俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ヤツアタリ

2008-06-16 11:37:39 | Weblog
 ヤツアタリは私にとっては不可解な行為だ。
 小学生の頃、ヤツアタリをして壁を殴ったことがある。自分の手が痛いだけだった。もし他人や動物に危害を与えていたら、自分の痛みだけではなく危害についての後悔が加わって一層不愉快になっていただろう。
 虫の居所が悪くて些細なことに怒ったこともある。しかしこれはヤツアタリではない。関係ない者を攻撃するのがヤツアタリだ。
 なぜヤツアタリで気が晴れるのだろうか。「自己対他者」という単純な世界観を持たなければそんな奇妙な感情は生まれ得ない。
 仮に自己が1つであろうと他者は1つではない。自分対外部という世界観は乳幼児の知的レベルでしかない。社会に対する復讐という言葉は幼児性を意味する。

天災と人災

2008-06-16 11:28:55 | Weblog
 天災を日本人は必然として受け入れる。人智が及ばないことに対して不満を持つことは天に向かってツバを吐くようなものだと考え勝ちだ。
 しかし天災は本当に諦めるべきことだろうか。海のほとりに住んでいて津波に会うことや耐震性の乏しい家で震災に会うことは少なからず人災ではないだろうか。
 通り魔や鉄道事故は人災で、地震や台風は天災とされるが割り切り過ぎではないだろうか。天災とされることにも人為的要因は決して少なくない。天災による被害はもっと減らせる筈だ。天災として諦めるべきではない。

サングラス

2008-06-16 11:21:30 | Weblog
 今年からビーチやプールサイドでサングラスを使い始めた。
 これまではサングラスが必要なのは光に弱い西洋人か顔を隠したい芸能人か犯罪者だけだと勝手に決め付けていた。しかし夏ごとに視力が劣化するように感じ、決して過度の明順応によるものではなく紫外線による障害を疑うようになった。
 紫外線の悪影響に関してマスコミは皮膚ガンについてばかり騒ぐが目への影響についてもっと報じるべきだと思う。紫外線を皮膚で浴びることにはメリットもデメリットもあるが、目が受ける影響はデメリットしか無さそうだ。
 しかしサングラスを使い始めてから困った問題が生じた。私は泳ぐ時には必ずゴーグルを使う。これだけでも目の周りが焼け残っていたのだが、サングラスを使えば一層目の周りだけが白くなる。パンダのように目の周りが黒いのは可愛くても目の周りが白い「逆パンダ」は可愛くない。鏡で顔を見ると黒い覆面をしているように目の周りが白い。これでは忍者とか怪傑黒頭巾とかいったアダ名を頂戴してしまいそうだ。
 どうやったら「逆パンダ顔」から脱出できるかを大真面目に考える必要がありそうだ。とりあえず目を閉じる時には必ずサングラスを外すことにしている。

無駄な一生

2008-06-16 11:06:35 | Weblog
 もし私がオウム真理教の熱心な信者でその布教のために一生を費やし、死ぬ直前にそれが誤った宗教だと気付いたとしたら私の一生は無駄遣いされたことになる。
 これと似たことは沢山ある。誤った思想・信条のために一所懸命尽くしたとしたら、「無」あるいはマイナスのために生きたことになる。
 思想は自分で選択することができる。人はその思想に基づいて生きる。しかしその思想が根本的に誤っていれば一生が無駄になってしまう。
 教え込まれた誤った思想に基づいて一生を無駄遣いしてしまう恐れがあるのだから、自分の考えが本当に自分で考えて納得したものなのか、それとも誰かによって植え付けられた誤ったものなのか常に検証する必要がある。