GHQ焚書図書開封 第119回:加藤陽子 半藤一利 北岡伸一 徹底批判2[桜H25/1/30]
「日中歴史共同研究」北岡伸一
言論の自由のない支那の学者との共同研究において、日本の通説を捻じ曲げ中国寄りの研究成果として、国費を使いまとめられた捏造報告書。
日本バッシングの口実を中国に与えるとともに、東京裁判(侵略・敗戦・自虐・懺悔)史観に洗脳された政財界に影響を与え、重要ポストを歴任してきた北岡伸一氏。
北岡伸一氏の発言:日本が中国に対して侵略戦争をしたことを認めることについて、多くの批判が寄せられた。これは私にとって、まったく受け入れることのできない批判である。日本が侵略したのは明らかな事実と考えている。これは共同研究の成果でも何でもなく、以前から考えていることである。私だけでなく、日本の歴史学者で中国を侵略していないという人はほとんどいないと思う。また、最近は満州事変を侵略でないと言ったり、張作霖爆殺はコミンテルンの陰謀だと言ったりする人がいる。張作霖爆殺についてはまったく偽情報である。満州事変についても、日本の権益に対する侵犯があったからだという人がいる。物事には均衡性の原則があって、中国側の違反によって、日本領土の1.5倍もある地域を占領してしまう大規模な行動を正当化することは到底できない。
※戦争目的が侵略という認識でなく、人種差別撤廃、白人のアジア植民地を解放することによる日本の防衛戦争だったとの認識に立てば、北岡伸一氏の発言は正しくない。
【波多野澄夫・庄司潤一郎氏執筆】
支那をして抗日に向かわしめた西安事件(張学良・楊虎城らによる蒋介石拉致監禁事件)の記述がない。また、ソ連コミンテルンによる東アジア動乱に対する背後からの企てがあった面の記述が欠けている。日露戦争から満州事変まではソ連に対する一種の防衛であり、塘沽停戦協定で集結し、蒋介石が満州独立を認める。それ以降は、外国勢力により蒋介石が態度を一変し、西安事件、盧溝橋事件、上海事件と日本が支那から攻撃を受ける状況になっていく。
この転換期に起こった西安事件を取り上げないのは、日本侵略論の支那の歴史観をそのまま受け入れたことになっている。日本にとって、また世界にとって見逃すことのできない残虐きわまる日本人虐殺事件であった通州事件の内容が書かれていない。支那の日本に対する報復程度にさらりと流す記述は自分の思想に合わないものは抹殺する不当な歴史捏造だ。
支那歴史研究家は、予めこうありたいとの願望をつくっておき、それにあわせて、歴史を作り上げる手法をとっていた。つまり、近代日本は、生まれながらにして侵略的な性格を秘め、軍国主義へと努力を重ねた結果、富国強兵を成し遂げ、大陸侵略に乗り出し悪逆獰猛な戦争を展開した。この道筋は維新から一貫して引かれていたという論理です。第2次世界大戦は平和を愛する連合国と戦争好きな人道主義を無視するファシズムの戦いであり、日本は東アジアにおけるファッシズムの大立者であるという連合国の論理が主旋律になっている。
巨大な国費を使い、支那の言いたい放題の報告書に何も反論せず、日本を貶めることに協力した東大教授北岡伸一は売国奴であり、専制独裁国家であれば、銃殺刑に相当する犯罪行為である。その結果として、中国楊外相は国連総会で堂々と「日本は戦後の国際秩序を否定してはならない」と日本を誹謗する演説をした。学問(歴史学)が政治の道具とされた瞬間である。
都留文科大名誉教授は南京虐殺事件に関して誤った内容の著書を発行した。その著書を、引用され支那側の歴史学者によって、史実化されてしまった。
宮澤喜一は近隣諸国条項を作り日本を貶めた、
中曽根康弘は中国共産党の思想的工作に負けA級戦犯分祀を提案した。
歴史学者が歴史を知っているとはいえないのである。日本の歴史学会は異常なのである。
参考文献:「自ら歴史を貶める日本人」西尾幹二、福地惇、柏原竜一、福井雄三、※「大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった」安濃豊、國の防人10号「作戦課長稲田正純大佐の陰謀」安濃豊・八巻康成
2013/01/30に公開