんて些細な事実は積み重ねられているのです。
 アメリカはベネズエラに出兵して泥沼の戦いをしていましたが、中国が米国の債権から手を引くことで恐慌と内戦が始まり、そこにベネズエラ海軍が攻撃を仕掛けてきて……アメリカは強制的に解体処分を受けているかのような有り様になってしまいます。そして、レニーとユーニスには、別れの瞬間が。
 「過剰に饒舌なレニーの一人語り」と「強烈な口調のユーニスのティーン」のくり返しに翻弄されていましたが、最後の章は「真っ当な英語(の翻訳)」となっていて、これはこれで私にはショッキングでした。いやもう、この本の迫力は、実際に読まなきゃわかりません。読んで下さい。



左回り

2019-04-16 06:54:42 | Weblog

 昨日「地球の自転や公転はどちら回り?」と疑問を書きましたが、“正解"が本日の本にありました。「北極側」から見たら「左回り」なんだそうです。一つすっきりしました。

【ただいま読書中】『火星ガイドブック』鳫宏道 著、 恒星社厚生閣、2018年、2600円(税別)

 地球は約2年2箇月ごとに火星を追い抜きます。地球と火星が一番接近しているわけで「衝(しょう)」と呼びます(ちなみに、火星が太陽の向こう側にあって地球から一番離れている時は「合(ごう)」です)。地球の軌道はほぼ円形ですが火星は楕円形で、「衝」でも一番近いのは(火星の近日点(太陽から2億km)で地球が追い抜く「大接近」の時は)地球が8月末、「衝」で一番遠い(太陽から2億5000万kmの「小接近」)は2月末となっています。
 肉眼以外での火星表面の観察は、17世紀のガリレオ・ガリレイからです。ただしガリレオ・ガリレイの望遠鏡では火星表面はきちんとは見えませんでした。当時の望遠鏡では、単に倍率を上げると、色収差と球面収差のために像がぼやけるのだそうで、19世紀になってやっと「火星の地図」が作られるようになります。そして、スキャパレリが「カナリ(イタリア語で「スジ」「水路」)を発見した、と発表。これがフランス語・英語で「キャナル(運河)」と翻訳されたため、話が俄然盛り上がってしまいます。運河は人工物、ならば火星人がいるのだ、と。
 今から43〜40億年前、火星は温暖な気候で、北半球に最大深度1600mの海もあったことが確実視されています。火山活動もありました。40億〜38億年前、太陽系後期重爆撃期と呼ばれる、小惑星や彗星の猛烈な衝突が起き、火星では海のない南半球に多くのクレーターを残しました(地球の月のクレーターはほとんどこの時期に形成されています)。その後火星の核は冷えて流動性を失い、磁場は消滅、大気は太陽風に少しずつはぎ取られていきました。30億年前から現在までは地質学的に火星は「アマゾニアン」と呼ばれます。火山活動はまれにありましたが、やがてすべて停止。現在の寒冷な環境で安定しています。
 火星探査機は、1962年のマルス1号(ソ連)が最初です。65年にはマリナー4号(アメリカ)が初めて火星の近接写真撮影(と地球への送信)に成功。71年のマリナー9号は初めて火星を周回する軌道に乗ります。349日の観測で火星について様々なこと(たとえばオリンポス山が地球のエベレストの2倍以上の高さであること)がわかりました。そして75年からのバイキング計画は「火星の生命」についての探査を始めます。2001年のマーズ・オデッセイは、火星上が人類が住める環境かどうかの調査も行いました。
 火星周回軌道からNASAの探査機「マーズ・リコネサンス・オービター(MRO)」が、エンデバークレーターの淵にスメクタイトという粘土鉱物の存在を探知し、着陸したオポチュニティが実際にその場に行ってスメクタイトを発見した、というエピソードも紹介されます。これって、すごいことでは?
 火星の大気の95%は二酸化炭素ですが、これは直接氷(ドライアイス)になったり大気に放出されたりしています。つまり、温度によって火星の大気の量は大きく変動します。気圧は地球の100分の1以下ですが、大砂嵐が起きます。そして、その間に地表の温度はどんどん下がります。この観測結果から「核の冬(核戦争後に地球が寒冷化する現象)」が言われるようになりました。「火星を知ること」は「地球を知ること」に通じていたのです。



左回り?右回り?

2019-04-15 06:58:39 | Weblog

 地球は自転しているし公転しています。で、この回り方は、左回りです?それとも右回り? これは(銀河あるいは地球の回転軸の)北極側から見るか南極側から見るか、で逆の表現になります。
 で、左でも右でもよいのですが、自転の回り方と公転の回り方は、同じ回り方でしょうか?それとも逆の回り方?

【ただいま読書中】『頭脳勝負 ──将棋の世界』渡辺明 著、 筑摩書房(ちくま新書)、2007年、700円(税別)

 著者の渡辺さんの名前が鮮烈な輝きを持ったのは、竜王奪取のときでしょう。弱冠20歳、これはすごい棋士が出現した、と私はその将来に期待しました。だけど、当時の一般マスコミは(今の藤井さんの扱いとは違って)全然渡辺さんに注目しないのね。逆に今の藤井さんの扱いを見ていると、マスコミの基本態度って、何なんだろう、と思います。「ニュースの価値」は「それ自体」ではなくて「流れ」で判断している、ということなのかな。
 勝負の時、棋士がどう決断したか、は棋譜を見たらわかります。しかしその決断に至るまで、どんなことを考えどんな選択肢をなぜ捨てていったか、は外からはわかりません。それを棋士本人が語ってくれる、贅沢な本です。
 対局がないオフには何をしているか、高校生活と棋士の生活をどうやって両立させたか、プロ棋士の報酬の財源……など具体的に興味深いことが記されています。私が面白かったのは、対局前から「駆け引き」が始まっている、ということ。相手の得意戦型と最近の傾向から次の対局でどうやって来るかを予想し、それに対する対策を考える。逆に、自分の最近の傾向から相手が自分のことをどう予想しているかも考える。もしも両方の頭の中が見えたら、実に面白いものが見えそうです。
 2007年のコンピューター将棋ソフトは、けっこう強くなってきていて、私はもう勝てないなあ、と思うレベルになっていました。著者は「ボナンザ(という当時最強のソフト)は、持ち時間が1時間なら奨励会3級、10秒将棋なら奨励会2〜3段」と評価しています。もっとも、著者とボナンザの公開対局の日にはボナンザが進歩していて「持ち時間が1時間なら奨励会2〜3段、10秒将棋ならプロ棋士」までになっていて、苦労したそうです。ただ、この時点で著者は「トッププロが負け越すところまでのソフトの進化はないのではないか」と予想していますが、これは外れてしまいましたね。AIの深層学習というおそろしい手法は、人間の予測をはるかに超えた物を産みだしてしまいました。
 本書出版時、藤井聡太さんはまだ幼稚園児。いやあ、笑っちゃうしかありませんね。そして、今幼稚園児や小学生をやっている人たちの中から、さらに次の世代の棋士が次々登場してくるのでしょう。未来が楽しみです。



忘れられないトウモロコシ

2019-04-14 08:08:36 | Weblog

 若い時にオートバイ旅行をしていて、長野県だったか山梨県だったかのトウモロコシ畑沿いの屋台で、「今朝取ったばかりのトウモロコシ」を食べたことがあります。焼いてちょっと塩をふっただけだったのに、ものすごいご馳走に感じました。思い出の中で味は美化されているのかもしれませんが、美化されていてもいいや、あの美味しさは大切に噛みしめていきたいと思っています。問題は、あれを越える味のトウモロコシに出会えていないこと。これは不幸なのかもしれません。

【ただいま読書中】『トウモロコシの歴史』マイケル・オーウェン・ジョーンズ 著、 元村まゆ 訳、 原書房、2018年、2200円(税別)

 トウモロコシは、苞葉に包まれ穀粒が密集しているため、自力で地面に種を落とすことができません。つまり、生き残るためには人の助けが必要なのです。そのためには食べられてしまうのですが。
 トウモロコシの起源は、7000年前のメキシコ中部、とされていますが、パナマやエクアドルの方が古い、と主張する学者もいます。
 ヨーロッパ・アフリカでトウモロコシを主食とした人々は、ペラグラ(ビタミンのナイアシンが不足して罹る病気)に悩まされましたが、アメリカの先住民は平気でした。収穫したトウモロコシを木灰などを混ぜたアルカリ水で処理していたために結合型のナイアシンが吸収されやすくなっていたのだそうです。どうやってこの方法を見つけたんでしょうねえ?(これが見つけられなかったら、トウモロコシは先住民には主食としては採用されなかったことでしょう)
 世界で生産されるトウモロコシの20%は人の食料となりますが、2/3は家畜の飼料、10%は工業製品となります。アメリカでは世界のトウモロコシの2/5が生産され、国内ではアイオワ州が1位です。そういえば映画「フィールド・オブ・ドリームス」(原作は『シューレス・ジョー』)もアイオワ州の広大なトウモロコシ畑が舞台でした。
 トウモロコシは食料として実に多彩に利用されていて、食料品店の棚にはトウモロコシを含む商品が三千五百種類並んでいるそうです。コーンの形をしていなくても、コーン油やコーンスターチはいろんなものに含まれているでしょう。アメリカの映画館で人気のあるポップコーンは、実に5600年の歴史を有しているそうです。
 日本にトウモロコシが伝わったのは、1580年ころの長崎ですが、重要視されるようになったのは明治時代になってからでした。たしかに江戸でトウモロコシをかじっている、という浮世絵などはなさそうですね。
 インドでは、米、小麦に次いで第3位の食用作物で、屋台で人気なのは「コーンサラダ」、さらに穀粒をはずした後の軸も直火で焼いて塩とレモン汁をかけて売っているそうです。軸って、食えるの? 食物繊維は豊富そうですが、味はどうなんだろう?
 アメリカ、フィリピン、ルーマニア……世界各地で「トウモロコシ料理」は実に多彩です。グローバルに大人気。
 飲み物としても人気があります。ノンアルコールもあれば、ビールやウイスキーも。ただ「チチャ・デ・ホラ」(アンデス)というビールやハイチの「ワイン」は、人が粒を噛んで唾液を混ぜて吐きだしたものが原料なんですよねえ。あ、でも日本にも「口噛み酒」がありますから、頭から嫌ってはいけないようです。



ホヤの売り先

2019-04-13 06:40:50 | Weblog

 東北の農産物に対して「放射能がコワイ」と輸入規制をかけていることに対して、WTOが「科学的事実はともかく、法律的には『怖がる自由』がある」と判断したそうです。
 なんだか「福島の産物に対する風評被害」を国際的に公認されてしまったようないやな気分ですが、「感情的なコワイコワイ」に対して「論理的科学的に大丈夫」は無力だ、ということなのでしょう。これは、国外だろうと国内だろうと同じことに思えます。すると、もうちょっと別のアプローチが必要そうです。
 昨夜のニュース画面ではホヤ生産者が困った困ったと言っていましたが、たとえば西日本にもっと売り込む、なんてのはどうです? 私が育った地域では私が小さいときにはスーパーには納豆はほとんど置いてありませんでしたが、今では普通に売っています。それと同じように、現在スーパーの店頭で見かけることがないホヤも「普通に売っているもの」になれば良いのでは? 少なくとも私は平気で食べますよ。

【ただいま読書中】『フロックの確率』ジョセフ・メイザー 著、 松浦俊輔 訳、 日系BP社、2017年、2200円(税別)

 外国にぶらりと出かけてたまたま入ったカフェに、やはり外国にぶらりと出かけていた兄が座っていた。シカゴでタクシーに乗って、3年後にマイアミでまたタクシーに乗ったら、シカゴの時と同じ運転手だった。
 こういった「そんなことがあるんだ」と思ってしまうことについて、「起こり得ることは起こる」という立場から書かれた本です。「確率は、直感に反する形で動いている」がその原理です。
 まずは言葉の説明。「オッズがm対n」と言うとき、その事象がn回起きるのに対して起きないのはm回、という意味です。すると起きる確率は「n/(m+n)」となります。
 さて、いかさまのないコインによるコイントスでは、表と裏の出るオッズは「1対1」になるはずです。でも、それは本当でしょうか? そこで著者は「百万回のコイントスの結果」を表にして示します。さすがに実際にやったのではなくて、コンピューターによるシミュレーションですが。これで表が出たのは「50万と10回」でした。オッズは「ほとんど1:1」ではありますが、「完全に1対1」ではありません。さらに細部を見ると、たとえば「表が122回連続で出た」とか「裏が694回連続で出た」部分があります。これって直感的には受け入れ難いのですが、確率とは“そんなもの"のようです。
 さらにオッズは「個」を語りません。あくまで確率です。どんなにあり得ないように見えても、起き得るものは起きる。ただしそれが誰に(何に)いつ起きるかはわからないのです。
 著者は「偶然の一致」は、実はけっこうこの世には頻繁に起きているが、それを人が「認識」するかどうかが重要だ、と主張しています。意外な場所で意外な人に出会ったらそれは「偶然の一致」として重要視されるかもしれませんが、意外ではない場所で意外ではない人に出会うことは無視されます。だけど「出会っている」ことはまったく同じなんですよね。あるいは、出会い損ねていることも。



増税の目的

2019-04-12 07:45:18 | Weblog

 もちろん税収アップが増税の目的です。ところがこんどの消費税増税では「ポイント還元」が行われる、とのこと。この財源は、当然増税分ですよね。これでは税収はアップしません。だったら増税を延期しても同じでは? それとも「輪転機をじゃんじゃん回す」ことで財源にするのかな? でも輪転機ではポイントは印刷できませんよねえ。

【ただいま読書中】『古代エジプトの性』リーセ・マニケ 著、 酒井傳六 訳、 法政大学出版局、1990年(2009年新装版)、2600円(税別)

 古代エジプトでは、未婚男性が愛人を持つことは適法でしたが、既婚者では非難の対象でした。既婚女性が姦通をしたらギリシア時代以前なら死刑になったかもしれませんし、ギリシア・ローマ時代なら離婚となったかもしれません。男の場合も非難されるのですが、残された手紙からは「どうもその行為は存在していたらしい」ことが読み取れます。男が別れた妻に対して「自分は、別の家でも自分の家でも、女と交渉を持ったことはない」と言い訳をしていたりするのです。しかし、紀元前2000年ころの手紙には「正妻がいても内妻を持つことは正しい行為」と書かれています。
 貞淑な女がいかにすくないか、の逸話も笑ってしまいます。神の罰で盲目となった王(セフストリスの子)は神からの「夫以外を知らない女の尿で目を洗えば見えるようになる」と託宣を受け、自分のお后をはじめとする多くの女たちの尿で試しましたがまったくよくならず、町が一杯になるくらいの女の尿を試した後になってやっと回復した、というのです。で、その後、無効だった尿の女を全員町に閉じ込めて焼き殺し、効果のあった尿の女を自分のお后にした、って、その女性と夫の立場は?
 同性愛については史料が非常に乏しいのですが、男が男を犯すのは、快楽ではなくて侵略(自分の優位を示す行為)と定義されているようです。女性の同性愛については、さらに史料がないのですが、明確な禁止条項もありません。
 近親相姦は基本的にタブーですが、王家では正当性の確保のために行われることがあったようです。それが、名目上のことだったのか、実際の行為を伴っていたのかは、外側からはわかりませんが。
 壁画に「勃起したペニス」は数多く登場していますが、これは必ずしもエロチックな意味ばかりではないそうです。ヒエログリフでは「勃起したペニス」はある単語の「音」を示すものだったのだそうです。シニフィエとシニフィアンの関係は「恣意的」、の例に使えるかな?
 言葉遊びもあります。「射精する」は「セティ」ですが、同じ言葉が「(酒などを)注ぐ」「射る」にも使われました。すると、宴会や狩猟の場面も下手するとエロチックな場面とすることが可能になってしまいます。
 古代エジプト人も「人間」であることが本書でよくわかります。それと同時に、様々なエロチックな話をパピルスに記録・保存していた点で古代エジプト人はすごいと思います。記録魔というのは、歴史的観点からは尊敬すべき人たちです。



都構想

2019-04-11 06:38:37 | Weblog

 「都」と呼ぶためには、そこが日本の「都」であった歴史がほしい、と私は感じます。もちろん大坂にもかつて「難波宮」か置かれていたことはありますが、短期間だし、飛鳥時代の「日本」は「今の日本」よりはずいぶん小さいですよね。ということで、日本に「都」は「京都」と「東京都」の二つがあれば十分、が私の意見です。

【ただいま読書中】『鳥取藩の御蔵所・事件簿 〈藩政資料『御目付日記』より〉』佐々木靖彦 著、 今井出版(鳥取県文化芸術活動支援補助金助成事業)、3500円(税別)

 元禄十年〜明治四年分の鳥取藩の『御目付日記』から、御蔵所(藩の米を保存する倉庫)に関するものを抜粋・解読・解説した労作です。
 鳥取藩では領内に十箇所以上、大阪にも御蔵所が設けられていました。年貢米を搬入し、扶持米として搬出する機能を持っていますが、江戸時代には「米」は「食料」であると同時に「通貨」ですから、今で言うなら「米倉庫」であると同時に「日銀の金庫」でもあるわけです。
 私が蔵奉行や蔵番だとしたら恐れるのは、鼠や虫に食われる・雨漏りなどで米が傷む・火災・盗難・紛失などでしょう。だから、厳重な管理が必要になりますが、それでも「事件」は起きます。それも、考えられるものは全て、ときには、考えられない(想定外)のものまで。御蔵所の掘に子供が落ちて水死したとか、入り口に所有者不明の米が一俵放置されていた、とかも記録されています。帳簿や手形の書き間違いは、これはあり得るでしょうね。
 感情を排して淡々と記述されていますが、蔵番にも真面目な者もいれば無能な者もいたらしいことが読み取れます。
 ところで、現代日本での倉庫や金庫は、大丈夫なんでしょうか?