チェルノブイリと福島は、悲劇の同義語となった。チェルノブイリ原発事故から26年目を迎えた4月26日、爆発した4号機を覆う安全強化のための新たなシェルターの組み立てが開始される。
チェルノブイリでの事故は「福島第一原発」で事故が発生するまで、原発史上最大の事故だと考えられていた。チェルノブイリ原発事故では原子炉が爆発した結果、放射性埃が当時のソ連邦のいくつかの構成国および欧州の国々に積もった。原発の半径30キロ圏内は立ち入り禁止区域となり、人体に最も有害な場所に住んでいた約20万の人々が移住を余儀なくされた。
事故から26年が経過した今も、ルクセンブルグと同じくらいの面積を持つ立ち入り禁止区域では、魚釣りや木の実の収穫、狩猟などが禁止されている。禁止区域は未だに放射線放射の源となっている。専門家によるとチェルノブイリ周辺が完全に浄化されるのは約2万4000年後だという。チェルノブイリの教訓は習得され、原子力エネルギーが発展している国々は国民の安全を保障するために全てを考慮していると思われた。だが、そうではなかった。
2011年に日本の「福島第一原発」で事故が発生した後、原子力施設の安全保障に関するは再び協議議題としてあがり、現在も原子力の平和利用に関する論争が続いている。目に見えない放射能は、一般の人々に脅威を与えている。原子力学者らは「安全保障が第一だ!だが現在、原子力に代わるエネルギーはない」との確信を表している。ロシア科学アカデミー原子力エネルギー安全保障発展問題研究所のアルチュニャン第一副所長は次のように述べている。
「原子力エネルギーの発展は必然的だ。原子力エネルギーは発展し、今後も発展し続けるだろう。放射線は地球上の全ての生物に付き物だ。放射線は現代産業が大量生産している化学物質とは異なり、自然界にも存在している。放射性物質は崩壊の特質を持っており、永遠に残る化学系廃棄物とは異なっている。例えばセシウムはおよそ30年後、別のものは100年後に崩壊する。」
生態学者や医師らは原子力発電所の安全保障に関する話は全て神話だと反論している。キエフの放射線臨床研究所の教授で、国際機関「核戦争防止国際医師団」のメンバーでもあるニャグ氏は、次のように語っている。
「原子力の支持者と学者たちの間では猛烈な争いが行われている。初めにチェルノブイリ、続いて福島が原子力技術の極めて高い危険性を示した。チェルノブイリ事故の後、放射線を浴びると遺伝子に異常が生じることが証明されていた。進化の視点から見てこれは後退となる。私たちは放射線を浴びた親から生まれた第2世代、第3世代の子供たちの発病率が高まると考えている。」
チェルノブイリそして福島でも最も多くの放射線を浴びたのは原発で事故処理に当たった作業員そして事故後に原発の周辺に住んでいた人々だった。
1970年代にチェルノブイリ原発の作業員のために、原発から3キロの位置に特別に建設されたプリピャチ町は現在、ゴーストタウンとなっている。事故の前には5万人が住んでいたこの町は、放射能に汚染されたコケ類と突き刺すような静けさに包まれている。ここでは鳥さえも鳴かないように思われる。プリピャチ町では事故から26年が経過した今も、複数の場所では放射線レベルが一時間あたり2000ミクロレントゲンに達している。
日本とウクライナは最近、原子力発電所での事故処理に関する協力協定を締結した。日本政府は原発事故処理に関するウクライナの経験を用いることができると考えている。協力の結果で得られた知識は、世界の財産とならねばならない。
ソース ロシアの声
最新の画像[もっと見る]