n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

歴史を訪ねて 北海道住宅事情 

2010-10-16 08:36:34 | 北海道開拓の村便り
 北海道の住宅環境が、100年遅れた理由。

 北海道開拓期「1884年」 当初・明治政府は、アメリカ式・ロシア式と二国の住宅を試験的に取り入れていたのです。
ロシア式住宅

 この住宅は、屯田兵「領土を守り・耕作を行う」制を明治政府が、推奨したもので当時・本州方面から移住した人々を対象に新たな住宅を提供したものです。

 現在の2×4方式の建築であり内部には、ペチカがあり各部屋の温度を保つ役割を果たしていたものです。
手前・アメリカ式住宅

 当時の北方型方式を取り入れていたら、北海道の住宅業界も進歩して、現在では海外進出が可能になっていたと思います。

 当時、屯田兵村・江別地区では各国の住宅を10棟建造したとの記録があります。建築経費は、平均日本家屋で50円程度 しかし、外国産では200~300円と高額であった様です。
経費の面でだけでは、無くて地理的な要因もあったようです。
それは、泥炭地帯に建設した事による(ひずみと傾き)から住宅としての機能を欠いたとの事です。
 そんな、事情で北海道が寒冷地住宅の開発に取り残された理由でもあります。
野幌屯田兵第二中隊本部
「北海道遺産」
 北海道開拓使長官・黒田清隆氏はロシアを訪問してロシア式住宅と馬橇・ペチカを日本に導入しました。
 これと同時に、ロシアの住宅職人と馬橇製造職人及びペチカ製造職人を契約で招聘していました。
日本人が、その技術を習得できない事でこの政策は頓挫する事になりました。

 サハリンマン
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