近江野菜たっぷりランチ:ぜいたく野菜畑プレート(約20種類の近江野菜サラダ)/自家製フィットチーネ(牛と豚のひき肉といろいろ野菜の生姜トマトソース)/さつまいも豚ロースのオーブン焼き(肉汁と山椒のクリームソースと土釜ごはん)/ドルチェ(白桃:花嫁)・・・美味かった!
ハンバーグ(ツバメグリル)、まぐろのテールステーキ、にしきにぎり(藤鮨)、海鮮丼・・・食後はブルーボトルカフェ・・・気になった品川ランチでした!
金鶏山・観自在王院跡・無量光院跡・・・平泉は、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点。そして、金鶏山(奥州藤原氏が山頂に経塚を築いた信仰の山)は平泉の都市設計の中心でした。金鶏山頂上には経塚があり、「平泉を守るため黄金の鶏を埋めた」や「北上川まで人夫を並べ、一晩で築いた山」などの伝説が残っています。松尾芭蕉が『おくの細道』の中で、「秀衡が跡は田野となりて、金鶏山のみ形をのこす」と記した、数々の伝説に彩られた山です。観自在王院跡(二代基衡公の妻が建立したと伝えられる寺院跡)/無量光院跡(三代秀衡公が宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡)・・・奥州藤原氏が地上に表した理想郷の夢の跡ですね。
源平合戦で連戦連勝、破竹の勢いで平家を討ち滅ぼしながら、兄頼朝に疎まれ、少年時代を過ごした平泉に逃れた源義経。義経堂(高館)は源義経が最期を迎えた場所。金鶏山山麓の千手堂には義経妻子の墓があります。また、中尊寺弁慶堂は、源頼朝に追われて平泉に落ち延びた義経と弁慶にちなんで建てられたそうです。
義経堂(高館)
堂創建時に製作された木造の源義経公像
源義経妻子の墓
中尊寺弁慶堂
義経・弁慶の木像
毛越寺(モウツウジ)と読みます。通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものです。毛越寺最大の見どころは、平安時代の貴重な浄土式庭園「毛越寺庭園」:荒磯風の出島石組と池中立石/白浜(白砂の浜)/洲浜(優美な曲線が印象的)/遣水(平安時代の唯一の遺構)・・・素晴らしい庭園ですね。
平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園が一群として良く残っています。中尊寺は山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院です。月見坂/弁慶堂/本堂/金色堂/覆堂/経蔵・・・奥州藤原氏が地上に表した理想郷の夢の跡(黄金が築いた浄土の国)ですね。
2021年7月23日から8月8日までの17日間、第32回2020年東京オリンピックが開催されました。205の国と地域から約11,000人が参加し、実質19日間に33競技339種目が行われました。開催には賛否両論ありましたが、日本は金27、銀14、銅17の計58個メダル獲得!本当にお疲れ様でした!
東京タワー:東京都港区芝公園にある総合電波塔(1958年12月23日に竣工し高さは333m)東京スカイツリー:東京都墨田区押上一丁目にある電波塔(2012年2月29日に竣工し高さは634m)・・・比べてみました!
1690年に五代将軍徳川綱吉の命令によって建てられた孔子廟と朱子学の学問所。現在は、孔子廟や昌平坂学問所跡を含む史跡(1935年再建)江戸時代は官立の大学のような役割を担い、明治初期には文部省も置かれていました。お茶の水女子大や筑波大学の前身となった大学も開かれていた場所で、日本近代教育発祥の地と呼ばれています。
神田明神の愛称で知られる「神田神社」:730年に創建。1616年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座。総鎮守として江戸の街を見守り続けてきた江戸下町のシンボルです。ご祭神は「だいこく様」の愛称で知られる「大己貴命」、そのだいこく様と国造りに貢献した「少彦名神」、そして関東の英雄「平将門命」の三柱の神様をお祀りしています。