俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

進行方向

2009-04-13 14:07:16 | Weblog
 歩道を歩いても車道を走っても、同じ方向へ進む人よりも逆の方向へ向かう人のほうが多いと感じる。追い抜かれたり追い越したり並んで進む人と比べてすれ違う人のほうが圧倒的に多い。
 それは当然だ。同じ方向へ向かう場合、速度差が無ければ追い越しも追い抜かれもしない。もし全員が4km/hで同方向に歩いていれば追い越しも追い抜かれも発生しない。
 一方、逆方向へ向かう人とは必ずすれ違う。すれ違う数のほうが圧倒的に多くてもそのことが少数者である証となる訳ではない。逆方向へ向かっている人にも同じ現象が起こっているからだ。
 芸能人がスキャンダルを起こした場合、非難の電話やメールが殺到する。非難90に対して擁護10の割合だったとしても多数者が非難していると決め付けるのは誤りだ。進行方向の例と同様、同調者は少なく見える。非難する人と比べて擁護しようとする人は行動を起こす動機に乏しいし、更にそれをスキャンダルだと考えない人は擁護しようとさえ思わない。
 全く違った例も挙げよう。ポール際の微妙な打球がホームランと判定された時に抗議するのはファウルだと思った人だけだ。ホームランだと思った人は沈黙する。判定を擁護して主張するのはむしろ「もしかしたらファウルだったかも知れない」と思った人だけだろう。かつてニクソン大統領はこれをサイレントマジョリティと名付けた。言い得て妙だ。

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