俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

台風一過

2009-10-06 15:40:47 | Weblog
 「台風一過」という言葉があるように日本では台風はすぐに通り過ぎる。これは日本の上空に偏西風があるためで上陸した台風はすぐに東へと流される。
 このことは日本人の国民性にも大きな影響を及ぼしており、困ったことが起こってもそれに真っ向から立ち向かうのではなく、じっと我慢していればその困難は勝手に立ち去ってくれると考え勝ちだ。
 問題を解決するよりも耐え忍ぶことを生活の知恵とするので「人の噂も75日」とか「石の上にも3年」といった諺が妙に説得力を持つ。
 一方、沖縄や外国では「台風一過」とはならない。沖縄では台風が1週間居座ったことがあるし、今年続けてフィリピンを襲った台風16号と17号はどちらも何日も居座ったために被害が大きくなった。たまたま私はセブ島を旅行中だったが、滞在期間中毎日雨でウンザリした。
 台風ほどの巨大なエネルギーは今の文明ではどうしようも無いが、社会問題に対しては耐え忍ぶよりも対決するべきだろう。

理想と現実

2009-10-06 15:32:58 | Weblog
 もし理想と現実が対立するなら否定されるべきものは現実ではなく理想だろう。
 理想はそれまでの経験から導き出された個人的信念だ。少ない経験に基づいて作られた理想は常に現実によって検証される必要がある。現実による検証を経て理想は一層高レベルなものになる。
 現実を拒否することは頑固な天動説者のようなものだ。地動説が正しければ天動説は否定されざるを得ないように、理想は常に現実による批判に晒される。君子は豹変せねばならない。誤りに気付けばそのことを早く認めるほうが良い。
 理想は現実的でなければならない。

最大多数の最大幸福

2009-10-06 15:16:14 | Weblog
 ベンサムの「最大多数の最大幸福」という言葉には多くの人が胡散臭さを感じるだろう。多数者による横暴を正当化するような言葉だからだ。
 但しベンサムが生きていた時代は少数の権力者が民衆を支配していた。だからこの言葉は不当な権力に対抗するためのスローガンとして価値があった。言わばリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」のようなものだ。
 しかし現代は状況が違う。現代は多数者が少数者の権利を奪おうとする時代だ。そのためにこの言葉は悪しき民主主義=衆愚主義を連想させる。
 個人においては、違った価値観を相互に尊重し合う相対主義が可能だとしても、社会的(政治的)にはどんなスタンスが可能だろうか?
 私は「未来を含めた多数者の幸福」が大きな基準になり得ると考える。
 例えば国の借金をあとの世代にツケ回ししないとか良い自然環境を守ることなどがそれだ。現世代は次世代に対して責任を持たねばならない。
 経営もそうだ。今儲けることを最優先にするから偽装やダンピングが発生する。5年後・10年後のことまで考えるなら、信頼性を高めることや人材の育成や技術開発などが重要課題となる。
 人間は未来を考えることのできる多分唯一の動物だ。今の享楽だけではなく未来の世代の幸福まで考えて行動すべきだろう。
 現在だけを見て多数者が幸福ならそれで良い訳ではない。次世代や次々世代あるいは未来の人類まで含めた最大多数の幸福を視野に入れるべきだろう。