私が子供の頃は家庭風呂を内風呂、銭湯を外風呂と呼んでいたが、最近では外風呂とは露天風呂を指すようになっているようだ。何しろ家庭風呂の普及率は96%だということだから、風呂と言えば家庭風呂のことであり、銭湯は風呂と思われていないのだろう。風呂の無い家庭が僅か4%ということは、生活保護を受けている家庭(11%)と比べても遥かに少なく、家庭風呂はもはや国民にとって当たり前の施設となっている。
しかし各家庭に風呂があるということは必ずしも合理的とは思えない。家庭での熱エネルギー消費量の33%が給湯に使われ、水使用量の32%が風呂に使われているというデータを見て異常だと驚くのは私だけだろうか?
当然の話だが、風呂は風呂としてしか使えない。まれに死体をバラバラにするためにも使われるが、それは超レアなケースであって、せいぜい一人1日1回しか使わない。特に一人暮らしの家庭風呂は問題が多い。一番風呂は危険だと言うが一人暮らしなら毎日一番風呂に入らねばならないし、もし水を惜しんで何度も使えばレジオネラ菌が繁殖しそうだ。
もし風呂をなくせば1部屋増やせるか、1部屋分取得価格または家賃が安くなる。家庭風呂はそれほどの犠牲に値する施設なのだろうか。仮に日本に銭湯という施設が無ければ各家庭が風呂を備えねばならないだろうが、せっかく銭湯という半公共的な施設があるのだから、各家庭が風呂を持つことは大変な無駄遣いではないだろうか。
銭湯は徐々に減りつつあり、今のうちに保存を図らねば壊滅してしまいかねない。わずか1・2人のために風呂を沸かすのは止めて銭湯を利用すればどれだけ省エネになることだろう。
都市での移動手段が自動車から電車に移行するように、地価の高い都市でこそ家庭風呂を止めて銭湯利用に切り替えるべきではないだろうか。
しかし各家庭に風呂があるということは必ずしも合理的とは思えない。家庭での熱エネルギー消費量の33%が給湯に使われ、水使用量の32%が風呂に使われているというデータを見て異常だと驚くのは私だけだろうか?
当然の話だが、風呂は風呂としてしか使えない。まれに死体をバラバラにするためにも使われるが、それは超レアなケースであって、せいぜい一人1日1回しか使わない。特に一人暮らしの家庭風呂は問題が多い。一番風呂は危険だと言うが一人暮らしなら毎日一番風呂に入らねばならないし、もし水を惜しんで何度も使えばレジオネラ菌が繁殖しそうだ。
もし風呂をなくせば1部屋増やせるか、1部屋分取得価格または家賃が安くなる。家庭風呂はそれほどの犠牲に値する施設なのだろうか。仮に日本に銭湯という施設が無ければ各家庭が風呂を備えねばならないだろうが、せっかく銭湯という半公共的な施設があるのだから、各家庭が風呂を持つことは大変な無駄遣いではないだろうか。
銭湯は徐々に減りつつあり、今のうちに保存を図らねば壊滅してしまいかねない。わずか1・2人のために風呂を沸かすのは止めて銭湯を利用すればどれだけ省エネになることだろう。
都市での移動手段が自動車から電車に移行するように、地価の高い都市でこそ家庭風呂を止めて銭湯利用に切り替えるべきではないだろうか。