蔵王山の麓で育った山神流古代木こりそばとは、昔、深山
で寝食をとり伐採の跡地にそばの種を蒔き収穫したものを
杜人(そまびと)たちが自我流調理で食べていたそうです。
「古代木こりそば」は、引き締まった味わいを醸し出してい
ます。「こねる、打つ、切る」の手作業を行い、そばに含まれ
るほのかな甘い香りを大切に残しながらも、そば本来のコシ
の強さを守り続けています。
そば粉100%の手打ち十割蕎麦「山神流古代木こりそば」
をご賞味下さい!
<蕎麦街道>
村山市周辺は昼夜の温度差が激しく古より蕎麦栽培が盛
んであったが、主に「かいもち(そばがき)」として食に供され
ていた。そば切りの技術は信州高遠城主・保科正之の米沢
移封時にもたらされ庶民家庭の伝統食として根付いた。
「焼畑は男の仕事、蕎麦打ちは女の仕事」とされ、技術も道
具も母から娘へと受け継がれるようになったのである。
蕎麦屋の出現は遅く明治末期であるといわれる。そば打ち
の上手な家が頼まれ仕事をやっているうちに蕎麦屋になっ
たといわれるが、今日では「町興し」の重要な一役を担うま
までに成長。
<おまけ画像>