俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

虫ケラの殺害

2008-05-11 10:55:23 | Weblog
 「罪と罰」のラスコーリニコフはこう考えた。「金貸しの老婆が金を持っているよりも貧しい大学生の自分が有意義に金を使ったほうが社会的には良いことだ。人間が家畜や虫ケラを殺しても構わないように私には老婆を殺して金を奪う権利がある。」こういう考えに基づいて彼は凶行に及んだ。彼は老婆を虫ケラと見なして殺害して金を奪った。
 彼の論理の誤りは、彼が老婆を虫ケラと見なしても老婆が虫ケラに「なる」訳ではないということだ。彼にとっては虫ケラであっても老婆の家族にとっては大切な家族であり、老婆の友人にとってはかけがえのない友人であるという事実を彼は見落としている。
 誰かを「犬畜生にも劣る奴」と考えてもそれは主観的判断であり事実であるとは限らない。自分を「世界で一番重要な人間」と考えるのは勝手だが客観的事実ではない。「と思う」や「と信じる」ということと「~である」ということとは大きく懸け離れている。妄想の世界以外で「と思う」と「~である」が完全に一致することは無い。その意味では長時間ヴァーチャルの世界に浸ることは危険を招くと言えよう。

売買春

2008-05-11 10:41:11 | Weblog
 売買春について考える時に男と女の意見は大きく分かれる。男は男の立場で考えるから売春する女が悪いと考える。女は女の立場で考えるから買春するスケベオヤジが悪いと考える。これでは議論が進展しないから些かアブノーマルな状況を設定して考えてみたい。
 同性愛の男が性欲を満たそうとしたらどうするだろうか。身近な人に手を出して失敗すれば社会的地位を失う恐れがあるからネットやゲイバーで同好の士を探すだろう。好みの相手が見つかって性行為をするために金を支払ったとすれば金を払う側と受け取る側のどちらが悪いのだろう。
 気持ち悪い話だがそれはさて置き、どちらも余り悪くないように思える。合意に基づいた金銭の授受と思える。しかし同性愛ということを「悪」とするなら金を貰ったほうが一層悪いと言えよう。払う側は金を払ってでも欲望を遂げたいという苦しい立場だが、金を貰う側は(やはり同性愛者なのだから)楽しい思いをして金儲けをしているのだから。
 麻薬を売る側と買う側はどちらが悪いだろう。売る側がはるかに悪いと断言できる。売る側は麻薬を蔓延させて悪事を拡大してそれによって儲けているのだから。売る側の悪さを考えれば、買う側は被害者とさえ言えよう。
 贈収賄ならどうだろうか。やはり貰う側が悪い。賄賂を納める業者は喜んで納めている訳ではなくそうしなければ仕事が得られないための必要経費として賄賂を納めている。言わば被害者だ。賄賂を要求する者が加害者だ。
 偽ブランド品ならどうだろうか。やはり売る側が悪い。売る側は「買う馬鹿がいるから売っているだけだ」と開き直るかも知れないが売る側のほうが圧倒的に悪い。
 以上の類例から、私は売買春は売る側のほうが悪いと結論したいがどうだろうか。特に女性からの反論に期待する。
 霞を食って生きる訳には行かない人間が金を稼ぐことは決して悪いことではない。必要な行為だ。しかし悪事で金を稼ぐことは悪事そのもの以上に悪い行為ではないだろうか。

心神耗弱

2008-05-11 10:17:54 | Weblog
 危険運転致死傷罪が制定されてから飲酒運転事故が大幅に減っている。2000年には26,000件もあった飲酒運転事故が2007年には7,000件台にまで減った。厳罰化によって事故が減った典型的な実例でありそれなりに有効な法律だとは思うが、私は大きな疑問を感じている。刑法39条と整合していないからだ。
 刑法39条によれば心神喪失なら罪を問われず、心神耗弱なら減刑されることになっている。
 酩酊状態が心神耗弱状態であることは明らかだ。精神が異常な状態でなければかつて「走る凶器」とまで言われた自動車を酩酊状態で運転できる筈がない。
 飲酒運転事故だけは心神耗弱状態を理由に厳罰化され、その他の犯罪では心神耗弱状態を理由に減刑されているのが現状だ。法律をこんな支離滅裂な状態にしておいて良いのだろうか。
 異常な犯罪ほど被告の心神耗弱が争点となり、犯罪の事実よりも(誰にも分からない)犯罪時点での被告の精神状態に議論が集中する。弁護団が被告の異常性を強調すればするほど刑が軽くなるという奇妙な裁判が続いている。
 心神耗弱という曖昧な概念が法律に必要だろうか。公判時点ならともかく犯罪時点で被告が心神耗弱状態だったかどうかなど絶対に誰にも分からない。分からないことを裁判で争うから裁判官による恣意的な判決が横行する。これでは裁判の公平性が損なわれてしまう。