俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ミスは無くせない

2008-04-19 16:28:12 | Weblog
 ミスを無くそうとしても無理だ。ミスは絶対に発生する。
 野球でエラーを無くそうとしても無理だ。プロの試合でも殆んど毎試合エラーは発生する。
 無くすという非現実的な考えではなく減らすという現実的な方向で対処すべきだ。無くせる筈だという前提ではなく発生は不可避だからいかにしてその弊害を最小化するかという方向で取り組むべきだろう。
 試験においてもケアレスミスは避けられない。「ミスを無くせ」と精神論を説いても無駄だ。ミスをしても充分な得点を稼げるような学力を身につけるほうがずっと堅実だ。

正しい思想

2008-04-19 16:21:37 | Weblog
 万人向けの靴はあり得ない。例えば24cmの靴は女の2割と男の1割しか履くことができない。つまり85%の人にフィットしない。
 万人向けの教養もあり得ない。一般教養のレベルなら可能だが知れば知るほど専門化してしまい、千差万別の知識に拡散してしまう。
 同じように万人向けの思想もあり得ないだろう。思想は各個人が自分で学んで身につけるしかない。とは言えどんな思想でも正しいという訳ではない。40cmの靴があり得ないように間違った思想は簡単に識別できる。
 その1例として「憎悪の思想」が挙げられる。これは社会に対する憎悪が思想の形態を採っているにすぎない。例えば、破壊さえすれば新しい秩序が生まれるとか人を殺せば新しい真実が見えるという考えがそれだ。これは破壊することだけが真の目的だ。秩序を否定すればあとはどうにかなるという無責任な姿勢でしかない。建物を破壊すれば残骸が残るだけで、新しい秩序は生まれない。
 正しい思想は無数にあり得るが、だからと言ってどの思想でも正しい思想である訳ではない。間違った思想や思想と呼べるレベルに達していない偽思想もある。

言論の勇気

2008-04-19 16:08:42 | Weblog
 こんな心理実験がある。通常なら90%以上が正しい答を出せる簡単な問題を口答するだけなのだが、彼が答える前にサクラを使って間違った答を次々に言わせておくと被験者の正答率が著しく低下するそうだ。設問によっては90%以上がサクラに誘導されて間違った答を選ぶそうだ。
 人はこれほど周囲に影響され易い。自分の考えより多数者の意見を正しいものと思い勝ちだ。周囲と同じことを発言すれば安心できて、周囲と違ったことを言えば不安になる。
 アカの他人の言うことでさえ流されるのだから、権威のある人や目上の人の主張には盲従する。自分の本音は抑圧されてしまう。
 マスコミが「こうだ」と言えば本音は沈黙してしまい、多数者の意見に同調してしまう。マスコミが何かを叩けば一緒になって叩く。
 傍目八目と言われるように傍観者の立場のほうが正しい判断ができ易いのに、傍観者の立場でさえ周囲に流される人が当事者の立場に立てば正しい主張をすることは殆んど不可能に近い。完全に周囲の考え方に流されてしまう。当事者であっても断固として正論を主張するためには勇気が必要だ。「言論の自由」以上に「言論の勇気」の必要性が唱えられても良いのではないだろうか。周囲に逆らってでも正しい発言をするために必要なのは「自由」ではなく「勇気」だ。
 勇気の無い人は「自由」を与えられても「多数意見に同調する」という「自由」を選んでしまう。