俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

高齢者のワークシェアリング

2009-07-15 16:57:56 | Weblog
 100年に1度の不況にあえぐ企業にとっては、大した働きもせずに高い給料を受け取る高齢者は給料泥棒であり穀潰しでしかなかろう。しかし高齢者の高給は年功序列制度のもとでは当然のことだ。あとで支払うという約束のもとで若い間は安月給でコキ使われて、いざ受け取る時期になったら反故にされるのでは詐欺のようなものだ。
 こんなあと払い(ツケ)というシステムの矛盾が現在の高齢者潰しを招いているのだが、今更どうしようもない。
 唯一の解決策は高齢者のワークシェアリングだろう。定年後の生活の準備を兼ねた週休3日制や4日制は必ずしも高齢者にとって不利益とは思えない。時給換算では賃上げとなる形での休日増は高齢者にとっても企業にとってもメリットがある。
 企業にとってのメリットは単に経費削減だけではない。フル勤務では体力的に厳しい高齢者に時間的余裕を与えることによって経験を生かした創造的な能力を発揮して貰える。言わば耐久レースの代わりに短距離走で能力を発揮してもらうようなものだ。

99.9%

2009-07-15 16:38:49 | Weblog
 刑事事件の地裁判決の有罪率は99.9%だそうだ。(07年99.86%、06年99.87%、05年99.82%)
 これほど有罪率が高いのは余程検察官が優秀なのか、弁護士が働かないのか、裁判官が無能なのかのどれかだろう。多分、国は裁判官の能力が低いと考えて素人参加の裁判員制度を導入したのだろう。
 裁判官が最優先で判断すべきことは検察側の主張がそもそも正しいかどうかということであって、量刑をどうすべきかは二次的な課題だ。
 これほど有罪率が高いと裁判官は根本的な問題(有罪か無罪か)を考えずに量刑だけを考えるようになってしまう。どの程度の罪を課するかだけが自分の仕事だと錯覚してしまう。
 司法の世界は検察・弁護・判事の3者のバランスで成り立っている。この3者が馴れ合ってしまったらまともな判決は期待できない。
 被告もこの有罪確率の高さから起訴された時点で無罪を諦めてしまう。争点は減刑に絞られる。これだから冤罪が多発する。
 裁判官はまるで自動販売機のようなものだ。検察側の求刑を2割引にすることが裁判官の仕事で、この2割が弁護士の収入に繋がるそうだ。なんという談合体質か。こんな状態では裁判に期待できない。
 多分、裁判官が無罪判決を出すためには大変な勇気が要るのだろう。何しろ1,000回に1回しかないことであり、もし裁判官に無罪判決を出されたらその担当検察官の将来は閉ざされてしまいかねない。検察官を守るためにも裁判官は有罪判決を出し続けねばならない。一生に一度も無罪判決を出したことのない裁判官もいるのではないだろうか。

神無き世界

2009-07-15 16:26:12 | Weblog
 一神論の西洋人だけではなく多神論の日本人も「神無き世界」を恐れる。神という絶対的価値が無くなれば社会の秩序が崩壊すると本気で考える。
 嘘に基づく秩序など要らない。嘘に基づく平和も要らない。嘘に基づく安寧など全く必要ない。
 偽りの価値体系など崩壊させるべきだ。事実に基づいて価値体系を築き上げれば良い。
 絶対者を求めるのは奴隷根性だ。奴隷のみが命令されることを望む。主体的に生きようとする者は絶対者を求めない。
 神という絶対者からの解放は人間を自由にする。嘘によってがんじがらめになっていた人間が初めて自らの意思に基づいて行動する自由を得る。
 堅牢な嘘よりも柔弱な事実のほうが好ましい。嘘はいずれ嘘であることが白日の元に晒される。神を失くして初めて人間は自己を獲得できる。
 普遍的な価値がある→あるべき→あって欲しい、という妄想を卒業して相対的価値の荒海に船出して初めて人は人本来の姿を獲得できる。