俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人格

2009-06-23 16:53:56 | Weblog
 人格は独立したものではなく「関係」の中で捕らえられるべきものだ。
 善良な人との関係では善良な人格となる。利害一点張りの人との関係では利害重視の人格になる。
 親の前では「子」の人格になり、子の前では「親」の人格になる。これは日本人に限ったことではなく世界中で普遍的に見られることだ。西洋人の男がレディの前ではどれほど堂々とした態度を取ることだろうか。
 最近妙に人気のある太宰治は自分の愛想良さを偽善と位置づけて悩んだ。しかし相手の善良さに同調することは偽善ではない。相手の善良さと自分の善良さが同調して増幅されているだけのことだ。それは悪い友人とつき合って「朱に交われば赤くなる」ということと同じだ。
 偽善とは何らかの邪悪な意図を持った行為であり、特定の人の前で善意が強化されたペルソナが現れるのは不自然ではなく、むしろ両者が共に善意に満ちていることの証明とさえ言えるだろう。

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