俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

コーヒーに

2008-06-04 19:42:28 | Weblog
 コーヒーに入れるクリーム状の液体を関西では「フレッシュ」と呼ぶことが多い。「クリーム」という呼称が使われない、いや、使えないのは理由がある。クリームではないからだ。「フレッシュ」はクリームや牛乳とは縁もゆかりも無い。植物性油を加工してクリーム風に仕立て上げた代物だ。
 皮肉なことに植物性油だから常温流通が可能だし、牛乳から作るクリームより安価だ。百円ショップの棚には様々なメーカーの偽クリームが並べられている。かつては小さく、今では大きく「植物性油脂」と表示されている。個々の小さな「フレッシュ」には原材料表示をする義務がないので、今でもクリームだと思っている人は少なくなかろう。

クラスター爆弾

2008-06-04 19:34:12 | Weblog
 日本政府は126億円かけて買ったクラスター爆弾を100億円かけて廃棄するそうだ。私は兵器には詳しくないが少なくとも次の3つの兵器は日本には不要だと思う。核兵器、細菌兵器、そしてクラスター爆弾だ。これらは攻撃した地域を汚染する、つまり敵地で敵国にダメージを与えるための兵器だ。専守防衛の筈の自衛隊(日本軍)が使うチャンスは全く無い。なぜこんな役に立たない兵器を購入したのか理解に苦しむ。兵器マニアの防衛省高官が興味本位で買ったとしか思えない。
 SFのような話だが専守防衛のためにはロボット軍が最も有効だ。ロボット軍は敵国の戦意を削ぐ。兵士だって人間だ、人間相手ならともかくロボットを相手にして命を賭けて戦うなど馬鹿馬鹿しくてできまい。

自我の不統一

2008-06-04 19:24:42 | Weblog
 階級間闘争だけで解明できるほど社会は単純なものではない。政治、経済、マスコミ、天気など数百・数千の力が自己主張をする泥沼のようなものだ。
 個人も統一された自我が統治している訳ではない。様々な感情や欲望がせめぎ合う戦場のようなものだ。その時々の状況や体調によって個人の反応は大きく異なる。
 例えば目の前にごちそうがあるとする。「食べたい」という欲求と「食べ過ぎて太りたくない」という感情と「安全だろうか」という不安など多くの思いが同時に交錯する。
 思いはバラバラでも1つの行為を選ばねばならない。行為する体は1つしか無いからだ。これが自我という迷信を生む。個人とはバラバラの感情が争う戦場であることが忘れられている。
 ある感情を抑圧すると抑圧された感情がいずれ反乱を起こしかねない。自我の統一を信じるよりは自我の分裂(不統一)を信じたほうが精神衛生上では好ましい。そのことを初めて指摘したことはフロイトの偉大な功績だろう。

権利と義務

2008-06-04 19:13:34 | Weblog
 戸籍の無い人がいる。離婚後300日以内に生まれた人は前の夫の子供としての戸籍しか取れないことが主な原因だ。戸籍が無ければ結婚もできず、その子供も無国籍になってしまう。
 戸籍が無ければ資格も免許も取れないし選挙権も無い。言わば基本的人権が剥奪された状態だ。
 私は権利と義務は表裏一体と考えている。権利には義務が伴うし義務には権利が伴うと考えている。もし権利が剥奪されるなら義務を果たす理由は無い。権利を奪われながら義務が課せられるのは奴隷だけだ。
 もし国や自治体が戸籍を認めないのなら戸籍の無い人は税金を納める義務は無い。所得税や住民税は勿論のこと消費税も納める必要は無い。正当な権利を奪っておいて義務だけを命じるのは理不尽だ。
 ある役所で「あなたは既に死んでいる」とまるで「北斗の拳」のようなセリフが使われたそうだ。死亡届が受理されたらその人は死んだことになっているからだ。戸籍上では死んだことになっている人には人権は無いから本人が訂正することはできない。家族が訂正を申請してやっと戸籍を回復したらしい。
 実際に本人が目の前にいるのに法的手続きを根拠に戸籍を拒絶するような馬鹿馬鹿しい行為は漫画かジョークの世界に限定して欲しいものだ。