n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

東日本大震災 被災地報告  稲宮康人氏 

2011-04-03 08:16:45 | 写真・映像
 日本を代表する若手写真家として期待されている一人です。
現在、東日本震災地を記録取材中です。

現地からの報告リポート 3月27日 いわき市

 いわき市北部の四ツ倉地区は津波被害がかなりヒドイ。
道には車が折り重なって詰まっている。
海沿いの道の駅四ツ倉港から流されてきたようです。

 被害がひどく県外に避難した人も多く、片付けなどは進んでいないようです。
「この家族は埼玉に避難してるからいないよ」と聞きました。
被害ばかりが目に付く中で今井製パンさんが復興の工事を始めていました。
「うちは学校の給食やってるから、早く復興しないと」とおっしゃってました。
「是非しっかりと記録して下さい。

 宮城県沖地震とかあったから津波は考えてはいたけども、今度のは全く考えもつかなかった。記録して伝えてくださぃ。」。
「頑張ってください」としか答えられませんでした。
ほんの少し多めに買ってきた食料をこの方たちに手渡して別の場所に。

 30キロ圏への境界とおぼしき地点。
撮影しているとトンネルの向こうから、真白な放射線防護服に身を包んだ人が乗った車がいわき市方面に走っていきました。
まさに、ここから向こうは原発屋内退避地域のようです。

 地元の人の車のたまに通りますが人の気配はホントにない場所でした。
被災者という漠然としたイメージでなく、目の前にある家や車や道具を使って普通に暮らしていた人の生活があったのですが、それが根こそぎなくなってしまいました。

 撮るという行為の無力感をひたすらに感じながらも撮影しました。
もう2週間になりますが火事場の臭いが漂ってました。

 津波の後に火災が起き「山の上にある避難場所からは街の方向に火柱が見えた」「あの子に逃げろって言ったけど、○○○を取りに帰ってそのまま津波に呑まれちゃったんだよ」「家はどこにあったのかな」「ここで中学まで過ごしたんだけど・・・・」「30キロ圏内でも逃げれる人は皆逃げてる」「家を建てるにも300万じゃ何にもできねぇ」「原発があるから復興っていってもなぁ」

 最後に小名浜港で打ちあげられた船の撮影をダッシュでして、いわき勿来から高速で宇都宮に帰還。

 いわき勿来のインターでは避難者向けに案内(無料で高速を使えるみたい)を配っていたけど、その人は高速会社の人でなく別会社から派遣された人だった。
被災地でも派遣労働が出てきて、最後に暗澹とした気分になった。高速に文句つけてた人が高速をフルに使うってのはどんなもんか、とも思いますが、無駄とか余裕とかはいざという時には役に立つものだと。

 宇都宮に行くと街が電気で明るくて、スタンドやコンビニやファミレスが「普通」にやっていることに違和感とか、有り難さを感じました。

 コメント・写真 稲宮氏 
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