【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

コストか投資か

2020-07-11 07:44:57 | Weblog

 日本の林業の衰退と荒れた山とその結果としての大水害や山崩れなどの災害の頻発は、林野庁の失敗で、その失敗の原因は、役人が林野業を「単年度の予算を稼ぐための手段」と見なしたことにある、と私は考えています。あれは「短期間でコスト回収を考える事業」ではなくて、「長期間(最低でも数十年)の投資」なのに、と。

【ただいま読書中】『トイレがつくるユニバーサルなまち ──自治体の「トイレ政策」を考える』山本耕平 著、 イマジン出版、2019年、1200円(税別)

 日本で最初の「公衆トイレ」は、明治四年(1871)横浜の「路傍便所」だそうです。外国人が増えてきたため神奈川県が設置を通達したのですが、はじめは樽を地面に埋めてまわりに囲いをしただけ、という「江戸時代スタイル」が不評で、薪炭商の浅野総一郎(浅野セメントの創業者)が1879年に私費を投じて「洋風六角形」という画期的なデザインの「改良公同便所」を63箇所に設置しました。
 近代的な公衆トイレが飛躍的に普及したのは、1964年の東京オリンピックがきっかけです。もっとも大きな「レガシー」は「ピクトグラム」。たしかに一目でトイレだとわかります。80年代には自治体がアメニティーに目を向けるようになり、景観に配慮したトイレやバリアフリートイレを設置するようになりました。
 平成年間に家庭のトイレの洋式化(温水洗浄便座の普及)はどんどん進み、それに伴って公共トイレへの要求水準も上がりました。学校のトイレも洋式化が進み、現在の子供たちは和式トイレの使用経験がありません。
 公衆トイレに関する法律は「廃棄物処理法」「都市公園法」「自然公園法」「建築基準法」「バリアフリー法」、ちょっと変わったもので「雨水の利用の推進に関する法律」なんてものもあります。さらに各自治体の条例も関係してきます。
 人が集まるところにはどこでもトイレが必要ですが、たとえば富士山頂のトイレを維持するためには年間5000万円かかっている、と聞くと、ちょっと考えざるを得ません。私が富士登山をしたときには、一泊二日で山小屋のトイレを計2回使いましたが、それ以上の我慢はできませんでした。
 「バリアフリー」とは身体障害者が不自由なく使えるように障壁を除去すること、「ユニバーサルデザイン」とは「多様な人が誰でも利用しやすいように、都市や生活環境をデザインすること、と本書にはあります。すると前者は「あらかじめどのような障害者が存在するか」を想定してから対応する、になるし、後者は「誰でも来い、受けて立とうじゃないか」、かな? 「個人」は多様で、「障害の有無」「あるとしたら、その障害の種類と程度と各障害の組み合わせ」「体格の違い」「握力の違い」「認知症の有無」など様々な要素が見えてきます。そのすべてに対応できるのが「ユニバーサルデザイン」かな。

 


稼げる政治家

2020-07-10 08:39:33 | Weblog

 「金を稼げない文化はつぶす」と橋下大阪府知事が文楽や図書館を冷遇する発表をしたとき、私は「日本文化や人類の未来に対する志が低い政治家だ」とあきれましたが、百歩譲って「金を稼げないこと=悪」が正しいのだとしたら、橋下さんは自分自身のことを「稼げる政治家だから“善”」だと肯定的に思っている(だからこそ“悪”を責めたくなる)のだろうな、ということに思い至りました。しかし昭和の時代の政治家の理想像は「清貧」「井戸塀」です(どちらも現在の政界では死語でしょうけれど)。それに対して橋下さんは「稼げる政治家」が善。一体どうやって「政治家」としてせっせと金を稼いでいたのか、ちょっとその手法を聞いてみたい気がします(もしも「政治家としては稼いでいない」のだったら、「稼がない政治家」は肯定するのに「稼がない文楽」は否定する、ということになってしまいます)。

【ただいま読書中】『博物館が壊される! ──博物館再生への道』青木豊・辻秀人・菅根幸弘 編著、 雄山閣、2019年、3000円(税別)

 1949年金閣寺の炎上は、文化的にも社会的にも衝撃的な“事件”でした。これを受けて50年には「文化財保護法」が制定され、重要文化財を毀損する可能性がある「水火の管理」は厳重となりました。ところがこれが気にくわないのが「文化財で金を稼ぎたい人」。たとえば2017年山本幸三地方創生担当大臣は「重要文化財に水火を持ち込むことを妨害している一番の『がん』は文化学芸員だ」と暴言を吐きました。さらには「二条城には英語表記の案内板がない」「大英博物館では改装に反対した学芸員を全員くびにした」とファクトチェックをしたら即座に「嘘」とわかることも同時に言っていますが、嘘をついてまで、人を「がん」呼ばわりまでして、金を稼ぎたい、というのは、人品の点で文化を担当するには問題がある、と私には思えます。
 明治時代、日本人は大量の文化財を海外にたたき売りました。それで「金儲け」はできたわけですが、そのことを後の世に日本人がどのくらい悔やんだか、わかっている人はわかっています。わかっていない人はわかっていないのですが。
 ここで、「儲からない博物館」を敵視する人たちがいるように、「儲からない病院」を敵視する人たちがいることを私は思い出しました。昨年の今頃でしたっけ、「儲からない病院は整理だ」というリストが厚生労働省によって発表されました。コロナ禍によってその動きは現在一時停止中のようですが、厚労省が人為的に潰さなくても、現在のコロナ禍の影響で赤字の病院が順調に増えているそうですから、もう少ししたら「病院倒産」が見出しの記事が次々登場することになるでしょう。病院の場合には、あちこちで病院が潰れたら、喜ぶ人(代表は厚労省)もいれば悲しむ人(その地域の人)もいてわかりやすいのですが、博物館が次々潰れたら、現在の日本で悲しむ人はどのくらいいるのかな。ちょっと不安です。

 


説明

2020-07-09 06:34:37 | Weblog

 「説明責任を果たす」という政治家のことば(空約束)はもう不要です。単純に「説明」をして欲しい。「説明責任を果たす」と言って果たさなかった人には、罰を与えて欲しい。

【ただいま読書中】『コロンブスの図書館』エドワード・ウィルソン=リー 著、 五十嵐加奈子 訳、 柏書房、2020年、2700円(税別)

 “太洋の提督”クリストファー・コロンブスの息子、エルナンド・コロンが1539年7月12日に亡くなるときの印象的なシーンから本書は始まります。彼の遺産のほとんどを相続したのは「図書館」だったのです。それも、立派な書籍(1万5000冊以上)だけではなくて、ゴミのような小冊子やバラッドが書きつけられた紙切れなどの膨大なコレクション。庭には世界各地から集められた植物(当時はまだ「植物園」という概念がありませんでした)。入り口の銘文は「この建物は糞の上に築かれた」。その膨大な蔵書のほんの一部(4000冊あまり)は現在セビーリャ大聖堂の「ビブリオテカ・コロンビーナ(コロンブス図書館)」に保存されています。
 エルナンドの最も重要な作品は「コロンブスの伝記」でしょう。現在世界に残る「コロンブス像」は基本的にエルナンドが書き残したものです。エルナンドは「印刷」によって世界に何がもたらされるかを予見したかのように「リスト」にずいぶんこだわりました。爆発的に増える情報に対処するためには、まずそれを整理したものが必要になる、という発想でしょう(我々が直面している「デジタル」では、これまでの 印刷の世界とは別の対処法が必要になるはずですが、それはまた別のお話)。
 「新大陸」からの帰還で一躍有名人となったコロンブスのコネで、息子のエルナンドは王子の小姓として6歳で宮廷に上がりました。王子の要望に応じて宮廷にある様々な備品を即座に取り出して用意するのは小姓の仕事ですが、そのためにはどこに何がしまわれているかの「リスト」を頭の中に作る必要があります。また、父のコロンブスがスペインにもたらす様々な新奇な品々についても「リスト」の必要性を誰もが感じていました。しかし3回目の航海でコロンブスは権威を失墜、半ば失明し手足を鎖に縛られた状態で帰国しました。「英雄の父」を持つ12歳の息子にとって、それはどれほど衝撃的な光景だったことでしょう。もっとも、このみじめな姿は、芝居っ気が多いコロンブスが望んでいたものでもあったようです。だからコロンブスはこの鎖を生涯大切に保存し、自分の葬式では棺に入れさせました。
 コロンブスにとって重要なのは「世界が終末を迎える前にキリスト教の福音を広める必要があることの聖書の予言」が「自分の新大陸発見によって確実なものになった(まだキリストの福音に無知な人々が多数存在している)」と世界に知らしめることでした。エルナンドは、はじめは父の主張を『預言の書』として世間に広めるために協力をしていましたが、やがて「コロンブスは世界の終末を導いた」から「新大陸を発見した」に論調を変化させていきます。
 1502年に4隻の船団がカディスを出港しましたが、エルナンドは父に同行し、詳細な記録を残しています。この時の航海は22日間、ヨーロッパとカリブ諸島を結ぶ最短記録で、蒸気船が登場するまで記録は残りました。磁石が指す北(磁北)が北極星が指す北とは食い違っていることは既に知られていましたが、これをきちんと記録して大西洋の場所によって大きくその方向がずれることからそのメカニズムを推定した(「地球は洋ナシ型に膨らんでいる」と考えた)のはコロンブスです。それをエルナンドは「磁北が存在する」と修正しました。
 最終的に失意のまま父はスペインで死亡、1509年にエルナンドはまたエスパニョーラ島のサント・ドミンゴにいました。238冊の本と共に。これはおそらく「新世界初の図書館」です。彼は本だけではなくて、持ち込んだ工具等まで、詳細な目録を残しています。「リスト作成のための方法論」をエルナンドは編み出しました。そしてエルナンドは『スペインの描写』という、スペイン全土の情報をすべて集めた書籍を作ろうとします。このプロジェクトはフランドルからやって来たよそ者の新国王カルロス一世の支持を得て、公的な事業になります。
 エルナンドは、「もの(財宝)」ではなくて「言葉(のシステム)」によっても世界を“支配”できると考えていたようです。ですから、長兄ディエゴとの遺産相続での争いでも、「財宝」はすべて譲りその代わりに知的な財産をすべて受け継ぐことが平気でできたのでしょう。エルナンドはセビーリャに屋敷を建てましたが、それは「本のための建物」でもありました。
 「コロンブスの否定」をする勢力は根強く、エルナンドはその主張と戦い続けなければなりませんでした。そこで彼がおこなったのは「コロンブスは偶然ではなくて必然によって新大陸を発見したのだ」という主張です。そこで重視されたのは「コロンブスの人間像」。著者が見る限りそこにはエルナンド自身の人格が相当投影されているそうですが、ともかくこの作業によって「コロンブスの人間像」はある程度確定し、それが「歴史」に残ることになりました。さらにエルナンドは「言語や宗教に縛られない図書館」を構想します。彼は敬虔なクリスチャンでしたが、世界が与えてくれるすべての知識にとり組めば、世界を征服できる、という発想があったようです。
 図書館には詳細な「目録」がありましたが、エルナンドはそれと同時に「自由閲覧」の重要性にも気づいていました。「目録」では「知っている本」にしか到達できません。しかし「これまで知らなかった知識との出会い」も重要なのです。インターネット検索では「知っている領域の知識にしか出会えない」を私も思います。新しい世界での「出会い」のためには、何か新しい方法論が必要そうです。

 


地下鉄

2020-07-07 07:22:50 | Weblog


 ロンドン地下鉄は1863年(日本では文久三年)に開業しましたが、最初は蒸気機関車が走っていました。私は蒸気機関車がトンネルに入ったらどうなるか実体験を持っていますが(煙が客車に入ってきてすごいことになるのです)、地下鉄は最初から「トンネルの中」です。一体どうやったんでしょうねえ(知らない人は調べると、面白いですよ)。

【ただいま読書中】『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド 著、 谷崎由依 訳、 早川書房、2017年、2300円(税別)

 こちらの「地下鉄道」は、アメリカ南部から北部へ、奴隷を逃がすための秘密ルートのことです。特に19世紀前半に多数の奴隷の逃亡を助けました。もちろん本当に「地下」に鉄道を敷いてあるわけではなかったそうです。
 奴隷の日々は悲惨です(「そうではない」と主張する人は、ぜひ自分で同じ生活を味わってみることをお勧めします)。重労働・暴力・強姦・不平等な扱いが、生活のほとんどすべてです(1930年代に「奴隷生活を体験した人」から証言を得るプロジェクトがあり、本書はその史料をベースにしています)。人権も自由もありません(「人間」ではなくて「所有物」ですから))。南北戦争はまだ数十年先、ジョージアには「地下鉄道」の支線や駅はできていないはずでした。しかし、それを作りたいという白人は存在していました。そして、逃亡したいという黒人奴隷も。
 シーザーという男性奴隷に見込まれて逃亡に誘われたコーラ(15歳、女性)は、散々逡巡した上で決断。農場を抜け出した時点で指名手配(発見されたら私刑、その後持ち主によって極刑)となった二人は、「地下鉄道」の「駅」にやっとたどり着きます。そこで二人が見たのは「地下鉄道」でした。いや、ここ、笑う所なんでしょうね。単線ですが立派な地下トンネルの鉄路、そこを走るおんぼろの蒸気機関車。「地下鉄道」だから「地下鉄道」なんだよ、と著者がニンマリしている気がします。
 逃げる者がいれば追う者がいます。逃亡奴隷追跡者です。自由州に逃げ込んでほっとしている黒人の寝込みを襲って無理やり奴隷州に連れ戻すプロです。もちろん裁判官や弁護士は文句を言いますが、こんどは自分(たち)が奴隷州に逃げ込めたらそれでゲームは“勝ち”なのです。ジャン・バルジャンを追うジャベール警部を私は思い出します。ただ、阿漕な連中は。自由黒人(奴隷から正式に解放された者)を捕まえて奴隷市場で売り払ってしまうそうですが(これはジャベール警部はやらないでしょう)。コーラを追跡するリッジウェイは、自分なりのポリシーを欲望に優先させるタイプの男でした。
 サウス・カロライナは南部の中では進歩的で、コーラとシーザーは、偽装の書類でベシーとクリスチャンになります。書類上は二人とも政府によって購入された黒人です。しかしここでも、黒人は“奪われる存在”でした。
 「このアメリカ」で一番問題になっているのは「黒人の人口増」でした。白人が少数派になってしまうのは困るのです。サウス・カロライナでは「説得による断種」で対応しようとします。ノース・カロライナは「ジェノサイド(黒人は殺し、綿花摘みは白人移民で代替)」。自分を追う追跡人から逃げようとして、コーラはそのノース・カロライナに逃げ込んでしまいます。袋小路、どこにも行きようがない罠の中へ。
 ついにリッジウェイの手に落ちたコーラは、手枷足枷をかけられて馬車で運ばれます。まずはテネシーに。かつてチェロキーが住む土地だったのを白人があっさり奪ったのですが、コーラはそこが一面焼け野原になっているのを見ます。人々(白人)は難民となっています。さらに黄熱病の噂も。そして……
 本書で州ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」は、人種ごとに全く違う「世界」となっている「アメリカ」を象徴しているようにも見えます。「地下鉄道」はあるいは「タイムトンネル」なのかな。くぐるたびに「違う(時代の)アメリカ」が登場しますから。また、その「トンネル」を、最初は誰かと一緒に「乗せてもらう」だけだったコーラが、最後には独力で進むようになっていきます。この姿に私は感銘を受けます。
 そういえばトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の「アメリカ」は、「共和党のアメリカ」「白人のアメリカ」以外の意味を持っているのでしょうか?

 


差別

2020-07-07 07:22:50 | Weblog

 「差別は正しい」と言って差別をしている人間と、「差別は良くない」と言いながら差別をしている人間と、どちらが“悪い”んでしょうねえ?

【ただいま読書中】『信長と家康の軍事同盟 ──利害と戦略の二十一年』谷口克広 著、 吉川弘文館、2019年、2200円(税別)

 家臣でさえ信じられない戦国時代に、織田信長と徳川家康の「同盟」はなんと21年も守り続けられた、という「奇跡」でした。それは一体なぜか、を解き明かそうとしたのが本書です。
 松平清康は若いときから天分を発揮し、三河をほぼ統一しましたが、家臣に殺されてしまいました。その子広忠は今川義元に頼って三河を支配しようとしましたが、やはり家臣に殺されます。その子竹千代(のちの徳川家康)は、三河を今川の保護領とする証の人質として駿府に向かいますが、家臣の裏切りで尾張(織田信秀)に身柄を送られてしまいます。わずか六歳のときです。結局2年間を尾張で過ごした後、人質交換で駿府へ。この尾張時代に十歳近く年上の信長と出会った、という伝説はありますが、確かではありません。そして駿府での十余年の人質時代、家臣は「ひどい生活だった」と記録していますが、義元は、元服の烏帽子親になる・自分の姪と結婚させる、などけっこう家康を厚遇していますし、「桶狭間」で知られる織田攻めの時には大高城への食糧運び入れという、この戦いでは要になる重責を任せています。織田は内紛と美濃・三河との戦い、三河は内紛と織田との戦いと今川支配をどうやって骨抜きにするか、そして今川は三河支配を確立しつつ尾張を攻めたい、皆さんそれぞれに忙しくしています。
 「桶狭間の戦い」によって今川義元が討ち取られ、家康はどさくさ紛れに岡崎に入城(帰還)。まず西三河をまとめ、それから東三河支配を確立していきます(その過程を著者は、松平家と今川家の文書からみごとに説明してくれます)。
 そして「清洲同盟」。この「対面」が本当にあった、と日付まで記した文書は17世紀末のもので、二人が生きた時代の文書にはその証拠はありません。ただ信長の娘と家康の息子の婚約が行われ、家康は三河一向一揆への対応、信長は美濃攻略に本腰を入れることになります。
 戦国大名の外交はしたたかです。信長は、武田・上杉両方と親交を深めて両者の信頼を得てしまいます。「三国同盟」の武田・今川・北条でしたが、今川の弱体化を見て武田は今川攻めを画策、今川は上杉と結んで背後から牽制しようとします。そこで武田は織田に働きかけ、上杉との和睦の仲介と家康による今川領侵攻を依頼します。上洛のために東が安定していることが望ましい織田信長にとってはメリットのある提案です。背後の安全を確保して武田は駿府を占領、しかし北条は今川とのこれまでの関係を重視します。北条に気を遣いつつ、武田と徳川は今川を挟み撃ちにします。
 朝倉攻めや姉川の戦いで、織田軍と徳川軍は連合して戦いました。この、朝倉・浅井との3年間の戦いの時期、「信長包囲網」はどんどん勢いを増していました。そして武田信玄が兵を動かします。これについて私は「上洛説」を信じていましたが、本書でその思い込みがひっくり返されてしまいます、というか、本書では様々な歴史上の「従来の説」(「桶狭間の“奇襲”」「今川上洛」「『天下』の意味」「長篠の戦いの『三千丁の三段撃ち』」「徳川信康の切腹を信長が迫ったこと」など)を、証拠付きでひっくり返してくれるので、「自分は歴史に詳しい」と思っている人は一読の価値があると思います。
 三方ヶ原で武田軍に一蹴された家康ですが、信玄死後に長篠城を奪還しています。つまり、信長は「西」、家康は「東」に専念し、必要なときには連合する、という「同盟」がきれいに機能しているわけです。しかし、「長篠の戦い」頃から、家康は「信長の対等な同盟者」から「従属的な立場」にポジションチェンジをしていきます。だから、武田家滅亡に際して、家康は「駿河一国をあてがわれる」の扱いを受け、家忠(家康の家臣)の日記では信長のことを「上様」と表現しても誰も不思議に思わなかったのでしょう。
 そして、本能寺の変、伊賀越え、清洲会議……家康は、甲斐を奪取し、さらに信濃支配を東方の北条・北方の上杉と争います。長久手の戦いで家康は秀吉軍に快勝しますが、それはあくまで局地戦。秀吉軍十万に対して家康・信雄軍は二万足らず、これでは膠着状態に持ち込むのがやっとです。最終的に(家康とではなくてまず信雄と和睦を成立させる、という外交手段で)秀吉が実質的な勝利を得、家康は秀吉に臣従することになります。ただ、これは信長に臣従したのとは“質的”にずいぶん違うものだったことでしょう。だから秀吉の死後に信長の死後とはまったく違う行動を家康はとったのでしょう。
 人の内面は外からは見えません。だから家康が何を考えていたのか、は、たとえ日々接している家臣であっても完全な理解は難しいでしょう。まして数百年後の人間がああだこうだと想像するのは難しい。ただ、行動の記録は残っていますから、そこから蓋然性が高い推測だったら可能なはず。事実を捏造したり勝手な思い込みを過去に押しつけたり、は、歴史(学)ではなくてフィクションの世界でやってほしい、とは思います。ただ最近の歴史小説は「事実」に立脚した上で作者の想像の翼を広げるものが多くなっているから、「無責任な思い込みの押しつけ」は小説としても成立は難しくなっていることでしょうね。

 


迷惑なメール

2020-07-06 07:23:42 | Weblog

 私はメールソフトで迷惑メールの設定もしているし、プロバイダーも迷惑メールをはじくサービスをしてくれています。それでもその網目をすり抜けて迷惑メールは1日に何通もやって来ます。その逆に、本当は到着するべきだったメールが「迷惑メールだ」と誤認されて届かなかったこともありました。まったく、迷惑メールは、いろんな意味で「迷惑」です。

【ただいま読書中】『迷惑メール白書2019』迷惑メール対策推進協議会 編集、迷惑メール対策推進協議会、2019年

 タイトルには「2019」とありますが、19年の8月に発行された「18年度の迷惑メールについてのまとめ」です。この協議会は2008年に発足して、迷惑メールを少しでも減らすように活動しているのだそうです。これまでその存在を知りませんでした。感謝です。こういった活動がなかったら、今の数十倍(以上)の迷惑メールが私の所に届いていたことでしょうから。
 日本で迷惑メールが社会的な問題になり始めたのは2001年ころ、様々な対策が採られ、その割合は少しずつ減少していき、2012年には全メールの70%が迷惑メールでしたが18年3月には40%となっているそうです。ところが迷惑メールを発信する手口は巧妙・悪質化して、同年6月からその割合は増加傾向にあるそうです。
 というか、減っても40%が迷惑メールって、すごい数ですね。
 送信国で多いのは、日本・米国・中国が多かったのが、19年から中国が減り、ブラジルや香港からの送信が増えています。ただこれは、端末がボットに乗っ取られて中継器になっている場合とかサーバーが串を通されて発信元が偽装されている場合もあるでしょう。「中国が減った」のは「中国が上手くなった」だけかもしれません。
 対策とそれに対する発信者の対応とは、みごとにいたちごっこになってます。その過程で発信者の手口はどんどん洗練されていきます。実際に私も危うくだまされそうになったことは2度や3度ではありません。今はまだ頭が働いていますからなんとかなっていますが、段々歳を取ってくると、とっても心配です。
 特殊詐欺と同様「こんなものが存在している」と「こんな手口が使われる」を日々公表し続けて頂きたい。いつかは私も詐欺メールの餌食になる可能性がありますので。

 


持続化給付金

2020-07-05 07:46:34 | weblog

 電通は持続できそうです。

【ただいま読書中】『8050問題 ──中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』黒川祥子 著、 集英社、2019年、1500円(税別)

 「8050問題」とは、若い頃に引きこもりになった人が50代になったとき、両親は80代になっていて、そこから様々な問題が派生する、ということです。
 2019年3月総務省は初めて「40代以上のひきこもり調査」を発表、それによると、40歳〜64歳までの中高年ひきこもりは推計で61万3000人。うち男性は7割以上、ひきこもり期間7年以上が半数(20年以上が19%)。どれも衝撃的な数字です。
 著者は2003年の書籍デビュー作がひきこもりを扱ったもので、以後もこのテーマに関心を寄せ続けていました。多くの当事者や家族と会い、それぞれの事情が千差万別であることも知り、著者はその中から「7つの家族」を本書に登場させます。
 家庭内暴力、うつ病、児童虐待、世間の無理解(高名な精神科医が著作で現実とは違うことを発表したり、の例も登場します)、共依存、いじめ……いわゆる「社会の暗部」が集結しています。で、これらを読んで「世の中には可哀想な人がいる」と他人ごととして捉えるか、あるいは「自分にも関りがあること」として捉えるか、そこでこの問題が「個人(家族)の問題」であり続けるか「社会の問題」となるか、の分かれ目でしょう。
 こんな場合「金の亡者」の方が説得しやすいかな、と思うことがあります。だって「一人ひきこもりがいたら、それを支える家族も含めて『稼ぎ』(社会に対する貢献)が減ってしまう。生活保護になるとさらにコストがかかる。それを支援して就労してくれたら“コスト”がかからなくなるし、あわよくば所得税を納めてくれたら、もっとお得ですよ」と言ったら経済的な意味で支援をした方が得だ、と納得してくれやすそうですから。逆に「人情」だけで支援をするのは、その個人が燃え尽きたらそこで支援も終了になってしまいます。さて、ひきこもりを何とかするためには、何をすればいいのでしょう?


薬物に頼る態度

2020-07-04 07:25:08 | Weblog

 私たちは、自分の健康を維持するためには、薬やサプリに平気で頼るのに、スポーツ選手が能力や記録向上目的で薬を使うと、非難します。

【ただいま読書中】『スポーツと薬物の社会学 ──現状とその歴史的背景』アイヴォン・ウォディングトン、アンディ・スミス 著、 大平章・麻生亨志・大木富 訳、 彩流社、2014年、3700円(税別)

 まず登場するのは「後援」の問題です。スポーツ界最大のスポンサーは「アルコール」と「煙草」です。人類の健康を害する二大巨頭が揃っているわけ。そのために発生した社会的にいろいろと不適切な事例が紹介されます(私が一番笑ったのは、煙草メーカーがスポンサーのヨットレースからヨットの「ニコレット(禁煙治療の補助剤の名前)」号が締め出されたこと)。イギリスでは「薬物のないスポーツの美徳と重要性を激賞する人が、同時に、タバコ会社がスポンサーから撤退することで生じる損害を憂慮する」という現象が生じ、そういった動きを「スポーツ団体とタバコの『永遠の中毒』」と揶揄する論評も出ました。
 スポーツ界で薬物がすべて違法なわけではありません。「合法的な薬物(たとえば痛み止め、局所麻酔剤など)」もあります。ところがこれらにも重大な健康障害の副作用があります。さらには「鎮痛剤をまるでお菓子のように頬張る」なんて選手も登場。おいおい、大丈夫か?
 1988年ソウルオリンピックまでIOCは「マリファナ」を無視していました。多くの国で違法とされていましたが、「能力を人工的に上げる薬物」ではない、と見なされていたのです。当時のウィンブルドン大会では「コカイン」も同様の扱いでした。多くのスポーツ団体が「社会的(娯楽目的の)薬物」に不寛容になってきたのは、1990年代半ばからだそうです。
 私たちはスポーツでの「フェアプレーの精神」を「常識」としていますが、実はそれは現代スポーツの発展に伴って発展した概念なのだそうです(たしかに古代ギリシアのオリンピックは、今とはまったく違う価値観の中で施行されていたでしょうね)。その中でルールはより詳細になり、罰則もきちんと与えられるようになりました。そして「アンフェア」「選手の健康を害する」点で薬物を禁止していたスポーツ団体は「社会的に問題とされている(アンフェアでもなければ健康を害しもしない)薬物を使用したら、スポーツのイメージが損なわれる」点でマリファナなどを禁止するべき、という論点を採用しました。
 これに対して「マリファナ禁止はスポーツではなくて法律の問題で、IOCが警察の代理をする理由はない」という反論がありました。たしかにそうだ、と私は思います。この「第三の論点」の導入で、「反ドーピング」の根拠が曖昧になってしまった、と感じるのです。
 第二次世界大戦中、アンフェタミンの研究で「能力向上薬」という分野が開拓されました。戦後しばらく日本でも「覚醒剤」が合法的に市中の薬屋で売られていました。さらにステロイドホルモン剤も筋力増強目的で使用されるようになります。70年代だったかな、ソ連や東ドイツの「ステート・アマ」が大活躍をしていましたが、それは国の支援があったからだけではなくて、薬物のおかげもあったようです。ただ、選手の側の薬物使用の動機として「過剰適応」があるのではないか、という指摘にはちょっとびっくり。ただそれがあるとしたら、いくら叩いてもドーピングが根絶できない理由の一部がわかる気がします。
 過去半世紀にエリートスポーツは「脱アマチュア化」の過程を辿り、同じく過去半世紀に発展した「スポーツ医学」がそれを支えました。さらにスポーツは「政治化」「商業化」もしており、現在の姿になってきました。金メダルはかつては「栄誉」でしたが、現在は「巨大な報酬のシンボル」なのです。同時に「スポーツそのもの」も、たとえばアメリカ社会では「ロマンティシズムのかおり」や「生活のゆとりの一部」から「真剣に取り組むべきもの」へと変化しました。当然「真剣な取り組み」の一部にスポーツ医学が存在しているわけです。
 私たちの社会でも医学の存在はどんどん大きくなっています。スポーツも社会の一部である以上、そこだけ医学とは無関係、というわけにはいかないでしょう。すると単純に「禁止薬剤のリスト」を作って「アスリートから禁止薬剤が検出されるかどうか」だけに注目していたら「スポーツ」の全体像を見逃すことになりそうです。世界は複雑だ、と私はつくづく思います。

 


人生のセカンドステージ

2020-07-03 07:10:34 | Weblog

 今年の「甲子園」は、春も夏も中止。そのためプロに対するアピールの場を失った高校球児たちが就職活動をどうするか困っています。
 だけど無事ドラフトにかかったとしても、ドラフトやドラフト外で採用されるのはせいぜい数十人(一チーム6人としたら72人/年)。残りの人は日本プロ野球機構以外に就職する必要があります。高校球児って何万人いるのか知りませんが、非常に狭き門です。さらに、採用された人数と同じ数のプロ選手がチームから首の通告を受けなければなりません。その人たちのその後の人生はどうなるのか、それは現役時代から、あるいは現役以前から(たとえば高校球児の時から)考えておかないと、途方に暮れることになるでしょう。

【ただいま読書中】『音大生のための“働き方”のエチュード』藤井裕樹 著、 NPO法人ネクストステージ・プランニング、2020年、1500円(税別)

 音大に入るのもまた「狭き門」です。ところがその狭き門を突破して音大生になったとしても、こんどは就職を(たとえばオーケストラのオーディションに応募)しようとしたらライバルがやたらと多い。芸術家として世界に名前を知られた存在になる……これは天才中の天才で、しかも相当運が良くないと無理(先日読んだ『遠雷と蜜蜂』にもこのへんがフィクションにできる限りリアルに描かれていましたね)。多面的に働く職業音楽家になるという手もあります。便利にこき使われる可能性は高いですが、どんな状況になっても食うのには困らないでしょう。あるいは、プロはあきらめてアマチュアとして生きる。これはどれが良いとか悪いとかではありません。どれを選択するかは、自分の人生の問題で、自分で決断するべきなのです。
 そこで問題になるのが「自分の能力」。有名オーケストラ入団を夢見るのだったら、ライバルを蹴散らす能力が自分にあるかどうか、をきちんと知らなければなりません。また、現実的には、だめだった場合の「プランB」も考えておく必要があります。「ライバル」と言ったら、学生の多くは自分の同級生を思い浮かべるそうですが、オーケストラのオーディションにたとえば「35歳まで」の年齢制限があったら、「22歳〜35歳までの、日本中いや、世界中のそのポジションに応募したい人全員」が「ライバル」になるのです。さらにそのライバルたちが、普段どんな音楽の仕事をしているか、音楽の仕事がないときにはどのようにして生活費を稼いでいるか、をSNSなどで調べたら、自分の将来設計に役立つ、と著者は言います。
 いやあ、徹底したリアリストですね。ただ、夢や熱意や希望だけで生きようとして挫折した人をたくさん見てきた経験がこんなことを言わせているのでしょう。神に愛される超特別な才能を持った人は別ですが、そうではない「ふつうの天才」程度の人は、まず生き延びることが重要で、その基盤の上に成功があり得る、ということなのでしょう。
 定職に就かず(就けず)フリーランスの道を選択する人も多くいます。これは「個人事業主」と言ったら格好いいのですが、上手く生きていくためには相当な努力が必要です。「副業」というか「複業」をこなし、人脈を広げ、あちこちに“種”を播いておく。大変そうですが、うまくいったらその満足度は高そうです。二つの道を行うことを「中途半端」と嫌う人もいますが、「二つはダブルの価値」と努力する人もいますし、それができたら「二つのことができるこの世界でたった一人の人」になることも可能です。
 バックバンド、スタジオミュージシャン、テーマパークのパフォーマー……「演奏者」に限定しても様々な道があります。また「指導者」になるという選択肢も。ただ「指導する(人を育てる)」のには「演奏する」とは別の「才能」が必要でしょうね。「作編曲家」もありますが、著者は「パソコンで譜面を描けることが必須」と断言しています。ちょっと変わり種で「通訳」。海外ミュージシャンが来日したとき、「外国語がしゃべれるだけの(音楽に疎い)通訳」は役に立ちません(これは音楽に限らずどの分野でも言えることでしょう。単に「英語がしゃべれます」だけではその分野のプロの通訳にはなれません)。「プロの演奏家兼カメラマン」も登場します。コンサート場面などで自身が音楽家だからこそ撮れる写真があるそうです。
 ビジネス感覚の重要性、パフォーマーとして気をつけるべきこと、社会性の重要性など、至れり尽くせりのアドバイスが本書には充満しています。ただ「自分は志が高い、と思い込んでいる音大生(若気の至りの塊)」にこのアドバイスの貴重さがすっと理解できるかな?
 そうそう、本書には登場しませんでしたが「音楽療法士」という選択肢もございます。ご参考までに。

 


ビール

2020-07-02 07:25:39 | Weblog

 冷たい幸福

【ただいま読書中】『祈りの階段』ミッシェル・フェイバー 著、 林啓恵 訳、 アーティストハウス、2002年、1700円(税別)

 ドラキュラ伝説で知られるウィットビーの修道院で発掘作業をしているシーアン(ウェールズ語。英語ならジェーン)は、この町にやって来てから、誘惑された男に首を切断されて殺されるという悪夢に毎晩襲われるようになりました。修道院までの199段の石段を登っている途中知り合った男性マグナス(ラテン語でグレートの意味)が連れている犬はハドリアヌス(古代ローマの皇帝の名前)。どちらも男性の父親がつけた名前です。シーアンはその両者に強く惹かれます。そして、マグナスは、シーアンのところに、1788年の日付がついたガラス瓶入りの巻物を持ち込みます。シーアンが修復士としての腕をフルに活かすことで、巻物はしぶしぶと開かれます。それは、18世紀の告白でした。父親が、娘の頸を掻き切ったことを書き残していたのです。
 マグナスは「20世紀のイギリスの常識に生きる男」ですが、シーアンは「過去の常識を是として生きる(現在の「常識」で過去を断罪しない)女」です。しかもシーアンの肉体にはもう一つ別の「過去」がひそんでいました。そして、単純な殺人の告白に思えた告白録にも、もう一つ別の「過去」がひそんでいたのです。
 短い作品ですが重層的で「ゴシック」の香りが充満しています。そして、美しい女と美しい男と美しい犬。しかしその「美しさ」はすべて異質なのです。見た目通りとは限りません。本書は、“異質”の香りが“裏側”や“過去”から立ち上る実に美しい作品です。