n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

ロシア・マスコミ 東日本災害を取材探訪 最終回

2012-05-04 19:14:09 | ロシア・地震予知情報

 

ATOMIC FUTURE - 問題によって

  旅行を組織し、日本の外務省は、実際にそのジャーナリストは最初の手で豊富な情報を持っていることを確認しようとしました。国の現状の公式見解は、我々は日本の佐藤勝の外務省の副報道官省を発表した。

 彼への質問は、特に原子力発電所事故の影響の清算に関連して、たくさんあった"福島-1" 結局のところ、このトピックでは、極東、最も重要である。それは理解できるがその時隣人の火、炎があなたの家に広がっていなかったかのように、必ずしも恐れる。
 日本の外務省。
 日本 佐藤勝 副報道官。

 

 しかし、最初に、佐藤氏は、災害後1年間行われてきたかについて詳細に語った。彼によれば、最も重要なのは回復するよう管理-生産インフラストラクチャを。経済のほとんどの分野で、このマクロ経済指標では既に昨年の水準に近接しています。たとえば、完全に世界的に有名な日本の自動車メーカーはすでにフル稼働されている連合企業を含めた自動車産業の生産を、復元された。
もちろん、最も影響を受けた都道府県の状況が困難である。それは、津波がすべての通信を破壊した建物の数千人を破壊した沿岸地域で普通の生活を確立するために年かかる生理食塩水、土壌の数千ヘクタールに残されています。しかし、80パーセント。これらの県の市町村は、復興と開発の彼らの計画を取り、それらに従うことを始めました。
 東京では、長寿命は、通常に戻ってきました...
 子どもたちとの...乳母の通りを歩いて
 観光客...皇居を賞賛するようになっ

   佐藤氏によると、このプロセスを加速するため、政府はすぐに特殊な設立しようとする"ゾーンの回復を。" そこに動作し、災害の結果として損失を被った企業は5年間である所得税を免除されますが、他の多くの利点を受け取ることになります。

  我々は、日本政府は市民がホームレスのままどのように役立つかに興味を持っています。このように、公式統計によると、ちょうど地震の後34万であった。これらのうち、80,000以上が原子力発電所の周囲20キロの除外ゾーンを離れることを余儀なくされた"福島-1" 
これらのすべての人々は一時的な再定住に置かれた。現在、佐藤氏は述べて、1つだけのような点があった-それは約600人を持っています。他のすべてが閉鎖され、人々は親族に移動または賃借アパートで、多くの人が専用の仮設住宅に住んでいます。住宅を借りる人のために、政府はこれらの目的のための費用を補償します。
 宮殿の前にパトロールの警察官...エリア
 駅に行く...高速列車
 レストランでは... - すべての味の料理の選択
 路上で...時々、女の子、服を着て芸者を満たすことができます。

 -失われた財産の補償はありますか? 

  -今、この問題は解決されている。また、物事を明確にする必要があります。損傷の実際の量は、家族が現在住んでいる条件等は、原子力発電所の緊急の周りに除外ゾーンを離れることを余儀なくさ人として何か、彼らは会社に補償金を支払うべきである-ステーションの所有者は、 "東京電力"(TEPKOを。)ところで、彼女はすでに被害者への4450億円を支払った。それにもかかわらず、彼らの家と財産を失った住民は、政府に質問の多くを与える:ジョブを取得するとして、あなたが家を返すか、または永遠に残すためにすることができたときに...すべてのこれらの質問に、2月10日、によって作成された州の機関に答えるために補償金の額は、何か回復。その使命-特に補償および雇用の影響を受けた人々に効果的な支援を提供する。
 裁判所の沿岸地域ではまだ海岸の津波の波に打ち上げされています。
 農地の多くヘクタールの生理食塩水、海水であった。
 最も影響を受けた都道府県の家庭の何千もの教えていない。

   -原子力発電所"福島-1"の現在の状況は何ですか?

 - 2011年12月に原子炉は"コールド"状態でシャットダウンされ、温度が100度未満であります。放射性物質の放出が制御下にある。私自身は最近、外国人ジャーナリストのグループと一緒に工場を訪れました。があります余波で計画された修復作業は、三千人程度、主に従業員とその同盟TEPKOを採用しています。当局は既に地域住民が家を検査するために、20キロのゾーンに簡単に来ることを許可し始めている。
  我々の意見では、IAEAはチェルノブイリ原子力発電所で事故に私たちの事故を比較することは非常に正しくありません。我々は、原子炉を爆発させていないが、核燃料容器はそのまま残った。と放射性排出量はチェルノブイリより7倍以下であった。誰がこの目的のために、汚染からのクリーンなエリアである日本政府は1兆円を割り当てられた月に原子力発電所の緊急の周りに除外ゾーンの見直しを開始します。すべての分野で再放射の背景になります。

  汚染した後に北西の方向に吹くの最も危険な日で、風が非常に不均一だったので、より遠く、より多くの感染地域、およびその逆があります。ほとんどの場合、除外ゾーンが小さくなります。すべての部品が安全であることが発見された場合、人々は町や村に戻ることが許可されています。
 巨大な波によって破壊された鉄道駅の一つである。
 松島町の近くの橋が破壊。
 所有者によって放棄された家の玄関に、ボランティアが穏やかに生き残った料理やおもちゃを折る。

   -原子力発電所の事故後、 "福島-1"日本の世論は、原子力エネルギーのオプトアウトするために、考えるように傾斜している。どのようにして、その未来を見ています? 

  -それはこの質問に答えることは困難である。事故の前に、電力生産における原子力発電のシェアは26%でした。政府は2030から53パーセントにそれを増加させることを計画した。しかし、今すべてが減少し、逆に、それがなければならないことに同意します。だから夏はエネルギー開発の新しい戦略によって取得されます。
  市民と議論すると、そのアカウントに住民の意見を取って採用される-それは公開されます。
日本の54基の原子炉の総数。現在、ほぼすべての最後の二つの月を停止するには、チェックするために停止しました。彼らは安全のために、いわゆる"ストレステスト"です。動作するように権利を取得するために、彼らはいくつかの要件を満たしている必要があります:15メートルの高さ津波、原子力発電所の制御のための国家機関の肯定的な評価に耐えられるように...しかし、一番難しいことは、おそらく地元の住民から得られるであろうと、その近くに働く原子力発電所を確保することに合意した。

  コース完全に非現実的な、私の見解では、ドイツでは、例えば、合意され、原子力エネルギーを断念。しかし、それは日本では近い将来に新たな原子力発電所があることは疑問である。新エネルギー政策の重点は、従来の燃料だけでなく配置されます-代替エネルギー源石油、ガス、石炭、その他-風力、太陽光、地熱。

               ロシアのパトロン - 日本の博物館

   Isinomakiでの滞在の最終日に、私たちはアニメの非常に人気の日本美術(日本の"漫画")に専用の珍しい博物館で停止しました。このジャンルで働く最も人気のある国のアーティストの一人-博物館はセターIsinomoriの主導で2001年に設立されました。彼は当然"マンガの王様"と呼ばれ、彼も漫画の非常に大きな数(128,000ページ!)の著者としてギネスブックに入った。

  遠くから博物館は次のようになります...空飛ぶ円盤を。そして、それは宇宙船に似ているの中で、しかし、事故に遭った。これは驚くべきことではありません:すべての後、博物館では川の河口に立って、昨年は、強力な津波を席巻している。
 空飛ぶ円盤のようなIsinomakiの博物館 "アニメ"。
 作品を美術館に展示されていますアーティストの手から落としている。
 博物館仁木村の副所長。

    -建物がひどく壊れている、4メートルの全体の1階は水で満たされた-美術館仁木村副局長は述べています。-幸いなことに、メインコレクション、私たちの古典Isinomoriセター9万作品が、2階に位置しており、彼女は生き残った。災害の日に私たちのスタッフと30の訪問者の10がありました。アラームが発表したとき、私たちは皆避難した。しかし、我々の社員の一人が残って、彼は保存することが期待されているサウスブリッジ20に気づいた。干潮時には、彼が戻って走って博物館にすべて持ってきて、また壁や木の幹の残骸から泳いで保存された人々にここに来ることができました。したがって、博物館の3階に災害の五日を待っていた40人であった。カフェの半完成品の在庫から供給される。

  ヶ月半除去ゴミや破片の水がなくなって、博物館のスタッフ。しかし、電源はまだ復元されない、熱や水ではありません。当局は、優先順位を持っている:私たちは、人々はすべての重要な機能を復元するには、住宅を構築するのに役立つ必要があります。私たちの博物館は20万人年が訪れますが、それはセカンダリ·オブジェクトです。
 博物館の地上階に相対的な順序を誘導される。
 生き残ったスタンドの一つです。
 彼らが救出されるまで、博物館のこの地域で40人が5日間待っていました。
 博物館の隣に既にキリスト教の教会を復元するために始めました。

     -そして、まだあなたは、博物館を再構築する計画を持っている? 

   -近い将来、我々は補修工事の見積もりを終了します。あなたは、おそらく50万ドルまで、非常に大きな金額が必要になります。我々はすでに日本で慈善団体のいくつかの寄付を助けた。政府が支援を約束します。しかし、30万ドルの元本金額は、ロシアの企業"RUSALを"与える
   私は認めなければならない、非常に日本はそれを精神的価値を復元するためにのために困難な時期にロシアのパトロンと聞いて喜んでいた。うまくいけば、街に、津波によって破壊され、すぐにその扉博物館のアニメを再度開き、そこに子供が来て、彼らの笑いは、2011年3月の悲劇的な出来事のエコーをかき消されます。

 ONLY番号

•瓦礫と津波によって残された残骸の22万トン、被災地から除去されるべきであり、埋葬する。
•日本で約350億円世界各国からの国際援助に達した。
•15%占めている。夏のピーク期間中のエネルギーの節約は、市民の意識行動を含む手段の組み合わせに起因する、日本で達成することができました。

 

掲示:2012年5月3日3時10分 作者:ウラジーミルSemenchikov 

 ソース サハリン・クリル通信   

 あたかも日本外務省が記者を招待した様子ですが、全て日本国民の税金でまかなわれている事に注目して頂きたい。  北方領土ビザなし両国訪問経費も全て日本国民の税金で遂行されている点もお忘れなく。  サハリンマン

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日本政府 官僚に振り回されて完了か

2012-05-04 19:07:48 | 情報

機密費「30年後公開」検討 官僚の抵抗強く、骨抜きも

 政府は内閣官房報償費(機密費)の使途を30年後に情報公開する案の検討に入った。

官邸筋が3日、明らかにした。藤村修官房長官の指示を受けた対応で、9月にもまとめる。しかし官僚側には「公開が前提では機密費として機能しない」との抵抗は強く、骨抜きや先送りになるとの見方が出ている。


 藤村氏は、機密費関係書類の一部を開示すべきだとした3月23日の大阪地裁判決を受け、透明性を高める必要性を強調。一定期間後の公開に言及し選択肢として「30年後」を挙げた。その後、機密費を扱う内閣総務官室に、公開する場合の問題点などを検討するよう指示した。

 

2012年05月03日木曜日 

 国民の税金が公開できない自体が国家経営をなさない。 納税者・企業も納得しない対応と考える。  30年後に明示されても納税者はすでにこの世にいない。 官僚の先送り策がここでも発揮している事自体に驚きを隠せない。 国民・納税者を馬鹿にした決定に断固反対する。 国民の国益に反する官僚を「国家反逆罪」として処罰の対象とするべきである。

この様な企画を提案した官僚を名指しで公開するべきが「民主主義」の基本と考える。サハリンマン

 

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連休の勉強会  「フクシマの忘却に抗して」 text 金子遊氏のブログ 

2012-05-04 07:44:30 | ロシア・地震予知情報

原発ドキュメンタリーの変化

福島原発の事故から1年目の3・12を過ぎ、テレビや新聞や雑誌をはじめとする各媒体が原発事故を取りあげる機会が減ってきている。1年間にわたる「禊ぎ」が済んでしまえば、この列島に住む人々にとって、原発事故による健康被害という災厄ですらも、徐々に忘却のなかで薄れていってしまうのだろうか。セシウムをはじめとする放射性物質による汚染が消えたわけではないのに、それに慣れてきて意識しなくなっている現状に、私たちは危機感を覚えていいはずである。

そんななか、映画館で公開される震災や原発問題を扱ったドキュメンタリーの質も少し変わってきている。これまでのように震災被害や原発事故をテーマとして直接扱うものから、長い時間軸のなかで原発や原子力エネルギーと人類との関係を再考させるものが増えてきた。そこで示されるのは、原発事故が起きようと原爆が投下されようと、災厄の後でもその土地で生き続ける人々がいるという事実である。

チェルノブイリと「ゾーン」

たとえば、1986年の4月にウクライナで起きたチェルノブイリの原発事故から12年後のこと。チェルノブイリの原子力発電所から30キロメートルの圏内は、環境に漏れた放射性物質によって人間が住めない高放射線量の地域となり、政府が厳重に出入りを制限する、通称「ゾーン」となっていた。これはタルコフスキーの映画『ストーカー』の物語ではなく、実際のウクライナの一地方の話である。

ドイツのドキュメンタリー作家のニコラウス・ゲイハルターは、少人数のスタッフとともにゾーンへ入って撮影を行い、『プリピャチ』という作品にしている。『プリピャチ』とは30キロ圏内にあるために、完全なるゴーストタウンと化した街の名である。ゾーンは鉄条網によって立入禁止になっているのだが、映画はゾーンに出入りする原発のエンジニア、警備員、自主的に圏内へ戻った居住者、ゾーンを出入りする元プリピャチの住人といった、汚染された土地に留まって働いたり生活したりしている人々に取材を重ねる。



『プリピャチ』によれば、チェルノブイリの原子力発電所では、事故を起こした4号炉の「石棺」は終わったものの、廃炉にともなう膨大な量の作業が行われている途上である。しかし、そこで働くエンジニアや従業員たちには十分な報酬が払われていない。カメラの前で現場責任者が「食料は無料だが、ここの給料では普通に食べていくことすらできない」と漏らすとき、あまりのことに戦慄すら覚える。彼らには安全基準を遵守しながら、廃炉という数十年に及ぶ作業を貫徹する能力が本当にあるのだろうか。

事故を起こした4号機の隣では、他の原子炉が稼動し、相変わらず原子力発電を行っている。廃炉や発電を行うエンジニアに十分な待遇をせずに、はたして安全など守れるのだろうかと疑ってしまう。あれだけの大事故を起こした後でも、相変わらず、どこか上層では彼らの金銭が掠め取られているのかもしれない。インタビューで「政府は線量を計らないし、公表もしない」と語るチェルノブイリ近郊の住民の証言があったり、また近郊の関連の産業で働く男は「放射能の影響は心配していない」と強がって言ったりする。それらの言葉を聞くたびに、10年後のフクシマの未来図が透けて見えてくるかのようだ。私たちの戦いは長期的なスパンにおいて、徐々に脱原発を達成していくことはもちろんだが、放射性物質に汚染されることに馴らされてはいけないということ、それらを忘却しないよう、くり返しくり返し想起しなくてはならない、というところへ入ってきているのだ。

そうはいっても、『いのちの食べ方』ゲイハルターであるだけに、『プリピャチ』は単純な反原発ドキュメンタリーではない。立ち入ることのできない原発事故後の30キロ圏内の映像と、ゾーンに出入りする人々へのインタビューで構成するのだが、主眼は別のところにありそうである。バウハウスの建築デザインを思わせる、計算され、美しい構図で映し出されるゾーン内の原子力発電所内部のモノクローム映像は、不穏なまでに美しい。その機能美の極限にある原子力テクノロジーが持っている禍々しさが、そこには言語を介さない形で直接的に表象されているのだ。


原発投下という「実験」

私たちにとって人体に影響のある放射性物質と放射線量の問題は、つまるところは目に見えない、におわない、語感で感じることができない特性にある。だが、診察する医師にとっては、少し問題のあり処が違ってくる。フランス人監督の手によるドキュメンタリー『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被爆』では、自らが広島の被爆者であり、長年被爆者の治療にあたってきた医師・肥田舜太郎が次のように語る。

「病院へ行って調べても、放射線の影響だということは絶対わからない。調べる方法がない、証明のしようがない。だから僕たちは〝同じ症状がこんなに起こった〟という、数で話をするしかないんです」。肥田医師は、『核の傷』撮影時には85歳で現役の医師であり、2012年現在では、唯一存命している95歳の被爆医師である。『核の傷』が観る者に与える感銘は、医師として原爆投下後の戦いに身を捧げた、この医師の生のあり方に多くを負っている。 







 原爆が落ちた場所から数キロメートルのところにいて、20代で被爆した肥田医師によれば、アメリカが広島に原爆を落としたのが午前8時15分だったことは偶然ではなかった。広島市に住む人たちが、屋外や遮蔽物のないところへ出ている時間が何時なのか、偵察をした上で周到に時間を決めたという。そして、原爆投下直後にアメリカはABCC(原爆障害調査委員会)を設立し、文字通り人体実験を行っていった。

 このドキュメンタリーでは、広島フィルム・コミッション、アメリカ国立公文書記録管理局、平和博物館を創る会、ヒューストン医師会などにアクセスして、原爆投下直後の広島のカラー映像や、アメリカの機関ABCCによって調査された被爆者たちの身体映像が次々に映し出される。その悲惨な姿も十分にショキングだが、それ以上に衝撃的なのは、ABCCが原爆の犠牲者たちの検査だけをして、治療を決して行わなかったという史実の方である。治療をすれば、原爆を落としたことの非を認めることになるからだ。

「まずは火傷とか、怪我など、外側を診ます。その後入院させていろいろ検査する。死ぬと全部解剖して、全部切り刻む。脳から内臓全部瓶の中にいれて、消毒液をいれて、バンバン本国へ運ぶわけ。解剖したら体がからんどうになるから、その中に藁くずを入れて、仮縫いして家族にもどしていた」と、肥田医師はいう。これは私たちと無関係な過去の事象ではない。放射能の人体に対する影響の知識や、放射線の人体にとっての限界量は、これら広島や長崎の被爆者に対して行われた「実験」を通して得られたものであるからだ。

 

 このような非道が行われていたのにもかかわらず、アメリカと日本の政府は「被爆者で病気やけが人は一人もいない」という報告書を国連に出していたらしい。「科学」を名乗る集団が、そのような嘘の報告書づくりに加担するのだ。どこかで見た光景である。戦後30年経って、次第に内部被爆の影響が判明するなかで、肥田医師は国連に被爆者の実態を訴えるが、証拠がないと言われた。そこで、さまざまな団体と共同で1万人の被爆者から証言を集めて、国連にようやく被爆者の実態を認めさせたという。

 いつも不思議に思うのは、どうしてこのような公然とした虚偽がまかり通り、人々は見てみないふりをし、当事者ですらそれがなかったことのように忘却できるのか、ということだ。『核の傷』では、スターングラスという放射線物理学者がインタビューで、誰もが抱くその疑問に見事に答えている。「(アメリカ)政府は放射線の影響を公にしたくなかったのです。影響が解明されるまでの5~15年間に原子炉建設がいくつも計画され、ウラン発掘に巨費が投じられていました。石油や石炭がやがて不足して、原子力が必要になると考えたからです」。

 スターングラスによれば、原発の風下に住む人々が癌で死んでいくことは明白な事実である。「アメリカや欧州で出版された数々の資料によると、原発が稼動しているとき癌発症率は急激に上昇して、閉鎖後は減少します」という。それでは何故、誰も原発を閉鎖しようとしないのか。そこには、私たちの生活を支えるエネルギーの問題、地域の雇用、経済への影響、政府や電力会社や建設会社の思惑が複雑に絡まっている。そして、最後には何となく慣れてきて「健忘症」がおとずれる。ひょっとしたら、私たちは豊かな生活を享受し、その代償として健康を害し、死んでいくのにふさわしい愚者にすぎないのかもしれない。原発や核兵器を止められない人類など存続するに値しないが、それでは、地球上の自然や他の動植物に申し訳ない気もするのである。

 

 

 『プリピャチ』  
監督/ニコラウス・ゲイハルター
1999年/オーストリア/HDカム/100分/モノクロ
公式サイト http://www.uplink.co.jp/pripyat/  
アップリンクXほか、全国順次公開予定
 
 『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被爆』  
監督 マーク・プティジャン ナレーション 染谷将太
2006年/フランス/ビデオ/53分/カラー 
公式サイト http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/
4/7(土)より渋谷アップリンク他にて公開
 
 
 
 
【執筆者プロフィール】 金子遊(かねこ・ゆう) 74年、神奈川県出身。映像作家・批評家。劇場公開作にドキュメンタリー『ベオグラード1999』、編著に『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』がある。最近は実験映像・ドキュンメンタリー漬け。新作『ムネオイズム2.0』の配給を目指し、クラウドファンディングで出資を募っています。
 
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