瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

自我の相対化

2010年06月27日 | 瞑想日記
◆車椅子を押して父を教会につれて行き、父をおいて私は帰ったが、その往復30分ほどはサティをしていた。思考はかなり湧き上がってくるのだが、すぐにサティが入る。実際には「思考」とラベリングする場合が多い。数日前からサティの感覚がこれまでと少し違うなと感じていたが、今日もそれを感じた。

これまでは思考が湧いてくると努力してそれを止め、少しでも思考のない状態を持続しようとしていたようだ。そこにはどこかで思考を打ち消そうとする否定的な態度があった。今は、思考への気づき(サティ)を楽しんでいるような感じだ。思考する自分を受け入れているとでも言おうか。思考する自分を静かに余裕をもって見ているような感じか。それだけ、思考する自分と同一化しなくなったのかも知れない。

◆一昨日あたりからEckhart TolleのA New Earth: Awakening to Your Life's Purposeを再び読み始めている。以前90頁ほど読んでそのままになっていた。その中に

Complete identification with thought and emotion, that is to say, ego.(思考や感情との完全な同一化、それがいわゆるエゴだ)

というのがあった。この短い言葉が私には強烈だった。結局、私が自分と思っているものの実体は、言葉と思考によって織り上げられた仮構物にすぎない。それをあたかも実体があるかのように錯覚して、「私」として固執する。そこにエゴが生まれるのだ。

そのことがまだ私には実感としては分かっていない。だからこそ、日常的な思考の流れに気づき(サティし)、思考する自我としての私を徹底的に相対化していく必要があるのだ。

思考の流れに気づかずそこに埋没している間は、思考との同一化は続く。思考の流れから一歩離れて、それを「外から」眺められるようになると、自我の相対化が始まるのだと思う。
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一日半断食終了

2010年06月27日 | 断食・少食
◆今回の一日半断食は、これまででいちばん楽だったかも知れない。断食中の摂取カロリーは、最近ではいちばん少なかったにもかかわらずだ。豆乳と牛乳合わせてコップ一杯と少し、オレンジジュースをコップに4分の1ほどだけだ。いや中途半端に食べなかったら、かえってよかったのかも知れない。しかし、かつてもこれぐらいの摂取量でやったことはあるが、もう少し空腹を感じた気がする。(体重は、昨日の朝から1.8キロの減。)

楽だった理由としてもうひとつ考えられるのは、「食べたい」心理をしっかりサティしていこうと始めから意識していたので、逆に心理的な空腹感が起らなかったのかも知れないということ。あらためて、空腹感にとっては心理的な要因がこれほど大きいのか、と感じる。瞑想合宿中も極端に食事量が少なくなるが、空腹感もなくなる。日常の中でも本当にサティがしっかりできれば、生理的に必要とする以上の食べすぎ、肥満はなくなるはず、ということになる。反省しきり。

◆昨晩、風呂に入っているときも、床に就いたときも、ほとんど断食中ということを忘れるほど空腹感はなかった。起床時に空腹感がさらになくなっているのはいつもの通り。すぐに40分瞑想。昨日に比べると思考が多かった。9時半に父を車椅子で隣駅の教会につれていく。歩いて15分ほど。私はそのまま歩いて帰る。帰宅すると約束のあった来客が来ており、一時間半ほど話す。その後、また父を迎えに行く。12時過ぎに帰宅。ここまでも、あわただしくて空腹感は全くなかった。12時半ごろ断食終了。
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