瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「私」という観念

2006年01月24日 | 読書日誌
◆『存在することのシンプルな感覚』より

「あなたは、すべての有限な対象から自分を切り離した(自己同一化を脱した)。あなたは無限の意識として安らいでいる。あなは自由であり、オープンであり、透明であり、光を放つものであり、空間に先立ち、時間に先立ち、涙と恐怖に先立ち、苦しみ、苦痛、死に先立つ存在としての至福の空に侵されている。あなたは偉大な「不生」、「深淵」、属性をもたない基盤を見つけたのである。それはかつてあり、今もあり、これからもあり続ける具グラウンドである。」15

「私」という観念は、どこをどう探しても結局はどんな根拠も見出すことのできない観念である。そこに「私」の根源的な不安がある。恐れがある。肉体がいつかは滅びるのと同じように、私の「私」という観念もまた、根拠なく生じてきて、根拠なく消滅していく。だから、それに自己同一化していることは、たとえようもなく愚かなことなのだ。

ほとんどの人が「私」に自己同一化していながら、その「私」は、泡のように生じては去って行く、はなかい存在であることを実は奥深いところでは認識しているのだ。私もどこかでそれを知っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする