俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

核兵器

2009-08-10 19:31:46 | Weblog
 アメリカ人の61%が日米戦争における原爆投下を正当なものと考えているそうだ。
 これはとんでもないことだ。日本のマスコミはもっと騒ぐべきだ。戦争において核兵器を使っても構わないとアメリカ人は考えているということだ。過去の核兵器が正当なら現在及び未来の核兵器も正当ということだ。
 多分アメリカ人はヨーロッパにおいては核兵器を使うことを躊躇うだろう。しかしイエローモンキーの棲む日本や朝鮮、あるいは邪教を信じるイランなどの中東諸国に対する使用なら約60%のアメリカ人が賛成するかも知れない。

漬物

2009-08-10 19:15:50 | Weblog
 漬物は2種類の進化を遂げたと思われる。
 漬物の当初のコンセプトは腐敗し易い野菜を長期間保存すると共に、生より美味しくするということだったと思われる。しかしその後、道は2つに分かれた。
 一方は濃い味付けへと向かった。梅干や沢庵などに代表されるようにそれだけでおかずになる食物へと進化した。つまり粗末な食卓のメインディッシュだ(これを「味の濃い漬物」と呼ぶ)。
 もう一方は美味しさの追求と脇役への道を辿った。京漬物が代表例と言えるだろう。煮物や焼き物と一緒に出されても全体のバランスを崩さない箸休め的な存在になった(これを「香の物」と呼ぶ)。
 現代の典型的な和朝食はご飯に味噌汁と豆腐、海苔、生卵、納豆、漬物という組み合わせだろう(何だか吉野家の朝定食のようだ)。しかし殆どのファーストフード店の朝定食は「香の物」ではなく「味の濃い漬物」を使ってバランスを崩してしまっている。丼飯を2・3杯食べなければ漬物だけが残ってしまう。
 大豆の旨みを中心としたメニュー(味噌も醤油も大豆製品)に味の濃い漬物は合わない。朝定食に合うのは香の物だろう。
 浅漬けに醤油をかけるような味覚音痴が増えたことからこんな変な朝定食になってしまったのだろう。

善意

2009-08-10 18:59:27 | Weblog
 「なぜ正直者は得をするのか」という本が先月末に出て興味を持って読んだがつまらない本だった。「利己主義は結局損をする」ということが主旨なのだが損得をベースに考える限り善意は解明できない。損得を基準にした土俵に乗ってしまえば損得のレベルを超えて考えることはできない。
 善意は損得の秤に掛かるものではなく個人から溢れ出るものだろう。善良な人は損得などを基準にして行動しない。
 健康な人は体力の消耗を厭わない。子供がじっとしていることを嫌うように健康な人は動くことに喜びを感じる。一方、病人と病弱者は動きたがらない。動けば体力を消費するから損だと考える。
 知恵は苦しんで搾り出すものではなく、楽しく溢れ出るものだろう。賢い人は知恵を出すことを惜しまない。
 芸術家は損得などを基準にせず自らの創造意欲に基づいて創作する。
 最も個人的な行動である筈の性行為においてさえ、人は自分が直接感じる快楽以上にパートナーを悦ばせることに快楽を見出す。
 困っている人がいれば助けようとするのは自然な感情だ。誰かが川に落ちたりホームから線路に落ちたら誰でも助けようとする。これは損得勘定に基づく打算的行動ではなく自然な行為だ。
 他人を喜ばせることは気持ちよい。それはその後の損得ではなく社会的動物である人間の本能的行為と言えるだろう。