俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

医師の不養生

2009-08-04 16:55:19 | Weblog
 医師の平均寿命は一般人より10年短いと言われている。手元に正確な資料が無くて申し訳ないが、東京都の医師の平均寿命は68歳だそうだ。この情報が正しければ確かに医師の寿命は10年短い。
 これは不養生によるものだろうか。ある意味では不養生とも言えるが、これは医師本人の意思によるものではなく、医師という職業に強いられた職業的な不養生によるものだろう。
 まずストレスが大きい。命を預かるのだから常にプレッシャーに曝される。
 生活が不規則になる。夜間診療などによって自由な睡眠を妨げられる。
 何よりも大きな原因は、病人と接せねばならないということだろう。病院には様々な患者が集まる。つまり様々なウィルスに日々曝されることになる。危険なウィルスによる感染が予想される時、一般人は人ゴミから逃れる。一方、医師は危機の最前線へと駆り出される。診療とは消火と同様、命懸けの行為だ。
 医師はこんなに命懸けで働いているのになぜ責任逃ればかりを考えるマスコミに叩かれねばならないのか理解できない。

平均

2009-08-04 16:43:40 | Weblog
 平均は正常と同義語と見なされることが多い。平均的な血圧や血糖値やコレストロール値などは大抵の場合正常(健康)値を意味する。
 多数者の考え(平均的な考え)を正しいものとするという前提で民主主義は成り立っている。裏を返せば、少数者の意見は正しくないということが民主主義の原則だ。
 しかしこんな平均万能主義はすぐに破綻する。身長170cm前後の男と160cm前後の女だけが正常で、180cmの男や150cmの女を「異常」と呼べば多くの人が反対するだろう。
 あるいは100mを15秒程度で走れる人が正常で、10秒で走る人が「化け物」ならオリンピックは化け物と出来損ないの展示会になってしまう。
 平均を「善」と考える人にとって、平均を超えることも平均を下回ることも「悪」だ。平均を超えることは「向上」ではなく平均からの逸脱(劣化)でしかない。
 平均的であることは正常であることを意味することも多いが、時には凡庸さを意味することを忘れてはならない。

裁判員制度

2009-08-04 16:23:11 | Weblog
 昨日(8月3日)から裁判員制度が始まったが、なぜこんな変な制度が生まれたのかさっぱり訳が分からない。裁判を「視聴者参加番組」風にしても何のメリットも無い。
 日本は法治主義を採っているのだから判決は総合判断ではなく分析判断になる。つまり2+3=5と同様、法的な知識があれば誰でも殆んど同じ結論が導かれる筈だ。あらかじめルールが決められているのだからルール違反は法律に従って専門家が裁けば良い筈だ。裁判官が違えば判決が違うというのは法の元の平等以前の法治主義に背くことだ。
 野球であろうとサッカーであろうと先にルールがあるからゲームが成り立つ。選手はルールに従って全力を尽くす。もしゲームがうまく成立しないなら両チームで相談してルールを見直すか(例えば、ピッチャーをもう少し前から投げさせる、など)判定技術の高い人を審判にするかのどちらかだろう。少なくとも素人に審判をさせればマシになるとは誰も考えない。
 裁判に問題があるならまず問われるべきなのは法律そのものであり裁判官の資質であろう。素人を裁判官にして何が解決されるのだろうか。
 もし一部の裁判官がルールを無視するならその裁判官を罷免すれば良かろう。
 一番不思議なことはこの法律が全会一致で決められたということだ。民主党は勿論、共産党も社民党も賛成したということだ。なぜこんな奇妙な法律に反対しなかったのか各党の見解を聞いてみたいものだが、全党賛成なのだから衆院選の争点にもならない。
 与野党の談合で変な法律が施行された時こそマスコミは批判すべきだと思うのだが今のところそんな気配は見えない。奇妙なことだ。