需要と供給のバランスによって価格が決まると多くの人が信じているが理論を過信すべきではない。理論はあくまで仮説に過ぎず現実に基づいて見直す必要がある。このフレームに固執するから、原油価格の下落を原油需要の減少が原因などと間違った分析をする。データで見る限りでは原油需要は決して減少していない。だから需要が減らないのになぜ値崩れが起こっているのかが問われねばならない。
もし国家財政の9割を原油の輸出に依存している国があれば原油価格が低迷した時にどう対応するだろうか。価格が3割下がれば収入は27%減る。ここで入るを量りて出ずるを制す、の原則に従って財政規模を27%縮小するだろうか。むしろ逆に輸出量を3割増やすことによって財政を維持しようとするのではないだろうか。それぞれの国に特殊事情があるから、価格が下がれば供給が減るという法則は必ずしも正しくない。価格が下がれば供給が増えるというデフレスパイラルの可能性もある。
日本にも似た実例がある。低金利政策が始まった頃、金利が下がれば貯蓄が減って投資が増えると予想された。ところが実際には貯蓄が激増した。安全な資産運用を図りたい資産家が同等の利息を得ようとして貯蓄を増やしたからだ。
衣料品業界にはこんな例がある。一部の店が冬物のバーゲンを12月に始めた。当然独り勝ちになった。翌年からは他社も12月からバーゲンを始めて対抗した。これがどんな結果を招いたか?実需期である1・2月にはどの店も欠品だらけになってしまった。需要と供給ではなく過当競争が招いた値崩れだ。
開かれた社会であれば、価格は需要と供給のバランスによって決まる。しかし個々の社会はかなり閉ざされた社会でありそれぞれが異なった事情を抱えている。マクロばかりを見てミクロを見なければ「森を見て木を見ず」になってしまう。
私は医学と経済学の学問性をかなり疑っている。仮説が仮説のまま独り歩きをしているからだ。科学であれば例外は徹底的に研究される。もしリンゴが木から落ちなければ大騒動になる。科学には例外を許さないという厳しい学術性がある。ところが医学と経済学は疑似科学だから例外が許容されている。幾ら例外が頻出しても古い理論が見直されずに温存される。偽りの科学を科学と信じることは危険だ。科学を標榜するなら例外を許容すべきではない。例外を放置すれば似非科学やオカルトになる。
もし国家財政の9割を原油の輸出に依存している国があれば原油価格が低迷した時にどう対応するだろうか。価格が3割下がれば収入は27%減る。ここで入るを量りて出ずるを制す、の原則に従って財政規模を27%縮小するだろうか。むしろ逆に輸出量を3割増やすことによって財政を維持しようとするのではないだろうか。それぞれの国に特殊事情があるから、価格が下がれば供給が減るという法則は必ずしも正しくない。価格が下がれば供給が増えるというデフレスパイラルの可能性もある。
日本にも似た実例がある。低金利政策が始まった頃、金利が下がれば貯蓄が減って投資が増えると予想された。ところが実際には貯蓄が激増した。安全な資産運用を図りたい資産家が同等の利息を得ようとして貯蓄を増やしたからだ。
衣料品業界にはこんな例がある。一部の店が冬物のバーゲンを12月に始めた。当然独り勝ちになった。翌年からは他社も12月からバーゲンを始めて対抗した。これがどんな結果を招いたか?実需期である1・2月にはどの店も欠品だらけになってしまった。需要と供給ではなく過当競争が招いた値崩れだ。
開かれた社会であれば、価格は需要と供給のバランスによって決まる。しかし個々の社会はかなり閉ざされた社会でありそれぞれが異なった事情を抱えている。マクロばかりを見てミクロを見なければ「森を見て木を見ず」になってしまう。
私は医学と経済学の学問性をかなり疑っている。仮説が仮説のまま独り歩きをしているからだ。科学であれば例外は徹底的に研究される。もしリンゴが木から落ちなければ大騒動になる。科学には例外を許さないという厳しい学術性がある。ところが医学と経済学は疑似科学だから例外が許容されている。幾ら例外が頻出しても古い理論が見直されずに温存される。偽りの科学を科学と信じることは危険だ。科学を標榜するなら例外を許容すべきではない。例外を放置すれば似非科学やオカルトになる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます