俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

共感

2009-07-07 17:02:23 | Weblog
 共感は人間特有の優れた能力だ。しかし不幸への共感は人を不幸にする。もともと悲しみや不幸が多すぎる人間という生き物が他人の不幸や悲しみに共感してしまえばこの世を呪いたくなってしまう。
 日本では子供の頃から「同情」することを教えられるが、これは生きる喜びを減らしてしまう。
 より重要なのは喜びに対する共感だ。他人の喜びを共感できればこの世は喜びに満ちたものとなる。
 あるいは笑いに対する共感も良い。レベルの高いジョークで共に笑うことは生きる悦びを与えてくれる。
 同情ではなく喜び・悦び・慶びに対する共感を習得すべきだ。マイナスの共感を奨励するのではなくプラスの共感を奨励するだけでこの世は遥かに素晴らしい世界に変貌する。

漆器

2009-07-07 16:49:31 | Weblog
 ある日本の芸能人が韓国でテーブルマナーが悪いと笑われたそうだ。理由は吸い物の容器を手で持って容器に直接口を着けたからだ。
 彼も西洋でならこんな行儀の悪い飲み方をしなかっただろう。文化も人の顔もよく似た韓国だからついつい油断してしまったのだろう。
 日本のテーブルマナーはかなり特殊だ。吸い物の器を手に取って器から直接飲むことを容認する世界で唯一の文化だろう。西洋でも中国でも韓国でも吸い物にはスプーンかれんげを使うのが常識だ。
 なぜ日本だけがこんな変なテーブルマナーを採用したのだろうか。多分漆器という非常に優れた容器が安価で供給されていたからだろう。
 意外と知られていないことだが漆器は英語ではjapanと呼ばれている。陶器がchinaと呼ばれて中国文化を代表するように、漆器は日本文化を代表する道具だ。
 断熱性が高くしかも軽い漆器というとてつもなく優れた食器があるからこそ日本には他国と違った独自のテーブルマナーが生まれた。
 もし漆器が無ければ吸い物には匙を使っていただろうし、味噌汁ももっとドロドロした飲み物になっていただろう。

きれいごと

2009-07-07 16:32:52 | Weblog
 4日(土)の朝、桜井市で高校生が同級生を刺殺する事件があった。私はこの高校生の「心の闇」を探りたいなどとは思わない。どうせくだらない動機に基づく犯罪だろう。
 私が憤りを感じるのは学校側の対応だ。私は決して少年の犯罪に関する学校の責任を追求したがるほうではない。しかしこの釈明は論外だ。校長は「今後、命を大切にする教育に力を入れたい」と言った。何を他人事のように言っているのか。危機意識が全く感じられない。この校長に限ったことではないがこんな抽象的な目標では何も解決されない。こと無かれ主義にどっぷり浸かっているからこんな暢気で無責任な発言を恥ずかしげもなく口にできるのだ。
 99%の人は「命が大切」であることを分かっている。命を大切だと思わない1%をどう扱うかが問題だ。
 狂犬なら処分するしかない。狂犬でないなら教師が身を張ってでも育成すべきだ。それだけのことをやったのだろうか、あるいはやらせるべく指導をしたのだろうか。多分「落ちこぼれ」は放ったらかしにしたのだろう。
 全校生徒を指導する必要は全く無い。99%の生徒にとってそれは時間の浪費でしかない。それが必要な1%の生徒にだけ徹底的に指導してそれが不可能なら警察に任せれば良い。責任逃れを最優先にしているからこんな簡単なことさえ分からなくなってしまっている。