俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

’60年代の洋楽

2008-05-02 10:31:42 | Weblog
 ’60年代の洋楽は画期的な時代だったと思っている。それ以前からアメリカから流入していたポップスやジャズやロックに、更にフォークソングなどが加わっただけではなく、フランスからはシャンソンが、イタリアからはカンツォーネが流入した。
 フランスのシルヴィ・バルタンやフランス・ギャル(今考えれば無茶苦茶な名前だ)、イタリアのジリオラ・チンクェッティなどの才色兼備の美人歌手も洋楽を一層華やかなものにした。
 アメリカの美人歌手の印象は薄い。レスリー・ゴーアという美人歌手がいたが日本ではどの程度評判になっていただろうか。むしろ女優のアン・マーグレットのほうが評判になっていたように思える。
 洋楽が定着したのは社会問題にまでなったビートルズに負うところが大きい。しかし当時のビートルズに対する評価は「不潔な不良の音楽」だった。
 ’60年代の後半にアメリカから「サイモンとガーファンクル」とカーペンターズが登場すると内外の音楽の格差は最大となった。
 皮肉なことに、内外のレベル差を縮めたのは「アイドル歌手」だった。ぽっと出の新人歌手を売り出すためにそれまでの邦楽とは違った新しい音楽が試された。山口百恵さんを始めとするアイドル歌手の歌はそれまでの歌謡曲とは一線を画した。
 最初の下手くそ歌手だと私が思っている南沙織さんの「17歳」や「潮風のメロディ」や、やはりヴィジュアル系歌手の麻丘めぐみさんの「悲しみのシーズン」や「白い部屋」はこういう状況から生まれた名曲だと思っている。

死ぬ権利

2008-05-02 10:08:18 | Weblog
 イギリスにはかつて「自殺をしたら死刑」という法律があった。さすがに余りにも馬鹿馬鹿しい法律なので廃止されたが、この法律は「自殺というキリスト教の教えに背いた行為には極刑を科するべきだ」という考えに基づく。
 今でもニューヨーク州には「ビルから飛び降りたら死刑」という奇妙な法律がある。ビルから飛び降りたら99%は死ぬのだから無意味な法律と思えるが、法律を悪事に対する規制とするなら必ずしも意味が無い訳ではない。
 飛び降り自殺は最近流行りの硫化水素自殺と同様迷惑な自殺だ。関係の無い人を巻き添えにしてしまう可能性が結構高い。
 死にたい人は、周囲に迷惑を与えない方法を使うなら勝手に自殺して構わないと思う。呼吸することですら苦痛である人やほんの少しの動きでも激痛を伴う人が苦痛から逃れるために死を選ぶのは正当な行為だ。こんな人を励まして苦痛に耐えさせることこそ不道徳だ。癌の末期の苦痛に対して必要な対策は延命ではなく鎮痛だろう。

転記

2008-05-02 09:50:55 | Weblog
 暇な職場では無駄な仕事(作業)が横行するものだが、その最たるものは「転記」だと思う。「清書」や「引用」と称して転記が行われるが、転記をすれば転機ミスが発生し、転記を繰り返せばまるで伝言ゲームのように当初の内容から懸け離れたものになってしまう。
 転記をするよりはオリジナルのものをそのまま使うかコピーをして使えば良い。もしオリジナルのままでは意味が伝わりにくいと考えるなら、注釈を赤ペンなどで書き加えたら良い。学術書でも同じだが、解釈を加えるごとに原典の意味から遠ざかってしまう。