瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

自我の支え01

2006年10月08日 | 瞑想日記
一瞬一瞬の心の動きに気づき続けること。もちろん、とぎれていることの方がはるかに多いが、それでも気づき(サティ)を多くしていくこと。最近は、ただ気づいているというよりも、その動きが「自我」にとってどんな意味があるのかを確認してラベリング(言葉を用いる)するように心がけている。つまり心随観をこころがけている。一瞬一瞬の思考や心の動きが、「自我」にとってどのような「うまみ」になっているかを、短い言葉で確認していくこと。

「自我」は、つねに自らを守るために自らを強化したり、「価値あるもの」としようとする。他者よりも少しでも優れていると確認することで「自我」を強固にしようとする。それは「自我」がつねにどこかで、それを成り立たせる根拠の脆弱性、不安定性を感じているからだろう。

「自我」は、様々な形で自らを少しでも強固なものにしようとする。

「自我」にとって弱い部分があると感じれば(劣等感)、それを補償するために、他の面で他者より優れていると感られる部分を強化する(優越感)。

「自我」だけでは、どんなに自らを強化しても、満足を感じることはない。様々な形でさらなる強化を無限に続ける。たとえば、小さな自分をより大きなものと同一視して、自分を強固にしようとする。「自我」を「日本人」という、より大きな概念と同一化し、「日本人」よりも劣ると感じる「○○人」に優越感を感じたりする。

あるいは、宗教やイデオロギーに「自我」を捧げることで、その不安定さを解消しようとする。

大切なのは、一瞬一瞬の自分の心の動きのなかにそのような「自我」の働きを感じ、気づいていくこと。しかし「自我」は狡猾なので、たえず死角を作って、気づきを妨害し、自らを守ろうとする。(このように書いている自分の、心の動きにも気づき続けること。)

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2 コメント

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Unknown (SRKWブッダ)
2006-10-09 01:34:43
自我は狡猾なのではない。 自我は苦悩しているのである。 それゆえに、自我を滅したならば、人はまどかな安穏に至る。



自我によってかれ自身に現れるあらゆることがらは、かれ自身から確かに出現しているが、それは決してすべてがかれ自身に帰せられるものではない。 しかし、もちろんかれという存在があるゆえに、かれにまつわって起こるあらゆることがらがかれ自身から現れ、他ならぬかれ自身を苦悩させていることは間違いない。



こころある人は、自我によって自我を終滅せしめて、円かなやすらぎに至れかし。 それは、自らの自我(のまこと)を信じて世間を遍歴し、以て人と世の真実を知り明らめることによって達成されるであろう。



***
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今を生きれば (クシャトリア)
2006-10-09 02:44:33
SRKWブッダさんお久しぶりですね。



>以て人と世の真実を知り明らめることによって達成されるであろう。



真実を知らなければやはり難しいでしょうね。

一回でもいいから体験しないとそれは自分自身

がつくりあげた妄想の世界。そして低い。



孫悟空がお釈迦様の指と指の間を飛び回っているよう

なもの?かなっと最近よく思います。真実を体験して

知るところから、修行の道がようやく開けると思います。

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