俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

死に至る病

2009-10-12 14:15:44 | Weblog
 不眠症は死に至り得る恐ろしい病気だった。
 今年の国内外での衝撃的な死は、国外ではマイケル・ジャクソン、国内では中川元財務・金融相の急死だろう。しかも2人とも死の発端が不眠症だったということには驚かざるを得ない。
 不眠症は甘く見られ勝ちだ。一日や二日眠れなくても大したことではないと見られ易い。本当に寝不足になれば誰でもそのうちに眠れると決めつけられる。
 基本的な欲求を充たしたいのに充たせないということは大きな不満を招く。食べたいのに食べられない、性行為をしたいのにできない、排泄をしたいのに出ない、これらは大きな苦痛だ。
 睡眠の場合、事態はもっと深刻だ。
 肉体の疲労は休養することで回復する。しかし脳だけは眠らない限り働き続けて過労に陥る。過労となった脳は正常に働くことができなくなる。つまり人格の変化や知力の低下、つまり自我の崩壊を招く。
 脳のこの特殊性を身を以って知っている人は睡眠を重視する。重視するからこそ眠れないことに大きな苦痛を感じる。
 眠ろうとして眠れず悶々としている時、疲労した脳はこんな妄想をももたらす。「世界には誰もいない。暗闇の中にお前の意識が浮遊しているだけだ。」こんな妄想のために自殺した人もいるのではないだろうか。
 かつて鬱病は怠け病とも言われた。体には何の異常も無いのに何もしようとしないからだ。近年ようやく日本でも鬱病が病気と認められるようになった。不眠症(睡眠障害)が死に至り得る恐ろしい病気であると認められるのはいつのことだろうか。

天職と転職

2009-10-12 14:05:14 | Weblog
 天職(calling)があると吹聴するのは誰だろうか。多分、転職(就職・離職)斡旋業者だろう。
 転職斡旋業者にとっては同じ人が何度も転職を繰り返してくれる状況が望ましい。それだけビジネスチャンスが拡大するからだ。
 そんな事情から「仕事を通じて自己実現ができる」という幻想を彼らはばら撒く。仕事で自己実現ができないのはそれが天職ではないからだと思い込んだ人は転職を繰り返してどんどん条件の悪い仕事へと落ちて行く。
 仕事が自己実現に繋がるのは特殊な才能と運に恵まれたごく少数の人だけだろう。芸術家や学者やプロスポーツ選手や政治家に誰もがなれる訳ではない。殆どの人はつまらない仕事に耐えねばならない。
 「仕事を通じて自己実現をしよう」というスローガンは転職斡旋業者がばら撒く幻想にすぎない。彼らに騙されて転職を繰り返した人は気の毒だ。まるでタチの悪い詐欺師に騙されたようなものだ。

一元論

2009-10-12 13:50:32 | Weblog
 誰もが金持ちになることを目標にするなら金を儲けた人が偉いということになる。しかしそんな拝金主義者は決して多くなかろう。
 金は無いよりは有るほうが良い。しかし金儲けのために総てを犠牲にすることは馬鹿げている。それも1つの選択肢だろうが私はそんな生き方を選びたくない。生活に困らない程度の金があり自由時間を楽しめるほうが心豊かに生活できるだろう。
 皆が金儲けを目標にすれば、儲かる仕事を奪い合う椅子取りゲームになってしまう。椅子取りに参加しない人や見物する人がいても一向に構わない筈だ。人によって違った目標を掲げたほうが社会もうまく回ることは動物の世界を見ればよく分かる。
 もし総ての動物が同じ植物を餌にしていたらどうなるだろうか。餌の奪い合いが起こるし、その植物が減れば動物は全滅してしまう。実際にはこんな馬鹿なことは起こらない。食物としては様々な物が選択され、棲む場所でさえ陸・空・海水・淡水・地中と様々な世界が選ばれる。だから多様で豊かに動物が共存できる。
 一元論と違って多元論は様々な価値を認める。隠居生活やマイホーム主義や晴耕雨読などの多様な生き方が選択肢となり得る。
 勝ち組・負け組といった分類は一元論的な見方だ。それぞれが自分の独自の目標を持つなら、それだけ多くの人が人生の成功者となり得る。