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思考と瞑想の心理学04:夢と似る日常的思考

2010年07月01日 | 思考と瞑想の心理学
以下は、2009年の7月30日にこのブログにアップした内容を、少し整理したもの。瞑想と思考の心理学のシリーズに関係が深いので、ここに組み入れてみた。次回分も同様である。

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日常くりかえしくりかえし行っている脳内のおしゃべりは、私たちにとって二重の盲点となっている。

私たちは、日常たえず脳内おしゃべりを続けながら、その事実およびおしゃべりの内容にほとんど無自覚だ。それが第一の盲点である。

たえず脳内の独り言を続けているという事実そのものに無自覚である場合もあるが、たとえその事実に気づいても、その内容についてはほとんど無自覚である場合が多い。「そんなはずはない」と思うなら、数分前、いや一分前に自分が考えていたことを思い出してみるとよい。ほとんど忘れている場合が多いだろう。

なぜ無自覚の脳内おしゃべりが問題となるのか。それがほとんど受動的に続けられていく習慣性の思考だからだ。同じようなことをくりかえしくりかえし考えながら、そのくりかえしに気づいていない。そして何回もくりかえされる脳内おしゃべりにこそ、本人が無意識のうちに執着している何かが隠されている。

私たちの脳内おしゃべりは、なかば夢に似ている。多くの場合それは、何かを意識的に考えようとして始まるのではなく、自分の自覚的な意図とは関係ないところで始まり、展開していく。夢が自分の意図とは関係なく展開していくように。

脳内おしゃべりが展開する仕方にはいくつものパターンがあるだろう。よくあるパターンをひとつあげてみよう。

(1)家の外のクラクションの音→(2)クラクションの音に関係する思い出Aのこと→(3)その思い出にかかわる人物Xのこと→(4)人物Xにかかわる別の思い出①‥‥‥

こんな風に思考が展開していったとしよう。きっかけはクラクションの音だが、そこからなぜ思い出Aが連想されたのかは、多くの場合、無自覚だろう。思い出BやCが思い出されず、Aだったのはなぜか。意図的に振り返れば理由がわかるかもしれないが、わざわざ振り返ること自体が特殊ケースだろう。多くは、無意識のうちにAが連想されるのだ。(3)の人物Xについても同じことが言える。人物YやZが連想されても不思議ではないが、なぜXだったのか。これも無自覚のうちの連想だ。

このようにして無自覚のうちに、次から次へと連想が展開していく場合が、日常的な思考の多くの部分を占めている。その意味で日常的な思考は、同じように無自覚のうちに展開していく夢に似ている。

夢と日常的な思考は、似ていない部分もある。夢はイメージ中心に展開するが、脳内おしゃべりは、言葉による。しかし、ぼーと何かを考えているうちにイメージの展開が中心になっていたなどということもあるだろう。ハッと我に帰って今日の仕事の段取りを考え始めたとすれば、それは意図的な思考となる。

結局は、私たちは絶えず脳内おしゃべりを続けていながら、そのおしゃべりについて、無自覚で受動的だということだ。自分で充分コントロールもできず、なかば気づくこともない何かが、頭の中でたえず活動しているのに、とりたててそれを問題にしない。問題にする必要も感じていない。それが「盲点」という言葉で言いたかったことだ
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