瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

夢:車椅子の若者

2005年09月04日 | 夢日記
◆車椅子の若者
朝、夢から目覚めた。車椅子の若者が、大学への行き帰りに付き添ってくれるボランティアとホームステイ先を探していた。私の家が選ばれた。理由は、ホームステイ先の家族である私が大学のいき帰りに付き添えるからのようだった。ホームステイ先と付添い人が別になってしまうのを避けたようだ。私は、その若者とは以前から知り合いだった。2ヶ月ほどのボランティアは少し大変だったが、がんばろうと思った。そして車椅子を押しながらの登下校が始まった。

そんな夢だった。目覚めたとき、以前から見覚えのあるその若者は誰だったろうと考えた。よく知っている顔なのだが思い出せない。やがて思い出した。夢の中では男だったが、現実には昔担任していた女子生徒だった。その生徒は事故で一時車椅子で登下校した。彼女は、私に対してちょっとした反抗的な態度を見せる子だった。たぶん彼女のなかのコンプレックスを私に投影してたようだ。

寝床の中でこの夢の意味をあれこれ考えていた。彼女に反抗されたことはかすかな痛みとして残っていた。少しして「やはり統合の夢なのだ」と思った。すると何か納得感があった。前回の合宿で天女や女王と一体化していったときほどではないが、からだがすーっとゆるんでいくような感覚があった。

車椅子の若者=反抗的な女子生徒は、私自身のコンプレックス、何かしらハンディキャップと感じられているものの象徴だろう。私は、その彼(彼女)を受け入れ、いたわり、協力をしながら、ひとつのことを成し遂げようとしているのだ。

このような捉え方が適切かどうかわからないが、自分自身の納得感と体がゆるむような変化とを信頼したい。

◆空を飛んだ夢
空を飛ぶ夢を見たのは先週の月曜の明け方だから、一日断食した翌々日で、上の夢を見たと間隔は同じだ。何かしら関係がるのだろうか。私が空を飛び始めたとき、近所のある人が下からピストルを構えて、そんなことをする奴は殺してやると叫んでいた。現実にありえないこと(空を飛ぶ)をする人物に不安の感じるのはよく分かるし、また本気で撃とうしていないことも分かっていた。私はかまわずに山と川のある美しい場所へいって飛びつづけた。

飛ぶことに人々が不安と反発を感じることはよく分かっていたし、飛ぶことを人々に誇示したい気持ちももうなかった。飛ぶことは何を象徴しているのだろうか。瞑想修行だろうか。
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この3日間

2005年09月04日 | 瞑想日記
◆金曜日の一日断食
9月2日(金)に一日断食をした。勤務日の断食は初めてであったが、とくに問題はなかった。日中、糖分のあまりない野菜ジュース2杯、ココアを半杯ほど飲んだ。空腹感はほとんどなかった。夜、少し瞑想をしたが、時間も短く、深まるまでに至らなかった。これからは金曜日の断食をしばらく続けるかもしれない。

◆3日・土曜日の復食
妻が仕事で子供たち三人も部活やアルバイトでいなかった。午前中、自分のペースで静かに瞑想をし、掃除・片付けをし、そして復食前に少し走った。瞑想は、脳のバイブレーションと深いリラックス感、気感等、いつものよいときの瞑想とさほど変わらなかった。とくに断食した影響は感じなかった。起床後ずっと空腹感はまったくなかった。

11時ごろから40分ほど荒川の土手を「歩行瞑想」。その間に少し走ったが、炎天下で暑かったし、急な運動もよくないので、すぐにやめた。徐々に慣らせば復食前にもっと走るのも可能だろう。帰宅後すぐに自転車で近くのスーパーに。このころから若干の空腹感。食品売り場はやはり少しつらい。12時半ごろおかゆと梅干で復食。しかし、それから2時間後には、まずはリンゴ、それで止めておけばよかったのに、せんべいその他かなり間食する。夜は、妻、娘らと近くの駅で待ち合わせ駅ビル内のイタリアン・レストランで夕食。完全に食べ過ぎであった。

◆今日、日曜日の瞑想
目が覚める前に夢を見た。これについては少し長くなるので別項で書きたい。起きてすぐ瞑想。これも昨日と同じでとくに断食の影響があるとは言えないだろう。
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