俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

個性化と多様化

2010-01-19 15:19:54 | Weblog
 個性化と多様化を目指して教育をすればどんな社会へと向かうだろうか。当時の文部省はどんな社会をイメージしたのだろうか。多様な価値を相互に認め合う成熟した文化社会を?
 実現したのは自らの価値観を唯一のものと信じて、他者の権利を否定する我儘な者の大量生産でしかなかった。かくして社会は秩序を失った。
 しつけと称して日常的に暴力を振るう者が親としての権利を主張する。子供の権利は認められていない。
 養育される権利を主張して親を奴隷の如く扱うパラサイト。親の人権は無視される。
 電車やエレベータ内で大声で話す者は話す権利があると考える。つまり静かに乗る権利は否定される。
 大きな音を立ててスープを啜る者はそれが普通の行為だと思っている。テーブルマナーの存在には関心を持たない。
 個性化・多様化を進める教育には大きな欠陥があった。自分と同様に他人にも権利があり、それを尊重しなければ争いになるという視点がどういう訳か欠落していたようだ。
 本当に個性的な人は自分が少数派であることを自覚している。子供の頃から、他人と違うということに悩み続けて熟知している。ところが俄か個性派である偏狭な者には他者が見えない。自分の考えが絶対、あるいは皆が自分と同じように考える筈だと思い込む。だから自分の行動は常に正しいと考える。偏狭な者の個性化など迷惑でしかない。偏狭な者に権利を主張させてはならない。偏狭な者には毅然とした態度を採るべきだ。今年の成人式での佐世保市長のように。甘やかして増徴させてはならない。

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