岩見沢混声合唱団が創立72周年を迎え、昨日第60回記念定期演奏会を開催した。絶好の天気にも恵まれて、岩見沢文化センター中ホールが超満員になる盛況であった。
早いもので月めくりカレンダーが残り3枚になってしまった。ということで今日は10月1日、つい先ほど知人の某氏から電話が入り「只今会場取りに来ています。」とのこと(きっとどこかの会館かホールの申し込みに行っているらしい)。はて、思い当たることはないなと思案していると「ところで11月の予定は何かありますか?」ときた。「11月はコロフェスタ in姫路行きを予定しています」と答えたところで、先方が気づいたいたようで「あっ間違えました。ごめんなさい!」で終わった。ちなみに、この方からのこのての間違い電話は年に数回はある。はたして今年はこれが最後になるであろうか?もう一度くらいはありそうな気がしている(笑)
岩見沢市内の東山公園で出会ったリス君です
青函連絡船の洞爺丸が遭難したのは70年前のきょうだ。僚船を含め計5隻が沈み、1400人を超える犠牲者を出す。20世紀ではタイタニック号の遭難に次ぐ世界第2の海難事故とされる。
<目を覆う七重浜の惨状 虚空をつかむ死者の手>。事故を速報した本紙号外が凄惨な現場の様子を記録する。台風15号(洞爺丸台風)は最大瞬間風速60メートルに迫る烈風を起こし、想像を絶する大しけをもたらす。生還者は1割強にとどまる。
船はなぜ出航し、大事故に至ったのか。出版から40年近くたつ坂本幸四郎著「青函連絡船ものがたり」が多くの教訓を伝える。坂本さんは通信士として別の連絡船に乗務し、危うく難を逃れた。
台風は時速110キロで進み、津軽海峡西方で速度を落として発達した。気象衛星や雨雲レーダーはなく予報が難しい時代である。空に一時広がった晴れ間が、「台風は通過した」という誤認を招いた。
船尾の開口部が大きく防水が不十分な船体構造、運航する国鉄の危機管理の不備も影響した。そして<大船は風波だけでは絶対に沈まない>という船乗りの過信があったー。坂本さんは自戒を込めた。
「迷走台風」が暴れた今夏の記憶は新しい。気象観測の精度や交通機関の安全性は格段に高まった。人知はそれでも自然の脅威にかなわぬことがある。洞爺丸事故は教える!
ここひと月あまり生のクラシック音楽に触れていないためか、「何かが足りない!」感を覚えていた。84歳プラス2日目に聞くことになる下記コンサートを楽しみにしている。
1954年(昭和29年)9月26日,この日は私の14歳の誕生日であった。毎年やってくる誕生日だが、この日のことだけは特別に忘れられない日になった。当時私は雨竜町に住んでいたが、この日は栗山町から午後の列車で帰途に着いた。栗山の親戚宅に1泊し祭典を楽しんで帰ったのだが、岩見沢で乗り換え滝川駅に向かうあたりから風が強まり、台風15号の襲来が始まった。何とか滝川からバスで雨竜の自宅に着いた頃には本格的な嵐になっていた。そして翌朝、洞爺丸の惨事を知ったのである。生存者159人,死者1159人という大惨事であつた。