俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

一病息災

2015-03-22 10:11:56 | Weblog
 泳いでいて水が軽く感じる時がある。水を掻く腕がいつもよりもスムーズに動いて調子が良いのかと思う。しかしこれは錯覚だ。水が軽く感じる時にタイムを測ってみると普段よりも悪い。腕の動きが遅いか水を掴めずに空回りしているから軽く感じるだけだ。逆に水を重く感じる時のほうが水をしっかり捕まえて早く泳いでいる。
 躁状態の人は何をやっても成功するように感じるそうだ。だから無茶な投資をしたり起業する人までいる。これは本人が良いと思い込んでいるだけなのだから、これらの多くは失敗に終わる。まともな精神状態でなければ正しい判断はできない。
 主観的には好調と思えても実は不調であることは少なくないし、不調と感じている時のほうが却って好調ということもある。無病息災ではなく一病息災が正しいと言う人がいる。軽度な持病に配慮することによって却って健康が維持されるという意味で使われるが、私はむしろ無病と思っていることが大きな誤解なのではないかと思う。実際には不充分な状態でありながらそれを感知できない状況こそ危険だ。判断する主体が狂っていれば間違った判断をする。狂人には自分が狂っているということが分からない。
 ある調査によると、結婚後半年以内に喧嘩をしなかった夫婦はその後、離婚する確率が高いそうだ。雨降って地固まるという訳ではなく、表面上平穏であることと実際に円満であることとは必ずしも一致しないということだろう。
 「良い子」も実は良くないことのようだ。通常、男の子には反抗期がある。たまにそれが全く現れずスクスクと素直に育ち親が安心していると突然おかしくなることがある。私の同級生にも一人いた。何の問題も無く高校を卒業してから普通に就職したが突然退職した。その後、トラブルメーカーとして周囲から煙たがれつつ急死した。後で人伝に知ったことだが、結婚した頃から急に生活が乱れたらしい。子供の内に麻疹に罹らずに大人になってから罹ると重篤化すると言われているが、反抗期を経なかった男性が遅れて不適応を起こすことは少なくない。反抗期は成長のために必要なプロセスであり、それを欠くことは必ずしも好ましいことではない。

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