俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

徹夜

2009-08-18 16:37:31 | Weblog
 試験前に徹夜で勉強をすることは、たとえ短期的にも、良い結果を招くとは思えない。
 体力テストや大切な試合の前日に徹夜で練習をする人はいない。直前まで厳しい練習をするよりは休養を取ってコンディションを整えることを誰もが心掛ける。
 体力であれ「脳力」であれ充分に能力を発揮させるためには直前の休養が必要だ。
 起きている限り脳は働き続ける。眠ることによってのみ脳を休ませることができるのだから、脳を充分に働かせるためには充分な睡眠が必要だ。
 体については常識になっていることがなぜ体の一部である脳については例外扱いされるのだろうか。

年功序列

2009-08-18 16:25:19 | Weblog
 年功序列制度が多くの企業で再評価されているそうだ。当然のことだ。これは常識とは逆に、企業にとって有利な賃金体系なのだから。
 生涯賃金が同額なら支払いが遅いほど企業にとって有利となる。それを利用するのが年功序列であり退職金制度だ。
 本来40代までに支払うべき賃金を後払いで50代に支払うことによって企業は資金繰りにおいても金利においても利益を得る。これが年功序列および退職金制度の企業にとってのメリットだ。
 給与を後払いにするメリットはそれだけではない。途中で退職したり不祥事を起こしたり死亡したりすれば、それまでに支払うべきだった賃金を踏み倒すことができる。
 日本だけで年功序列という制度が成功したのは日本人が羊のように従順で文句を言わない民族だからだろう。狼のような西洋人ならこんな制度を許さないだろう。
 成果主義で30代・40代の給与を上げてしまえば50代で賃下げでもせねば生涯賃金は大幅に増加する。人件費抑制のために始めた成果主義がかえって人件費を増やすことになることに気付いて慌てて見直しを始めたのだろう。

「社会」主義の矛盾

2009-08-18 16:12:28 | Weblog
 人類は社会的動物だ。一人で生きるよりも群の中で生きることを好む。群居動物としての本能が進化して社会に適応することを快適と感じる。
 こんな人類にとって社会主義や共産主義は合理的なシステムの筈だがこのシステムは破綻し続けた。なぜか?
 人類は社会的動物であると「同時に」個的動物だからだ。美味しいという感覚は共有できないし「好き」という感情も共有できない。
 個人にとって社会が総てではない。「個人的な」ことも「公益」に負けず劣らず重要だ。社会のために個人を犠牲にすることも個人のために社会を犠牲にすることもどちらも好ましいことではない。社会も個人(自分)も同時に幸せになることが最善の選択肢だ。
 この二面性を無視して社会秩序を維持するために個人の自由を否定することは人類の本性に背く。
 6対4の性質を10対0と見なして理論を構築すれば矛盾を招くのは当然のことだ。利己主義も社会主義も人類に対する偏った見方を最高善に据える誤った思想だ。