俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

怒りの心理学

2012-11-19 10:53:43 | Weblog
 怒りは激しい感情だ。もしかしたら最も激しい感情かも知れない。それまでの価値体系を破壊しかねないほど強い感情は好き(性欲)と怒りだけではないだろうか。怒りと性欲は社会秩序を破壊しかねないほど強烈な感情だからこそ否定され続けた。
 フロイトによって性欲は市民権を得たが怒りは今も否定され続けている。怒りは邪悪な感情でありそんな感情に支配されないことが奨励されている。しかし怒りを忘れることは達観ではなく唯の抑圧ではないだろうか。怒りのパワーを評価すべきだ。
 抑圧された怒りは抑圧された性欲と同様に歪んだ形を取って現れる。ヤツアタリは正しくそれだ。これは性欲の転嫁と同様に怒りの転移と言えよう。余りにも日常的であるために異常心理とは見なされていないが、全く不合理な感情だ。
 怒りが抑圧されれば「不機嫌」という状態に陥る。これは抑圧された性欲が神経症を招くような異常心理だ。怒りの存在を認めて、本来何に対して怒っているのかを把握することが必要だ。
 怒りの効能については心理学者よりも政治家のほうがよく知っているようだ。中国・韓国による反日抗議は国内の不満を逸らすためのガス抜きであり、アメリカの仮想敵国も国内の怒りを誤魔化すためのスケープゴ-トに過ぎない。
 怒りは転移する。本来怒るべき相手に対して怒れない時、それは矛先を変える。全く関係の無い人に怒りをぶつけたり、自分自身に向けたりする。後者が鬱病の主因ではないだろうか。
 怒りは蓄積する。怒りを蓄積し続ければ発露すべきでない時に爆発する。
 「怒りの心理学」はまだ生まれていない。しかしこんな激しい感情を無視するべきではない。もしかしたら性欲以上に重要な行動原理でありながら軽視されているのではないだろうか。

コメントを投稿