瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

目撃者と自己収縮

2006年01月28日 | 読書日誌


◆『存在することのシンプルな感覚』より

「『目撃者』に落ち着き、ちょうど椅子に接触するお尻や、地面に接触する足を感じ、漂う雲を見守るように、自己収縮を見守り、感じる。思考が心のなかを漂う。感覚が体を通り過ぎていくのを感じる。自己収縮が意識のなかに浮上する。こうしたことすべてを何の努力もせず、平等に、公平に見守る。

このシンプルで、容易で、何の努力もいらない状態にあって、エゴを切り捨てようとするのではなく、ただ単にそれを感じているなら、こうしてあなたは、あなたそのものである。

『目撃者』に落ち着くこと、自己収縮を感じること、これがまさに、一如の世界がもっとも前面に出やすい状態である。」36・37(『ワン・テイスト』)

これは、まさにヴィパッサナー瞑想が行おうとしていることだろう。ただ、「何の努力もなしに」というのは、ちょっとむずかしい。むずかしいが、「何の努力もなしに」こそが大切なのだろう。今の私は「何の努力もなしに」の状態をめざして努力してしまいそうだが。

「自己収縮」というのは面白い表現だ。「自己溶解」の状態を経験していないと、「自己収縮」を実感としてはわからないのかもしれない。小さな「自己」に同一化してしまっている自分に気づくこと、気づいていること。
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一日断食20:40

2006年01月28日 | 断食・少食
◆昼から夕方
11時40分頃に野菜ジュース一杯、すぐ後にチャイ一杯。1時半頃だったかに無糖のミルクココア一杯。夕方チャイ一杯。合わせると200キロカロリーぐらいか。便通は、昼ごろ大量に。空腹感は前回と同じくらいある。

午前中、父の部屋のいらなくなったタンスなどを長男に手伝ってもらって出したり、掃除したり。父がリハビリ病院を2月4日に退院する予定。その準備だ。午後もずっと掃除。2時すぎから20分ほど瞑想。少し居眠り。

5時すぎに新しい訪問介護のサービス会社の人が来て、契約や打ち合わせ。夕刻、父のリハビリ・センターに行く。

◆断食の本
今、本はケン・ウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』を読んでいるが、リハビリ・センターに行くときは、軽い文庫本をと思って、石原結實の『プチ断食健康法』をポケットに入れる。この人の本は、医学的なデータも古今の断食の研究や実例も幅広く収集して書かれているので、とても面白い。詳しくは、読書日誌の方に書くだろう。

少食、断食、玄米菜食などの本はいずれも興味深い。なぜこんなに関心が深いのか。ひとつは、健康への関心からということがある。もうひとつは、石原氏の本でも甲田氏の本でも、現代医学や栄養学への強烈なアンチテーゼになっていて、そこが面白い。そこで語られる、生命や健康への理解の仕方が、私にとってはすこぶる共感でき納得できるものだ。そこに生命の働きや不思議を学ぶ思いがする。現代医学との「生命観」の根本的な違いが、多くの実証的なデータをもとに明らかにされる。そこが興味深い、。

ましてや、それを自分自身で確認することができる。まさに一日断食を実行中で、現在進行形で感じている。
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一日断食10:00

2006年01月28日 | 断食・少食
◆今日もリアルタイムで
先週と同じように、明日まで何回かリアルタイムで一日断食に伴う心身の変化を記していく。できれば明日の15時か16時ぐらいまでの断食としたい。

昨日昼はいつもの通り野菜サラダと生の玄米中心だったが、夕刻かなりの空腹感があり、夕食のあと、間食した。今朝の体重は60キロちょうど。

9時ごろから座禅30分。日中また時間をとって座禅したい。

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