俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

落し物

2012-05-01 15:08:17 | Weblog
 金を拾う人と落す人はどちらが多いだろうか。少なくない人が自分の経験から「拾うことのほうが多い」と考えるだろうがこれは誤りだ。落とした金が拾われないことはあり得るが、落されなかった金が拾われることはあり得ない。従って落とされた金のほうが遙かに多い。
 こんな錯覚が生じるのは、拾うことは意識的行為であり、落すことは意識外での行為だからだ。落とした時に気付いていれば真っ先に自分が拾うだろう。落し物をして警察に届ける時に一番困るのは「どこで落としたか」という問いだ。どこで落としたか正確に分かっていれば警察になど届けずに自分で探す。
 同様に、幸運を摑むことよりも幸運を見逃すことのほうがずっと多いだろう。幸運を摑んだことは意識されるが、本来は幸運である筈のものが見逃されても殆んどの場合、気付かれない。一生の大半は幸運を見逃すために使われているとさえ思える。
 しかし「当たりたいなら買うしかない」という宝くじのCMを肯定しようとは思わない。射幸心を煽る巧みなコピーだとは思うが全く不合理だ。「救われたいなら祈りなさい」とか「ボロ儲けしたければ賭けるべきだ」といった理屈にどれだけの人が賛同するだろうか。可能性の低いことを恰も可能性の高いことのように偽るからこれらに乗せられた人は不幸になる。

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