◆『存在することのシンプルな感覚』より
「『目撃者』に落ち着き、ちょうど椅子に接触するお尻や、地面に接触する足を感じ、漂う雲を見守るように、自己収縮を見守り、感じる。思考が心のなかを漂う。感覚が体を通り過ぎていくのを感じる。自己収縮が意識のなかに浮上する。こうしたことすべてを何の努力もせず、平等に、公平に見守る。
このシンプルで、容易で、何の努力もいらない状態にあって、エゴを切り捨てようとするのではなく、ただ単にそれを感じているなら、こうしてあなたは、あなたそのものである。
『目撃者』に落ち着くこと、自己収縮を感じること、これがまさに、一如の世界がもっとも前面に出やすい状態である。」36・37(『ワン・テイスト』)
これは、まさにヴィパッサナー瞑想が行おうとしていることだろう。ただ、「何の努力もなしに」というのは、ちょっとむずかしい。むずかしいが、「何の努力もなしに」こそが大切なのだろう。今の私は「何の努力もなしに」の状態をめざして努力してしまいそうだが。
「自己収縮」というのは面白い表現だ。「自己溶解」の状態を経験していないと、「自己収縮」を実感としてはわからないのかもしれない。小さな「自己」に同一化してしまっている自分に気づくこと、気づいていること。