哲学では事実命題と価値命題は厳密に区別されているが、日本人はこの両者を混同し易い。日本語の「正しい」という言葉にはcorrect(正確な)という意味とright(正義の)という両方の意味があるからすぐに混同されてしまう。前者は論理学の、後者は倫理学の主題だ。
人が死ぬとか老化するとか病気に罹るとかいったことは事実だ。私はこれらを事実として認める。しかしこれらを「良いこと」だと主張するつもりは毛頭無い。
不老不死は妄想に過ぎないが死や老化を遅らせることは可能だ。不可能なことを求めることは無意味だが改善することはできる。死なないということは不可能でも健康な状態で長生きすることは可能だ。
多分私は現実主義者だ。人は病気もするし老化もするしいずれは死ぬ。それらを事実として認めたうえで、その事実に目一杯抵抗する以外に選択肢は無い。
好ましくないことであろうと事実は事実として認めたうえで可能なことを模索することが唯一可能な生き方でありそれ以外の対応は幻想主義だと敢えて決め付けたい。
繰り返すが「事実」は「良いこと」ではない。不条理だらけだ。事実を「神の意志」という虚構を使って無条件に肯定しようとする宗教家の詭弁に対しては腹を立てざるを得ない。
人が死ぬとか老化するとか病気に罹るとかいったことは事実だ。私はこれらを事実として認める。しかしこれらを「良いこと」だと主張するつもりは毛頭無い。
不老不死は妄想に過ぎないが死や老化を遅らせることは可能だ。不可能なことを求めることは無意味だが改善することはできる。死なないということは不可能でも健康な状態で長生きすることは可能だ。
多分私は現実主義者だ。人は病気もするし老化もするしいずれは死ぬ。それらを事実として認めたうえで、その事実に目一杯抵抗する以外に選択肢は無い。
好ましくないことであろうと事実は事実として認めたうえで可能なことを模索することが唯一可能な生き方でありそれ以外の対応は幻想主義だと敢えて決め付けたい。
繰り返すが「事実」は「良いこと」ではない。不条理だらけだ。事実を「神の意志」という虚構を使って無条件に肯定しようとする宗教家の詭弁に対しては腹を立てざるを得ない。