俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

咀嚼

2009-10-20 19:10:43 | Weblog
 人間の頭の重さは体重の約13%だそうだ。こんな重い物を体の一番上に乗っけていれば重くて仕方が無い筈だが、通常は頭の重さを感じない。むち打ち症などになって初めて頭の重さを実感する。
 異常な状態になって初めて正常な感覚を獲得できるとは真に奇妙な話だ。
 税の重さを多くの人は痛感しない。税制改悪の時点で初めて抗議する。現状維持なら受け入れて、現状よりも悪くなるような状況になって初めて税制に不満を持つのは、人間が恒常的なことに対しては負担を感じないからだろう。
 そんな性質だから食事で一口当たり20~30回咀嚼しても疲れない。しかしこれは実に不思議なことだ。指先を小刻みに30回触れ合わせるだけでも結構疲れる。咀嚼は単に顎を早く動かすだけではなくかなりの力も要する。こんな負担の大きな行為を食事ごとにやっていればトータルの運動量は決して少なくない筈だ。
 私は王将の餃子を2口で食べる。1口ごとに30回以上噛むから1人前(6個)食べるためには約400回咀嚼していることになる。
 咀嚼回数の多い人は肥満者が少ないそうだ。その理由としてゆっくり食べることが食べ過ぎを防いでいると言われているが、それ以外にもこんな事情もあるのではないだろうか。咀嚼は本人が感じている以上にエネルギーを使っており、それがダイエット効果に繋がっているのではないだろうか。

二者択一

2009-10-20 18:58:12 | Weblog
 「AかBか」と二者択一を迫るのはズルイやり方だ。
 論理的には①「AもBも」という「止揚」②どちらも選ばない、つまり「AでもBでもなくC」という第三の選択肢や③判断保留という方法が可能だ。
 抽象論では分かりにくいので具体例を挙げよう。昼食をラーメンにするかカレーにするか迷ったとしよう。
 ①による解決はカレーとラーメンの両方を食べるかカレーラーメンを選ぶということだ。
 ②による解決はカレーもラーメンも選ばず全く別のメニューを選ぶということだ。
 ③による解決はとりあえず2店の前まで行って込み具合などを見てから決めるということだ。
 余りにも卑近過ぎる例を出し過ぎたかも知れない。しかし論理は単純で普遍的なものだ。そのことを明確にするためには卑近な例のほうが良かろう。
 二者択一を迫られた場合は、本当にその2つのどちらかしか選べないのかどうかを吟味する必要がある。二者択一というマヤカシの状況を作れば論理的には分かり易くなる。しかし「分かり易い」ということと「正しい」ということは必ずしも一致しない。分かり易さは安直への道でもある。

老化

2009-10-20 18:41:58 | Weblog
 歳をとると老化と総称される様々な障害が現れる。これは機械の部品の磨耗や金属疲労による劣化とは違って細胞の複製ミスによるものだろう。
 コピーした紙を次々とコピーするとだんだん不鮮明になる。そうならないように多くの人はオリジナルを「原紙」として保管して原紙からコピーを取る。こうすることによってコピーにコピーを重ねることによる劣化を防ぐ。
 生物の体には原紙が無い。DNAそのものが再生されるからどんどん最初とは違った細胞になってしまう。これが老化のメカニズムだろう。
 これは伝言ゲームにも似ている。伝わっているうちに少しずつ違ったものになり最後には似ても似つかぬ文章になってしまう。細胞のコピーミスの最たるものは癌細胞だろう。
 ところで遺伝子も親子で受け継がれるものだ。もし単純に遺伝子の再生産を繰り返せばどんどん劣化することになる。これを防ぐ仕組みが有性生殖と適者生存だろう。
 個々の個体は劣化するだけではなく様々な変異を持つ。変異は本来はコピーミスだが望ましい変異を持つ個体が子孫を残すことによって種族としての劣化を防ぎ、進化も促す。本来、欠陥となる筈のコピーミスが選択を通じて進化へと繋がる。
 生物は種族全体としては適者生存によって劣化を防いでいるが、個体には優れた細胞を選択できるような仕組みが無いので劣化(老化)は免れ得ない。これは個体の宿命だろう。