俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

目を逸らす

2008-05-06 15:33:49 | Weblog
 子供の頃「キャー」と叫んで目を覆う同級生を馬鹿にしたものだ。目を逸らしても現状は変わらない。むしろ目を逸らしているうちに一層悪い方向へ進行する可能性のほうが高い。凶器を持った暴漢が目の前に現れたら自分の目を覆うのではなく一目散に逃げるべきだ。
 剣道で面を打たれる時に怖がって頭を下げると却って痛い思いをする。逆に打たれる時も目を逸らさずに見上げると正面の金具がガードしてくれるので全く痛くない。
 目を逸らすことは現実からの逃避でしかない。将来、問題が大きくなることが分かっていてもなぜか放置されることが多い。目を逸らしていたら事態が勝手に好転すると思っているのだろうか。
 団塊の世代の定年退職も75歳以上が急増することも昔から分かっていたことだ。分かっていることに対しては対策を立てねばならない。対策を立てないことは怠慢以外の何物でもない。それとも目を逸らしている間の奇跡が起こって総てが解決することを期待したのだろうか。

仕事を作る人

2008-05-06 15:22:19 | Weblog
 仕事を作る人がいる。仕事を増やす人とも言われる。こういう人は概ね部下からは嫌われている。
 仕事を作る人は大抵管理主義者で詳細な報告を求める。営業部門なら詳細な日報を求めるし、事務部門なら何に使うのか分からない面倒な資料作りを命じる。本人はこれによって統制のとれた組織になると一人ご満悦の様子だが作らされるほうにとっては迷惑な話だ。新たな仕事(作業)によって労働時間が増える。昨今の残業削減の風潮の中では本来やるべき仕事を削ってでも上司の求める無駄な仕事を優先してこなさざるを得ない。当然こんな部署の業績は悪化する。
 こんな人は社会人失格だと私は思うのだが、意外なことに上司からは管理能力が高いと評価されて昇進することが多い。こんな馬鹿な評価をしているから、日本ではブルーカラーの生産性は高いにもかかわらずホワイトカラーの生産性は世界一低いと言われるのだろう。
 勿論「仕事を創る人」もいる。新しいビジネスを生み出す創造的な人はこんな管理主義者を評価せず、その結果「元気な企業」が生まれる。

運動速度の相対性

2008-05-06 15:08:38 | Weblog
 動く物体の危険性はその絶対速度ではなく相対速度と方向によって増減する。
 同じ方向へ同じ速度で移動するなら他人に物を手渡すこともできる。電車の中なら勿論のこと、別の自動車の間でもそれは可能だ。速度は相対的であり、同じ速度で同じ方向に進むならその相対速度はゼロになる。
 逆方向へ進む場合は加算される。100km/hの自動車同士が正面衝突をすれば200km/hに相当する力が加わる。
 140km/hで走るトラックから後ろに向かって140km/hのボールを投げたらどうなるか?140km/h-140km/h=0となる。このことは「トリビアの泉」でも紹介された。トラック内のカメラが捕らえた映像では荷台から投げられたボールは唸りを上げるような勢いで飛んでいった。しかし地上から見た映像ではボールは荷台から出た瞬間にポトリと真下に落ちた。慣性の法則に基づけば当然のことだが私はこの映像を見て大笑いした。
 マラソンのスタートでは大勢が一斉に走り出す。全員がほぼ同じ速度で走るから滅多に混乱は生じない。もし斜めに走る人や後ろに走る人や極端に遅い人がいれば大混乱に陥るだろう。
 ところで歩道は今どんな状態だろうか。交通法規上は右側通行だが左側を歩く人のほうが圧倒的に多い。歩行者は4km/hぐらいでぶらぶら歩いている。2人連れ・3人連れで歩く人は概ねもっと遅く歩く。子供は予想できない方向へ突然動く。ここに自転車が加わればどうなるか。
 自転車は多分10km/h以上でなければ安定走行できない。それより遅いと不安定になる。ぶらぶら歩いている人と直進する自転車が同じ場所にいればぶつかって当然だ。全車両が同じ方向に走る車道のほうが安全とさえ思える。
 速度も方向も違う動体を同じ場所で共存させることは不可能だ。動体がランダムに動けばぶつかることは必然だ。方向を一定に定め、更に速度を合わせない限り衝突は避けられない。
 歩道上で歩行者と自転車を共存させるためには、最低限でも方向か速度を調整する必要がある。歩行者が一方向に一列で進むという秩序ある状態が実現できないうちに自転車の走行迄認めるのは無理がある。