「罪と罰」のラスコーリニコフはこう考えた。「金貸しの老婆が金を持っているよりも貧しい大学生の自分が有意義に金を使ったほうが社会的には良いことだ。人間が家畜や虫ケラを殺しても構わないように私には老婆を殺して金を奪う権利がある。」こういう考えに基づいて彼は凶行に及んだ。彼は老婆を虫ケラと見なして殺害して金を奪った。
彼の論理の誤りは、彼が老婆を虫ケラと見なしても老婆が虫ケラに「なる」訳ではないということだ。彼にとっては虫ケラであっても老婆の家族にとっては大切な家族であり、老婆の友人にとってはかけがえのない友人であるという事実を彼は見落としている。
誰かを「犬畜生にも劣る奴」と考えてもそれは主観的判断であり事実であるとは限らない。自分を「世界で一番重要な人間」と考えるのは勝手だが客観的事実ではない。「と思う」や「と信じる」ということと「~である」ということとは大きく懸け離れている。妄想の世界以外で「と思う」と「~である」が完全に一致することは無い。その意味では長時間ヴァーチャルの世界に浸ることは危険を招くと言えよう。
彼の論理の誤りは、彼が老婆を虫ケラと見なしても老婆が虫ケラに「なる」訳ではないということだ。彼にとっては虫ケラであっても老婆の家族にとっては大切な家族であり、老婆の友人にとってはかけがえのない友人であるという事実を彼は見落としている。
誰かを「犬畜生にも劣る奴」と考えてもそれは主観的判断であり事実であるとは限らない。自分を「世界で一番重要な人間」と考えるのは勝手だが客観的事実ではない。「と思う」や「と信じる」ということと「~である」ということとは大きく懸け離れている。妄想の世界以外で「と思う」と「~である」が完全に一致することは無い。その意味では長時間ヴァーチャルの世界に浸ることは危険を招くと言えよう。