日本の新聞は宅配によって支えられている。駅やコンビニなどで売られる部数などほんの一部に過ぎない。店頭売りが多いと思えるスポーツ新聞でさえ宅配率が60~80%だ。朝、自宅で新聞が読めるからこそ人々は定期購読をする。ネットの普及によってその有難味は薄れたがこれが便利な仕組みであることに変わりは無い。しかし新聞社別の販売店の存在は全く時代遅れだろう。川上によって川下が支配されるような流通システムは独占禁止法に背くのではないだろうか。
ある出版社の本しか扱わない書店などあり得ない。どこの出版社の本でも扱ったほうが絶対に有利だからだ。今時メーカーによって扱い品目が制限されているのは新聞販売店ぐらいだろう。
もしそれぞれの販売店が朝・毎・読・産・日経の5大紙と地元紙を自由に扱えれば宅配の効率が格段に高まる。勿論、淘汰も発生するがそれぞれの販売店の収益性は大きく向上するから、軽減税率のような姑息な手段を使わなくても大幅な値下げさえ可能になる。
ではなぜそんな合理化が行われないのだろうか。新聞社が妨害をするからだ。既に出来上がっている業界秩序を破壊されたくないからだ。新聞社はテレビ局やラジオ局も押さえているから、そんな合理化があり得ることさえ庶民は気付かない。新聞社が新聞販売の合理化を拒んでいる。その地域では強い地元紙を含めた有力紙が販売店を系列化することによって他紙の拡販を阻止している。この制度が新聞の公正な競争を阻害している。既に販売網が備わっていれば大新聞社でも簡単には参入できない。かつて読売新聞が愛知県で販売網を築こうとした時の中日新聞社の妨害工作は凄まじかった。両社は品質ではなく廉売や景品付き販売によって読者を得ようとする低レベルな競争に終始し漫画のネタにさえなった。先に販売網を押さえた新聞社は他社の参入を徹底的に妨害する。前近代的で不自由な競争だ。大半の道府県で地元紙のシェアが歪に高いのは販売網を支配しているからだろう。
もし新聞販売が自由化されれば読者は今よりも自由に新聞を選べる。私の住む伊勢のような田舎では産経新聞を読めないがそんな不便も無くなる。沖縄では琉球新報と沖縄タイムスの2紙がほぼ独占しているが、こんなガラパゴス化した新聞は淘汰されて沖縄県民の意識さえ変わるだろう。
マスメディアの欠陥をマスメディアは批判しない。従って誰も批判しない。批判されない権力は必ず腐敗する。マスメディアが権力者以上に腐敗していることは間違いなかろう。不良品を散々売っておいてその回収も賠償もしないのは新聞社だけだ。何とも気楽な稼業だ。販売店の自由化は腐り切った新聞社の体質を改めさせるための第一歩になるだろう。
ある出版社の本しか扱わない書店などあり得ない。どこの出版社の本でも扱ったほうが絶対に有利だからだ。今時メーカーによって扱い品目が制限されているのは新聞販売店ぐらいだろう。
もしそれぞれの販売店が朝・毎・読・産・日経の5大紙と地元紙を自由に扱えれば宅配の効率が格段に高まる。勿論、淘汰も発生するがそれぞれの販売店の収益性は大きく向上するから、軽減税率のような姑息な手段を使わなくても大幅な値下げさえ可能になる。
ではなぜそんな合理化が行われないのだろうか。新聞社が妨害をするからだ。既に出来上がっている業界秩序を破壊されたくないからだ。新聞社はテレビ局やラジオ局も押さえているから、そんな合理化があり得ることさえ庶民は気付かない。新聞社が新聞販売の合理化を拒んでいる。その地域では強い地元紙を含めた有力紙が販売店を系列化することによって他紙の拡販を阻止している。この制度が新聞の公正な競争を阻害している。既に販売網が備わっていれば大新聞社でも簡単には参入できない。かつて読売新聞が愛知県で販売網を築こうとした時の中日新聞社の妨害工作は凄まじかった。両社は品質ではなく廉売や景品付き販売によって読者を得ようとする低レベルな競争に終始し漫画のネタにさえなった。先に販売網を押さえた新聞社は他社の参入を徹底的に妨害する。前近代的で不自由な競争だ。大半の道府県で地元紙のシェアが歪に高いのは販売網を支配しているからだろう。
もし新聞販売が自由化されれば読者は今よりも自由に新聞を選べる。私の住む伊勢のような田舎では産経新聞を読めないがそんな不便も無くなる。沖縄では琉球新報と沖縄タイムスの2紙がほぼ独占しているが、こんなガラパゴス化した新聞は淘汰されて沖縄県民の意識さえ変わるだろう。
マスメディアの欠陥をマスメディアは批判しない。従って誰も批判しない。批判されない権力は必ず腐敗する。マスメディアが権力者以上に腐敗していることは間違いなかろう。不良品を散々売っておいてその回収も賠償もしないのは新聞社だけだ。何とも気楽な稼業だ。販売店の自由化は腐り切った新聞社の体質を改めさせるための第一歩になるだろう。
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