【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

花火大会

2020-07-20 07:19:05 | Weblog

 今年は花火大会はどこも中止ですよね。あまりに残念ですが、せめて写真でも見て心を慰めようと、図書館から借りてきました。

【ただいま読書中】『花火のえほん』冴木一馬 写真・著、 あすなろ書房、2008年、1200円(税別)

 まずは打ちあげ花火の構造の解説から。花火玉の中には二種類の火薬が入っています。「割薬(割り火薬)」と「星(星火薬)」です。前者は空中で花火玉を割り、星を遠くへ飛ばすための火薬で、星よりも粒が小さく形成されています。星は花火玉が破裂してから、光や色・煙を出しながら飛び散る火薬の粒です。
 星を作るためには、星かけ機という斜めに設置された回転釜で、菜種などの芯のまわりに火薬を少しずつ付けていきます。なんだか金平糖を作る作業に似ています。次に、ボール紙を固めて作った半球状の入れ物(玉皮)に外側から、星と割薬を交互に層状に詰めていき、半球分がぎっしり詰まったらそれを二つ合わせて球状にします。
 花火の大きさは「号」で表現され、2号〜40号まで様々なものがあります。30号が直径90cmということは、「号」は「寸」のことですね。
 打ち上げには、打ちあげ筒が用いられます。その底に打ちあげ火薬をセット、上からそろそろと花火玉を詰め、点火をしたら、打ちあげ火薬の爆発で打ち上がると同時に導火線に点火して上空に行ってから花火玉が爆発、となるわけです。
 「黒玉」という業界用語も紹介されています。これは、不発弾のことです。花火師は、打ち上げの時には花火玉が割れたかどうか見ていて、割れなかったものは、花火大会終了後に必ず捜索をするそうです。残しておいたら危ないですもんねえ。
 スペイン、アメリカ、イタリア、中国の花火も紹介されていますが、それぞれ個性があります。中国では花火玉の大きさは一種類で、青は使わない、というのはなぜなんだろう?
 昭和半ばの花火大会は、「たまや〜」「かぎや〜」というかけ声が似合うようなゆったりしたタイミングで打ちあげられていました。連発は一番最後だけ。それが今では、迫力はありますが、なんだかやたらと「感動しろ」「感動しろ」とせっつかれているような連発だけとなっています。いや、文句を言いたいわけではありませんが、風情よりも感動の時代なんですね。

 


自転車で飯を食う

2020-07-20 07:19:05 | Weblog

 「自転車で飯を食えるようになる」と言えば、ヨーロッパだったら「ツール・ド・フランス」などを目指すことになるでしょうが、日本だったら競輪選手でしょう。では、アメリカでは? アフリカでは?

【ただいま読書中】『健脚商売 ──競輪学校女子一期生24時』伊勢華子 著、 中央公論新社、2015年、1500円(税別)

 タイトルでまずひと笑い。『剣客商売』のもじりですか? もっともあちらは「けんきゃく」ではなくて「けんかく」ではありますが。
 2011年に競輪学校は女子36名を第一期生として受け入れました。
 ところが「女子の競輪選手」はこれが初めてではありません。1949年に競輪が始まったとき、「ミス・ケイリン」と呼ばれる女子選手が開幕から3年で669人もいたのです。ただし人気はすぐに消え、女子選手の募集は5期で終了しました。それどころか、16年目に突然女子競輪は「廃止」となったのです。男子選手は5000人以上に対して女子選手は600人程度。層が薄く、ギャンブルの魅力の一つ「波瀾」が生じにくいレースばかり、が人気が落ちた理由でした。常に本命が勝つのだったら、興奮はありませんから。しかし、当時の選手の話では、そんなに楽にレースをしていたわけではなさそうです。まず親や世間の無理解と戦い、レースでは当時の女子には許されていた「競り(身体をぶつけ合うこと)」で身体は傷だらけ。落車したら死ぬかもしれません。「レース」は大変な商売なのです。
 そして48年。「競輪学校の女子第一期生」が募集されます。応募したのは実に多様な人たちでした。父親が競輪選手なのでその後を追って・オリンピックのケイリンでメダルを目指して、はなんとなくわかりますが、これまで自転車で競技をしたことがない人では、他のスポーツをしていて新たな挑戦を・高校生・教師・モデル・主婦……19歳から49歳までと年齢もばらばら。
 競輪学校は、修善寺の山奥にあります。寮では、携帯電話やパソコンは使用禁止。3食で4000キロカロリーが義務づけられています。著者はそこに自分も泊まり込んで個別にインタビュー。さらに彼女らを取り巻く人たちについても取材をします。色々な人が選手に関わっています。自転車店・コーチ・メカニック・所属チーム・スポンサー……そうか、選手は一人で走っているのではないんだ。
 そういった話を読んでいると「現実はきびしい」と思います。スポーツは「アマチュア」と「プロ」に大別されます。しかし、アマチュアでも「趣味の延長」と「チャンピオン・スポーツ」とは別物です。後者は世界で勝つために行うスポーツで、頭の中はプロと同じなのです。しかし金は稼げません。生きるためにバイトに励むと、練習時間が減ります。自転車一台70万円の世界で、これは大変です。
 「競輪」と「ケイリン」はまったく別の競技だそうです。「競輪」では、同郷の選手が数人チームを組みます。ラインの先頭は風圧が激しく(台風並みだそうです)消耗するので大体若手が担当。ラインの後ろの先輩たちは他のチームの選手を体当たりでブロックして若手が抜かれないように援護します。その動きを読むことで、ファンは車券を買います。だから「競輪」は「記憶のスポーツ」とも呼ばれるそうです。対して「ケイリン」は、各国の選手がばらばらに参加するため、チームを組んだり誰かのために犠牲になったりの動きは一切ありません。単に自分がいかに速く走るか、だけ。
 「ツール・ド・フランス」や「ジロ・デ・イタリア」では、「チーム」があり、集団の先頭を走って風圧を引き受けるとか自己犠牲のストーリーがありますね。「競輪」はそういった長距離自転車競技のスプリント版、ということになるのかな。
 オリンピックへの夢が潰れた人、Vリーグのバレーボールで夢が叶わなかった人、アパレルのOLが趣味で自転車を始めたら深みにはまった人……様々な人が集い、競輪学校を無事卒業できたら「勝負!」の世界に入っていきます。その中には、オリンピック代表に挑戦する人もいました。
 「競輪」は、競技場の“中”でだけ行われているのではなくて、日本全体、さらには地球規模にまで広がったスポーツであることが、本書一冊でもわかります。女子選手だけでこれなのですから、それより数がはるかに多い男子競輪は、一体どんな世界なんだろう、と私は興味を持ってしまいました。

 


売名

2020-07-19 09:14:03 | Weblog

 「これは売名行為だ!」と非難のコメントを熱心に上げる人がネットにいます。私にはその熱心さが不思議です。
 もしも「これ」が売名だとして、そしてその売名行為が「目的」だったら、「非難」もまた注目を集めさせる、つまり「売名の手助け」となってしまいます。私だったら無視します。無視が売名に対する一番の“薬”ですから。
 もしも売名だとして、そしてその売名行為が「手段」だったら、話は違ってきます。その「手段」によって達成しようとする「目的」が何か、が重要となるのです。もしもその「目的」が良からぬ事だったら、その場合にはその「目的」とそれを達成するための手段としての「売名」と、両方を非難しても良いでしょう。でも「目的」が良いことだったら?

【ただいま読書中】『グレタ たったひとりのストライキ』マレーナ&ベアタ・エルンマン、グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ 著、 羽根由 訳、 海と月社、2019年、1600円(税別)

 著者の所、マレーナの夫はスヴァンテで、二人の娘のベアタはグレタの妹だそうです。スウェーデンの「姓」はどうなっているんだろう、と私はまずそちらで戸惑います。
 著者夫妻が戸惑ったのは、グレタが突然食べなくなったこと。病院、クリニック、カウンセラーなどを片っ端から訪れますが診断はつかず、2箇月で体重は10kg減少。そして「アスペルガー症候群」と断言する心理カウンセラーに出会います。この時の一家の努力のすごさに、私は感銘を受けました。特に「記録」。グレタが食べたものと量、要した時間が書いてあるだけなのですが、これがそのままグレタの状態の悪さと回復過程を雄弁に物語るのです。そして、グレタがやっと落ちついてきた頃、こんどは妹のベアタが爆発します。後から思えば、ADHDの徴候が揃っていてしかも姉のことに両親が熱中して妹は放置されていた、という条件だったのです。
 二人の娘に対処するために、マレーナはベアタに、スヴァンテはグレタに集中することにします。そしてグレタは「環境」に熱中していました。
 ここから「環境」についての文章が続きます。グレタにとって、人々の態度は不思議です。口では「環境は大切」「環境破壊は良くない」と言いながら、環境を破壊する行為を平気で続けているのですから。知らないのだったら学べば良いが、知っているのに行動しないのはなぜ? 一家はグレタに感化され、環境について調べ、いかに自分たちが無知か、そして“残された時間”がいかに少ないかを知ります。とりあえず一家は「飛行機を使わない」「自動車は電気自動車」「ソーラー発電」などを始めますが、これだけでは不十分です。
 「環境問題」を「地球の問題」であると同時に「自分自身の問題」と感じたグレタは、「行動」を始めます。はじめは回りの人間やネットでの活動でしたが、これでは多くの人に影響を与えることはできませんでした。そこで「直接行動」。「危機」を「危機」として扱え、と訴えるために「学校ストライキ」を始めます。その準備をしているとき、これまでグレタの足を引っ張っていた摂食障害と強迫性障害は少し軽くなっていきます。
 2018年8月20日、国政選挙のさなか、グレタは国会議事堂まで自転車で出かけ、たった一人で座り込みを始めます。情報はすぐに拡散。色々な人が集まってきます。その人たちと会話をしているグレタを見て、両親は驚愕します。だってそれまで選択的緘黙症で他人と口をきくことが苦痛だったんですよ。
 「子供」がこういった行動をしていると「大人の言いなりで動いている」と自動的に決めつける人が登場します。私は不思議です。思春期の子供って、そんなものでしたっけ? 少なくとも私は大人が言うことには逆らってばかりいましたけれどね。まあ、そういった決めつけをする人はご自身がよほど「良い子(親や偏向教師の言いなり)」だったのでしょう。そして、大人になった今も「良い人(特定集団の言いなり)」をやっているのでしょう。
 グレタの行動に対する、政治家の反応はみごとに“想定内”のものでした。そういえば今回のコロナ禍に対する政治家たちの反応もまた“想定内”のものばかりです。彼らには「自分たちが扱える範囲」というものが厳然と存在していて、それを越える問題では思考停止になって、しかし思考停止はしていないぞというポーズだけは反射的に取るのかもしれません。なんだか使えねえなあ、というのが私の感想です。

 


恩を返さない、の勧め

2020-07-18 07:28:28 | Weblog

 「恩返し」だと「一往復」で話が完結してしまいます。これが「恩贈り(送り)(頂いた恩を別の人に別の形で“返”していく)」だったら、話は「拡大再生産」していきます。「恩着せがましい人(恩返しを期待する人)」以外には、こちらの方がありがたいのでは?

【ただいま読書中】『女嫌いの平家物語』大塚ひかり 著、 筑摩書房(ちくま文庫)、2012年、780円(税別)

 『平家物語』は基本的に「男の物語」です。たまに女性が登場しても、なんだか話のスジが無理やりいじられていたり不自然だったり、なんだか変、ということで、その「変」さを楽しもう、という本です。
 「二代后」は、先代天皇の皇后を見そめた二条天皇が、無理やり自分のお后にした、というお話です。つまり二条天皇は「悪者」役。ここから著者は「後白河院と二条天皇の対立で、後白河院は平氏を使うことで自分が有利になるように画策をしたこと」を背景に、その歴史的背景を説明するためと安直な道徳観を主張するために、このエピソードが平家物語にあとから挿入された、と考えます。
 平家物語には「女院(にょういん)」と呼ばれる女性が何人か登場します。これは「朝廷から院号を受けた女性で、待遇は上皇に準じる貴婦人」のことです。その中で、平家物語で極めて対照的に扱われるのが「建春門院」(平清盛の妻の時子の異母妹、高倉天皇の母)と「八条女院」(後白河院の異母妹)です。平家物語で建春門院は「そねみの女性」としてきっぱり否定的な評価をされていますが、八条女院は平家が都から落ちる際に「情け深さと義侠心との両方を持ち合わせている態度を示した」と実に肯定的に評価されています。本書の著者はそこに「平家物語の“意図”」を感じます。
 さらに、子供に対する親の態度に関して、「平家物語では、ダメ母には厳しいがダメ父には共感を示す」と。そういえば確かに「息子を思う父」はけっこう登場するけれど、「子供を思う母」は影が薄いですね。だから「生涯独身」だった八条女院を好意的に扱うのか、と著者は見ています。
 これはたぶん、女性でないと気がつきにくい事でしょうね。さらに著者は、平家物語の作者は男性同性愛者(女性嫌悪者)ではないか、と推定しています。このへんはもうちょっとほかの人の話も聞いてから、私は判断したいと思っています。
 『平家物語』は史実ではなくてあくまで「物語」ですから、楽しみ方はいろいろでしょう。本書を参考にしつつ、私は私なりの楽しみ方をしたいと思っています。

 


国家と情報

2020-07-17 07:45:18 | Weblog

 中国の法律では、中国企業は国家に情報提供の義務があるそうです。それをアメリカは非難していますが、ではアメリカは同じことはしていないのかな、と思ったら、本日読んだ本では、しているそうです。それも、こっそりと。

【ただいま読書中】『スノーデン独白 ──消せない記録』エドワード・スノーデン 著、 山形浩生 訳、 河出書房新社、2019年、1900円(税別)

 まずは著者の先祖の話が始まります。母方の祖先は父母共にメイフラワー号でアメリカにやって来ました。そして、本書では他の先祖についても紹介がされますが、これは「ルーツ自慢」ではなくて「建国以来のアメリカ精神」について思い起こさせるためではないかな。現在のアメリカでそれを意識している人が少なくなっている、と著者は感じているのかもしれません。
 著者の子供時代は、NES(日本だと任天堂のファミコン)で始まり、すぐに本格的なコンピューターに著者は夢中になりました。著者にとって1990年から20世紀末のインターネットは「クリエイティブな開拓地」でした。そしてそれは著者の思春期ともろに重なっていました。しかし「9・11」。それまでの政治嗜好やハッカーのエートスなどはあっさり吹っ飛び、著者は「愛国者」に瞬時に変身し、陸軍に志願しました。海軍一家でハッカーをやってた人としては、異例の決断です。しかし訓練で両脚を骨折して除隊、別の手段で国の役に立とうと著者は決心します。
 世紀の変わり目頃にインターネットでは監視資本主義が始まり「ぼくたち」はそこで取引される“商品”になりした。同じ頃、諜報機関も「ネット」の重要性に気づき、その人材を求めていました。そこで「学歴」の用件が緩められます。セキュリティ・クリアランス(機密保持のための人物調査)を突破して無事採用された著者は、国の諜報業務の多くが民間に委託されていることに驚きます。民間企業だったら、自社のシステムレベルの仕事に部外者を雇うことは考えられません。しかしアメリカ政府は、最も機密性が高いシステムを民間に任せていたのです。著者はBAEシステムズの下請けコムソ社に雇われますが、勤務したオフィスはCIAにありました。著者が配属されたチームは若造のハッカー集団で、CIAのほとんどのサーバーへのアクセス権がありました。
 戦地への配属を希望したのに“懲罰”としてジュネーブに配属、次はNSAの要員として東京へ。外から見たら“エリートコース”です。本人はあまり嬉しそうではありませんが。東京での書類上の身分はデル社の従業員。勤務地は横田基地です。そこで著者は、NSAの技術力がCIA以上であることと、サイバーセキュリティーがとても甘いことに驚きます。何しろハードディスクの暗号化さえしていないのです。そこでも著者は才能を示し、重要な仕事を任されるようになります。NSAが収集する「すべてのデータ」のバックアップです。単にすべてをバックアップサーバーに放り込むのだったら簡単ですが、重複するデータは取り除く作業が大変なのです。さらに著者は、重要な会議でのプレゼンテーションを任され、中国がネットでいかにアメリカに脅威を与えているか広範な調査をします。そこで「中国政府が『情報管理』の点でいかに中国の人民に専制的な地獄を強いているか」を知り、著者は愕然とします(あるいは腰を抜かして愕然とすることさえ忘れてしまいます)が、同時に「中国の実状についてここまで知っている、ということは、米国政府もまた中国と同等(以上)の情報活動をしているに違いない」ということにも気づいてしまいます。さらに、NSAが、令状を取らずに盗聴を国内で施行している、という疑いも持ちます。そして、まさにそのことを書いてある機密書類と偶然出くわすことになった、と書いてありますが、これは嘘でしょうね。著者はNSAの機密サーバー(おそらくNSA内のネットからも物理的に隔離されているもの)をハックして見つけ出したのではないかな。
 重要なのは「メタデータ」です。データ(通信の中身)ではなくて。いつ・どこで・誰と・何をしていたか。データを大量に集めると、自動的にメタデータが発生し、それによって個人のプライバシーは消滅します。裁判所の令状を取って犯罪者を対象に盗聴するのではなくて、個人のメタデータを日常的に取得し続ける、これがNSAのお仕事でした。これによって「通信の中身」に触れなくても、NSA(あるいは政府)は特定個人のこれからの行動予測が容易に行えるようになるのです。これまでもNSAの活動についてはいろいろ聞いていましたが、私は「データの違法盗聴」が問題だと思っていました。本書で目から鱗、です。
 あまりの衝撃と、その真実を誰にも話せない(国家機密の漏洩になってしまう)ことの軋轢からか、著者はてんかん発作を起こすようになってしまいます。それでも仕事ぶりは認められていたらしく、こんどはハワイで「情報共有局」の職員として働くことになります。もっとも職員は彼一人。つまり「各諜報機関の情報共有」のためなら、一人で好き勝手できるわけ。仕事はせっせとしながら、著者はアメリカ憲法を熟読します。政府は組織的に憲法をハックしている、と感じます。「ホイッスル・ブロワー」になる決心をします。
 本書を読んで感じるのは、著者の素直な感性です。アメリカ憲法の「理想」を信じ、技術は善用されるべきだと信じている著者にとって、アメリカのプライバシー侵害は、身体的な拒絶感を持つ行為だったのでしょう。どうしてこんなナイーブな理想を持つ人が住みづらい世界なんでしょうねえ。

 


ビル風

2020-07-15 07:17:59 | Weblog

 東京都庁ができてすぐの頃、出張で新宿のビジネスホテルに宿泊しました。地下道にはホームレスの段ボールハウスがずらりと並んでいましたっけ。お上りさんだから超高層ビルを眺めようとホテルに向かって地上を歩いていると、異常なくらいの風が吹きつけてきて「ああ、これが有名なビル風か」と思いましたっけ。単に天気が悪かっただけかもしれませんが。
 そういえば、東海道新幹線で東京駅を出てしばらくすると見える日本電気の本社ビルには、特徴的な「穴」がこっぽりと開いていますが、あれもビル風対策だと聞いて驚きましたっけ。通せる柱の数とかエレベーターシャフトなど、設計に大きな負担がかかるだろうな、と設計者に同情しました。

【ただいま読書中】『ビル風の基礎知識』風工学研究所 編著、 鹿島出版会、2005年、2800円(税別)

 ビル風は、周囲との高度差によって被害が大きくなる、と最初にあります。たしかに60mのビルを高層ビルが林立する丸の内に建てても大きな問題はないでしょうが、住宅地にぽんと建てたら、周辺にはいろんな悪い影響が出そうです。
 自然の風は、地表に近いほど乱れが多く風速は減少します。風を乱す“抵抗”が大きいからでしょう。「ビル風」は、風がビルにぶつかって生じる乱流などで被害が生じるのか、と何となく思っていましたが、実際には、風速が増すことによる被害が大きいそうです。もちろん複雑な乱流も生じているそうですが、3次元の世界で関係する要素が多くて、なかなか単純な式では表現できそうもありません。それでも何とかしよう、とするのが学者の性。風洞実験・流体数値解析・既往の研究成果などをフルに活用して、ビル風をなんとかきちんと予測しようとしています。
 ビル風対策もまた多様です。防風林の植樹は、日照を遮ったりその土地の有効活用を阻害したり、というデメリットもあります。風が強いため育ちが悪くなることもあります。落葉樹だと冬は効果がなくなります。その土地でどの方向からの風が多いか、によって設計で対応する場合もあります。隅切りとか風穴が紹介されていますが、日本電気本社ビルは「風穴」だったんですね。あそこに風力発電を仕込んだらけっこう電力がまかなえるかもしれません。

 


コロナ予防

2020-07-15 07:17:59 | Weblog

 あちこちの施設で透明アクリル板による仕切りが大流行中です。しかし、あまりにきっちり仕切ってしまったら、もう一つ大切な「換気」はどうなります? 空気の流れに仕切り板が邪魔なんですけど。

【ただいま読書中】『キリマンじゃろ』南方延宣 作、 広島市みどり生きもの協会、2013年、1000円(税別)

 広島市の朝動物公園で、キリン・ダチョウ・サンバー(鹿の一種)の飼育員をしている(いた)作者が、その日常に題材を取って書いた(定期的に園内に掲示していた)8コマ漫画集です。
 いやもう、動物たちと直接触れ合っているだけあって、その生態の面白いこと(ちなみに「生態」は「動物」と「人間」の両方のことです)。
 現在はコロナ禍で、動物園への人出も減っているはず。そして、入場者が復活したらしたで、飼育員たちは、自分たちの感染機会のことと同時に、動物たちの感染機会についても考えなければならないはずです。しんどいでしょうね。でも、本書のようなユーモアを持って、なんとか乗り切っていってほしいものです。数年後の『キリマンじゃろ』の続編で、今のことが笑いながら読めるようになっていますように。

 


公平さ

2020-07-14 06:57:47 | Weblog

 世の中で一番公平さが要求されるのは、賭博場でしょう。

【ただいま読書中】『パンセ』パスカル 著、 前田陽一・由木康  訳、 中央公論新社(中公文庫プレミアム)、1973年(2018年改版)、1400円(税別)

 「人間は考える蘆である」で有名な本だから哲学書かと思って読んだら(恥ずかしながら、初読です)、エッセイ集でした。初っ端に「人間には幾何学の原理と繊細な精神の両方が必要だ」とあります。「幾何学」? 12世紀ルネサンスで古代のアリストテレス、ユークリッド、プトレマイオスなどの思想を知ったキリスト教徒が「我々は(中世的な信仰心だけではなくて)知性を得た」と言った(そして「スコラ哲学」を作っていった)のを思い出して、パスカルも「幾何学の原理」で「知性」を働かせるべきだ、と主張しているのかな、なんてことを思い、パスカルの前の時代にガリレオ・ガリレイが「宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である」も思い出しました。近代的な代数学はパスカルと同時代のフェルマーなどによってきっちり構築されていくものだから(そういえばパスカルも数学者として確率論の基礎固めに参加していましたね)、パスカルが「幾何学」と言うときそれを私たちは「数学」と理解した方がよいでしょう。そして「数学」は「科学」の基礎なので、パスカルは科学的に世界を考えようとした人、と言うことも可能だと私は考えます。
 最初の2ページでこれだけ考えさせられていたら、この分厚い本(700ページ以上)を読み切ることができるのだろうか、なんて不安になってしまいます。
 ただ、断章の集積は意外とさくさく読み進むことができます。長年書き留められたブログを読み流すような感覚かな。パスカルはモンテーニュが割と好みでデカルトは嫌い、なんて雑学知識も得ることができました。
 第二章では「クレオパトラの鼻」、第三章の「賭の必要性」では、あの有名な「信仰を持つのと持たないのとで、どちらの方が“賭けの損得”が有利か」が登場します。そして第六章に「人間は考える葦である」が。
 本書を通じて私が強く感じるのは、パスカルが「自分の信仰心(疑いを持たずに信じること)」と「自分の知性(すべてを疑うこと)」との間になんとか折り合いをつけようと努力している姿の真摯さです。単純ないいとこ取りや「足して二で割る」の安易な妥協ではなくて、まるで錐一本で大木から仏像を掘り出そうとでもするようなギリギリの所まで攻めようとするパスカルの「知的態度」は、現代にも通用するものだと私は感じました。ここまで真剣にものを考えていたら、疲れそうではありますが。

 


ギャンブル

2020-07-13 07:23:35 | Weblog

 パチンコ屋は相変わらず繁盛しているようだし、こんどはカジノを建設しようと政府は躍起になっています。だけど地方では、競馬場やオートレース場が閉鎖、という話をときに聞きます。日本でのギャンブル市場には、明るい未来が待っているのですか?

【ただいま読書中】『バクチと自治体』三好円 著、 集英社(集英社新書0495H)、2009年、700円(税別)

 日本の競馬は中央競馬と地方競馬に分かれますが、中央競馬は戦前から「(旧)競馬法」によって全国11の競馬倶楽部によって「公認競馬」として開催されていました。対して地方競馬は「村の祭り」のような草競馬でした。1927年(昭和2年)に「地方競馬規則」が農林・内務省令として公布され、全国116箇所の地方競馬場で開催されましたが(東京都では、八王子と羽田)、戦争によって廃止されます。戦後には(根拠法を持たない)「ヤミ競馬」が行われました。ヤミを放置できませんから、1946年に「地方競馬法」が公布されました。ただ「法律」があっても「無法状態」だったようで、八百長・暴動・脅迫などは日常茶飯事だったようです。さらにGHQが「独占禁止法に抵触するから、競馬に関係する団体はすべて閉鎖」の命令が。そこで政府は「競馬を国営化・公営化したら、民間機関の独占状態ではない」と主張して新しい競馬法を公布します。かくして、政府が行う「国営競馬」と都道府県または指定市が行う「地方競馬」が成立します。ところが「地方の顔役が仕切る“鉄火場”」に公務員が乗り込んで行くわけですから、これは大変です。昭和23年の都営競馬開催準備会議では「顔役に対する仁義の切り方」が中心課題になったそうです。
 地方競馬を開催できるのは「著しく災害を受けた市」に限定されていました。つまりは空襲被害です。戦災からの復興の財源として、地方競馬は貴重なもので、競輪・競艇・オートレースが競馬に続いて登場します。戦後復興の財源を庶民から吸い上げるための、実に“優れた”システムでした。この中でも一番“お手軽”だった(走路とスタンドと自転車があれば良くて、騒音問題もない)競輪に多くの自治体が殺到し、あっという間に50以上の競輪場が開設されました。
 地方財政への貢献度で明暗を分けたら、「明」は競輪、「暗」はオートレースです。しかし競輪にも「暗」がありました。頻発する騒擾事件です(その最大のものは鳴尾事件(昭和25年9月9日)。暴動と放火で職員6名が負傷。警官の発砲で死者一人、逮捕者250名)。対策として競輪は2箇月の自粛、再開に当たっては連勝式車検の的中率を上げて平均配当を落とすことで射幸性を薄めるという「変革」を行いました。なんだか、根本的なことはしていないような気がしますけれど。
 「競輪反対」運動は「公営賭博廃止」にまで声が大きくなります。そこで発動されたのが「政治力」。農林省(競馬)・通産省(競輪、オートレース)・運輸省(競艇)をまとめて審議することで、結果として競輪は存続することになりました。ところがこんどは自治省が「公営ギャンブルをやっている自治体とやっていない自治体の財政的な不平等是正」を言い出します。
 東京都では、公営ギャンブルがすべて行われていました。昭和41年(1966)には、競馬場1、競輪場3、競艇3、オートレース1が揃い、世界に冠たる「ギャンブル都市」だったのです。それに危機感を持ったのか、美濃部亮吉都知事は「一切の都営ギャンブル廃止」を宣言します。これでまた大混乱が。さらになぜかこの時期に集中して八百長の摘発が続き、オートレースの事件はプロ野球の「黒い霧事件」に発展します。所がここに「ハイセイコー」という“救世主”が登場。競馬は「健全な娯楽」へと舵を切り、他の公営ギャンブルもそれに続こうとしました。中央競馬ではさらに「ミスターシービー」「シンボリルドルフ」という三冠馬・「武豊」という“スター騎手”のデビュー、という“幸運”が続き、シンボリルドルフが三冠を達成した1984年に、中央競馬の売上がついに競艇のそれを抜きました。平成に入ると、バブル破裂の影響もあってか、地方の公営ギャンブルはどれもゆるやかな売上減少となりましたが、中央競馬だけは一人勝ちで売上はぐんぐん上昇し続けました。これには「スター」の有無もあるでしょうが、「PR」の有無も大きいでしょう。中央競馬はテレビで放映や宣伝をしますが、地方の公営ギャンブルは積極的な宣伝はしませんでしたから。しかし平成10年から中央競馬も売上の減少が始まります。「健全な娯楽」から、血相を変えてお金を全部突っ込む、という人は遠ざかっていったのかもしれません。そして、公営ギャンブルの売上減少はもっとすごいことになっていきました。かつては自治体の財政に貢献してきた公営ギャンブルが、(税金の)持ち出しが必要な金食い虫になってしまったのです。「赤字だから、もうやめ」は経済的には正しい判断ですが、ここでいろいろ難しい問題があり、その部分を読んで私もちょっと考え込んでしまいました。特に競輪は、オリンピックで「KEIRIN」という種目まで生まれていますからねえ。

 


アプリの不具合

2020-07-12 11:15:33 | Weblog

 厚生労働省の「接触通知アプリ」がまた不具合だそうです。厚生労働省は「個人データの収集」は好きだけど、「データを国民のために活かす」のは好きじゃない、ということなのでしょうね。たぶんそんな発想や具体的な作業に不慣れなんだろうな。

【ただいま読書中】『紫外線の社会史 ──見えざる光が照らす日本』金凡性 著、 岩波書店(岩波新書1835)、2020年、800円(税別)

 ニュートン以来、日光(可視光線)は複数の色の混合体であることはわかっていましたが、1800年にハーシェルが赤外線、1801年にリッターが紫外線を発見。1877年には紫外線の殺菌作用が報告されます。日本でははじめは「紫外線」だけではなくて「菫外線(きんがいせん)」という呼び方も使われていたそうです。
 紫外線を日常的に体験できるのは「日光浴」でした。20世紀初めの「国民病」肺結核に対して「日光療法」が新しい治療法として普及しました。また19世紀末から紫外線ランプによる治療(「光線療法」)も医学の世界では始まっていました。「日光浴で結核を治療」と聞くと笑いたくなりますが、21世紀にも「日光を体内に入れてコロナウイルスを消毒」なんて主張をする人もいるので、あまり大笑いはしない方がよいでしょう。
 紫外線は「目には見えない未知の存在」でした。そして100年前の人たちは、ラジウムにも「何か良いこと」を期待したのと同様に、紫外線にも「何か良いこと」を期待したのです(ラジウムについては近い内に『核の誘惑』を読みます)。
 100年前の美容の世界では、太陽光は「美容(色白)の敵」でした。ただ「病的な白さ」よりは「健康的な桜色の皮膚」を良しとする論者もいるので、「美」はなかなか扱いにくいものです。
 ビタミンDと紫外線の関係も一本調子に述べるわけにはいきません。「くる病に肝油が有効だったが、肝油に含まれているビタミンAは無関係とわかり有効成分がビタミンDと名付けられた」「植物油に紫外線を照射したら肝油のようなにおいがしてくる病に有効だった」という世界各地の研究がまとまり、太陽光線と病気の意外な関係が明らかになります。さらにこの話は、鶏肉の大量生産にもつながっていきます。鶏の骨の成長促進に紫外線が有効だったのです。脚気の病因をめぐって「細菌説」と「ビタミン説」が論争をし、結果としてビタミンブームが日本に起きます。
 そういった背景を元に、1927年ころ「紫外線ブーム」が到来します。それまで「賛否両論」だったのが「賛」一辺倒。まるで万能の霊薬のような扱いです。1933年寺田寅彦は「科学と文学」で、当時の人が「科学」としてイメージするものとして「飛行機」「ラジオ」「紫外線療法」を挙げています。日本社会は紫外線を渇望し、同時にその不足に気づくことになります。そこでテクノロジーの出番、「人工太陽」です。この紫外線ランプを使った「太陽灯浴室」「日光浴室」は、小学校や工場などに設置されました。なお写真で見る限り中で紫外線を浴びている人たちはちゃんとゴーグルをつけているので、私は安心します。さらに、家電としての紫外線ランプも開発された、というのには驚きます。家庭で全身に紫外線を浴びて健康増進、だそうです。
 産業界では、牛乳に紫外線を照射して「ビタミンD強化牛乳」として売り出しました。欧米ではこれがくる病対策に有効だったそうです。パン、シリアル、ビールなどもあったそうです。日本では養蚕の関係者が紫外線に注目していました。もっともこれは不発だったようですが。
 「文明生活は人を虚弱にする」という主張から、裸での生活や自然に近い食品を勧める人たちは、「太陽光線を遮る大気汚染や窓ガラス」も敵視しました。で、そのための代替手段が「人工太陽」。自然なのか不自然なのか、文明てきなのか反文明的なのか、よくわかりません。海水浴もまた「太陽に近づく」手段です。昭和の中頃日本の浜辺では盛んに(今は差別語になってしまいましたが)くろんぼ大会が開かれていました。子供たちがいかに日焼けをしたか、競うコンテストです。元気いっぱい外で遊んでいたら、日焼けをして自然に真っ黒にはなるでしょうが、真っ黒になることを目的に砂浜に寝そべっている人たちは本当に健康的なのだろうか、と子供心に不思議でしたっけ。
 「総動員体制」になると「日光浴」を「太陽信仰」とからめた主張が登場します。物資は配給となりますが、紫外線もまた配給の対象です。「産めよ増やせよ」のためには女性の健康が重要で紫外線もその一翼を担いました。
 戦後しばらくしての小学校の保健室に「太陽灯(紫外線ランプ)」が置かれていた、という目撃証言があり、「小児の健康」についての考え方は戦前のものが踏襲されていたことが窺えます。
 昭和30年代は「レジャーの黎明期」で、日本では「日焼け予防」が言われるようになってきました。ところが同時期の欧米では日焼けは「セレブのファッション」として重要でした。黒人差別と両立していたのが、不思議ではありますが。
 1970年代に「公害」が社会問題化、ロサンゼルスの「新型スモッグ」が排気ガスと紫外線で発生する、と報じられます。さらにそれまでも「強い紫外線で皮膚炎」は言われていましたが、さらに皮膚がんに対する言及が増え、80年代のレーガン大統領の皮膚がん治療が大きなニュースとなります。また、79年には「フロンガス」「オゾン層減少」と一緒の文脈で「有害紫外線」が登場。「紫外線」に対する風向きが大きく変わります。美容業界もその変化に敏感に対応。環境問題とからめて紫外線は「敵」認定をされることになりました。
 ネットや出版物には「健康に良い」「美容に良い」と「医者(あるいは科学者)が勧める○○」が実にたくさん広告に登場しています。「紫外線」はその“御先祖”だった、ということのようですが、逆に言えば日本人は100年進歩をしていない、とも言えそう。まあ、紫外線のように「御国の為に」を言われないことだけはまだマシになったのかもしれませんが。