分からないことについて勝手な推測をする人が少なくない。誰にも分からないことであればどんなデタラメであろうとも否定されない。芸能人のスキャンダルなどどうにでもデッチ上げられる。
朝日新聞は「吉田調書」と「吉田証言」を悪用して嘘をついた。「吉田調書」の全文が公開されることによって、朝日新聞が摘み食いによって吉田所長の証言を歪めていたことが明らかになった。従軍慰安婦の強制連行については詭弁に詭弁を重ねることによって恥の上塗りをしていた。検証するならこれまでの詭弁についても検証して貰いたいと思う。これほど詭弁を並べた企業は世界史上でも稀だ。立派な反面教師だ。
韓国には1145年に成文化された「三国史記」以前の歴史書は残っていない。廃棄された。だからこそ好きなように古代史を捏造できる。韓国の歴史ドラマはフィクションの域を超えたファンタジーの世界だ。
児童絡みの事件では警察発表が慎重になり、断片的にしか事実が公表されない。するとゴシップ記者のような新聞記者が憶測に基づいて物語をデッチ上げる。新聞記者だった友人に聞いた話だが、自殺した女子高校生について各紙は受験勉強が原因と報じた。当時は受験競争が社会問題化していたからだ。実際に取材をしていた彼は同級生によるいじめが原因だと思ったそうだ。いじめのほうがニュースバリューが高い今であれば「いじめ自殺」として報じられていただろう。
地震の予知は当たったことが無い。あの東日本大震災については発生確率0%と予報していたし、9月の御嶽山の噴火も警告することさえできなかった。これだけ外れ続けているのに予知できるかのように言い続けているのは焼け太りを狙っているのかこれまでの嘘と整合させるためだろう。朝日新聞と同じ泥沼に嵌っているようだ。
天気予報には同情する。これほど常に批判に晒される予報は無かろう。実際には予報が非常に難しい日もありそんな日は「♪雨か天気か下駄に聞け♪」(クレージーキャッツ「学生節」より)と言いたくなるだろう。難しい日の予報が外れるのはやむを得ないと私は考えるが、素人は容赦しない。
推理小説は断片的な情報に基づいて隠された真相に辿り着く高度な知的ゲームだ。事実と憶測を峻別できない人には謎は解けない。先入観を排除して確かな事実だけを積み上げて真相を解明するプロセスは科学や哲学と似ている。
情報が足りなければ予測できないのは当たり前であり、情報が充分でも分からないことは分かり得ない。分からないことについては正直に分からないと言える勇気が必要であり、分からないことを分かっているかのように言うのは朝日新聞と地震学者とゴシップ週刊誌だ。たとえ専門家でも分かり得ないことはある。その時は正直に「分からない」と言うべきだ。分からないことをしたり顔で分かった振りをする人は恥知らずだ。ソクラテスの「無知の知」のパロディのような言い方だが、分からないということを分かる必要がある。
朝日新聞は「吉田調書」と「吉田証言」を悪用して嘘をついた。「吉田調書」の全文が公開されることによって、朝日新聞が摘み食いによって吉田所長の証言を歪めていたことが明らかになった。従軍慰安婦の強制連行については詭弁に詭弁を重ねることによって恥の上塗りをしていた。検証するならこれまでの詭弁についても検証して貰いたいと思う。これほど詭弁を並べた企業は世界史上でも稀だ。立派な反面教師だ。
韓国には1145年に成文化された「三国史記」以前の歴史書は残っていない。廃棄された。だからこそ好きなように古代史を捏造できる。韓国の歴史ドラマはフィクションの域を超えたファンタジーの世界だ。
児童絡みの事件では警察発表が慎重になり、断片的にしか事実が公表されない。するとゴシップ記者のような新聞記者が憶測に基づいて物語をデッチ上げる。新聞記者だった友人に聞いた話だが、自殺した女子高校生について各紙は受験勉強が原因と報じた。当時は受験競争が社会問題化していたからだ。実際に取材をしていた彼は同級生によるいじめが原因だと思ったそうだ。いじめのほうがニュースバリューが高い今であれば「いじめ自殺」として報じられていただろう。
地震の予知は当たったことが無い。あの東日本大震災については発生確率0%と予報していたし、9月の御嶽山の噴火も警告することさえできなかった。これだけ外れ続けているのに予知できるかのように言い続けているのは焼け太りを狙っているのかこれまでの嘘と整合させるためだろう。朝日新聞と同じ泥沼に嵌っているようだ。
天気予報には同情する。これほど常に批判に晒される予報は無かろう。実際には予報が非常に難しい日もありそんな日は「♪雨か天気か下駄に聞け♪」(クレージーキャッツ「学生節」より)と言いたくなるだろう。難しい日の予報が外れるのはやむを得ないと私は考えるが、素人は容赦しない。
推理小説は断片的な情報に基づいて隠された真相に辿り着く高度な知的ゲームだ。事実と憶測を峻別できない人には謎は解けない。先入観を排除して確かな事実だけを積み上げて真相を解明するプロセスは科学や哲学と似ている。
情報が足りなければ予測できないのは当たり前であり、情報が充分でも分からないことは分かり得ない。分からないことについては正直に分からないと言える勇気が必要であり、分からないことを分かっているかのように言うのは朝日新聞と地震学者とゴシップ週刊誌だ。たとえ専門家でも分かり得ないことはある。その時は正直に「分からない」と言うべきだ。分からないことをしたり顔で分かった振りをする人は恥知らずだ。ソクラテスの「無知の知」のパロディのような言い方だが、分からないということを分かる必要がある。
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